今日で関西滞在は最終日、できれば今日のうちに帰りたいが、とんぼ返りでは面白くない、
と考えた結果、そういえば今は梅の時期だよなと。
そんなわけで月ヶ瀬に寄り道して帰ることにした。
そんなわけでバイクを折りたたんでまたしても加茂駅にやってきた。
今日はここで降りずに汽車に乗り換え。月ヶ瀬口駅で下車。
季節柄もあってか2両編成をかなり埋めていた乗客はここで半分ぐらい降りていた。
月ヶ瀬口駅は月ヶ瀬の最寄り駅だが、府県界を越えて京都府南山城村にある。
南山城村にとっては月ヶ瀬口駅周辺に人口が集中しているらしく、
南山城小学校と笠置中学校(南山城村と笠置町が校区)もこの周辺にある。
駅前には月ヶ瀬行きの三重交通バスが停まっているが、観梅期間の土日のみ運行である。
昔は定期路線として存在したらしいが、京都府と奈良県を結ぶのに三重交通というのがこの地域の複雑さでもある。
そんなわけでバイクを組み立てて出発。
けっこう細い道だなと思いながら走って行くと「大型車両通行止」と書かれた橋がある。
正式な規制標識はないし、臨時バスはここを渡らないと月ヶ瀬に行けないはずで実態はどうなのかよくわからないが。
ずっと上り坂が続く中でそれなりにまとまった集落が見えてきた。
ここで少し寄り道、高山ダムへ向かう。広い駐車場があった。
どこがダムだ? と歩いていくとダムが見えるところに看板と音声ガイダンスがあった。
高山ダムは木津川と名張川の合流点より少し名張川側にある。
名張川のさらに上流には青蓮寺ダム・室生ダム・比奈知ダムとあるが、
これだけダムが集中しているのも木津川本川にダムの適地が見いだせず、
支川の名張川で木津川・淀川の洪水調整機能をかなり受け持つことになった事情があるそう。
アーチ式ダム? と思ったら重力式アーチダムというアーチ式と重力式の中間のようなダムらしい。
高山ダムというダムの名前よりもダム湖の月ヶ瀬湖の方が有名かもしれない。
それはもちろん月ヶ瀬梅渓がダム湖の周辺に広がる梅林だからである。
南山城村の特産品は茶で、茶畑や茶に関わる施設が多い。
通常はここでつくられた茶は宇治茶として出荷されることになる。
宇治茶というのは加工地のブランドなので、京都府産の茶葉でない可能性はあるが、
できるだけ京都府産の茶葉を使うようにということで、南山城村は「宇治茶の郷」である。(そんな看板があった)
上り坂が続き、10kmもない道のりだが、電池消耗ひどそうだなと走ると、
坂を登り切ったてっぺんあたりに奈良県奈良市のカントリーサインがあった。
ここから月ヶ瀬地区である。かつての月ヶ瀬村は現在は奈良市になっている。
実は奈良市合併以前は奈良市街~月ヶ瀬のバスは観梅シーズンにしか走ってなかったが、
合併後は定期バスになったという経緯がある。それ以前は上野方面のバスだけだったんですね。
月ヶ瀬に入っても茶畑は相変わらず多い。月ヶ瀬というか奈良市東部の特産品は茶だからである。
「大和茶の本場」なんて看板もあったが、実態として府県界を挟んで何が違うのかという話だが。
観梅用の駐車場もいろいろあるが、自転車停めるのにいいところはどこよ、
と、月ヶ瀬行政センター付近に来るとバイクがたくさん停めてある場所があった。
お金取られるのかなと思ったが、特に何も言われなかった。
自転車もいないし、原付すらいない中に、ちょこんと小さなバイクを停めるのは変な感じだったが。
このあたりから観梅を始めるわけだが、まだ咲いてないのが多いなぁと。
当初の予想ではちょっと遅いかもな。(でも見頃ではあるだろう)
と思っていたが、実際はかなり早いというぐらいだった。
2週後の梅まつり最終週になって本格的な見頃になるのでは? なんて思ったがどうか。
旅先で花見というのはタイミングが難しいなと思う。
それでも綺麗に咲いている梅はそこそこあるので、それはそれでと。
ところで今回わざわざ月ヶ瀬まで来たのは、昔に連れてこられたところだからというのもある。
今となってはこれほど行きにくいところはないのだが、
汽車とバイクで行くにはいいところじゃないかとやってきたわけである。
そういえばこんなところだったなと急坂を歩きながら思い出す。
月ヶ瀬というのは普段はそんなに観光客が来るところではなく、
梅の時だけ人が来るので、観梅期は料理を出してるところも、
普段はせいぜい農産品などを売る店なのだろう。梅の時期以外は完全に閉めてるところもあるかも。
そんな店で 梅にゅうめん を食べる。
三輪そうめんのふしを売る店も多く、三輪にはちょっと遠いが一応県内だし。そういう縁か。
にゅうめんに梅干しを突っ込んだだけと言われるとヤケクソ感はあるが致し方ない。
さて、せっかくバイクで来たので湖畔を少し走って行こうと思う。
この一帯はダム建設以前から名勝「月瀬梅林」として登録されていた。
ダムができるとなって当然梅林だって水没の影響があったわけである。
そんな中で梅林を再構築し、月ヶ瀬梅渓と呼ぶようになったという。
南山城村にある高山ダムのダム湖が県境を挟んだ月ヶ瀬の地名を付けているのも、
南山城村ともども水没の影響を受けた月ヶ瀬への敬意もあったのだろう。
まぁそれにしても咲いてないんだよな。時々きれいに咲いてるのはあるが。
月瀬橋を渡ってから、東に走って山添村との境目あたりで折り返し、
そのまま月瀬橋を見ながらまっすぐ進むと「名勝 月瀬梅林」と書いた古い石柱がある。
近くにあるバス停には「月ノ瀬」と書いてある。
バイクを停めて階段を上っていくと、このあたりが月ヶ瀬梅林でももっとも古いエリアらしい。
高台なので眺めはよいが、肝心のこのあたりの梅はあまり咲いてない。
そのまままばらに咲く梅を見ながら進んでいく。
元々は八幡橋で往路と同じルートに戻ろうかと思ったが、急坂が見えて、
ちょっときつそうだなと思い、対岸をしばらく進み、高山大橋で元のルートに戻ることに。
この先通行止めと書かれた看板を見てぎょっとしたが、高山大橋までは進めるので問題はなかった。
ただ、こっちのルートも急坂が続き、かえって悪かったのではと後悔。
川沿いに進むだけといえばそうだけど、ダム湖で急峻な渓谷になってしまい、
川沿いには進めないということでこうなっているのだろう。
ただ、面白い発見もあった。というのはこのあたりが「高尾」という地名だったことである。
往路は「田山」という地名で、高山ダムの高山って何の地名だろうと気になってたが、
答えは明治の町村制のときに高尾と田山で作った高山村に由来するということで、
結果としてはダムの両側の地名を拾っていたわけである。当然、高山大橋もそうである。
月ヶ瀬口駅付近に来て、汽車まで時間があるなということで、
163号線を渡って 道の駅「お茶の京都みなみやましろ村」で一服することに。
おびただしい数のバイクに驚く。自転車もけっこういたな。
163号線沿いの休憩施設ということで多くの人が利用しているようだった。
確かにそういう施設はあまりなかったかもしれない。
やたら「村」をアピールしているなと思ったのだけど、
そういえば南山城村は京都府で唯一の村である。だいぶ昔からそうだった。
もっとも人口では隣の笠置町の方が少ないが、南山城村が村にしては人口が多いという話ではない。
「お茶の京都」は京都府が山城地域を言うのに使うようになった言葉で、
関西本線の汽車でもお茶の京都のラッピングをされた車がいて、それに乗ってき。
南山城村の特産品と言えば、そりゃ茶なのであまりに当然なのだが。
そろそろ戻らないとと駅に戻ってきてバイクを畳んで、跨線橋を渡って待つ。
2両編成で走る汽車はだんだん客を降ろしながら進んでいくが、
柘植駅では草津線との接続でどっとのってきて立ち客も少し出ていた。
やっぱり関西本線は鉄道として有用な使われたかたをしているよなと思う。
亀山駅ではちょっと待ち時間があって、きっぷを受け取ろうかと思ったが、
指定席券売機がないので、それだとえきねっとで注文したきっぷが受け取れないなと。
結局は名古屋での乗換時に受けとるしかないかと。
名古屋駅で一旦改札の外に出て、券売機で受け取るがけっこうな行列である。
クレジットカード専用券売機という位置づけなので普通にきっぷを買う人もいるんだな。
(西日本管内ではこれは「みどりの受取機」なので基本的に受取専用だが)
無事にきっぷを受け取って、ホームに上がって、ほどなく列車が入ってきた。
最後列の荷物スペース付き座席を取ったが、乗車位置が悪く、
車内を横断する必要があるもすれ違えないので、退避してもらったり、
すでに置かれている荷物との位置関係が悪く調整してもらったり……
しかしのぞみ号は速い、あっという間に東京駅に到着した。
東京駅でエレベータを使う場合、一旦外に出れば平面移動だけでいけるが、
乗換改札を使うと一旦上がって下がってとなって大変である。
というので一旦外に出してのりかえさせてほしいと申し出たが断られた。
東京駅で途中下車できるきっぷなら当然問題ないのだが、
今回は横浜市内までのきっぷに、川崎からの乗り越しのきっぷを付けていた。
この場合、東京駅は本来途中下車出来ない駅となる。
それでも事情があると認めれば一旦外に出してもいいのだが、
スロープがあるので理由がないとのことだった。これは想像より厳しい。
ただでさえ東京駅の乗換は歩く距離が長いのに、アップダウンでさらに消耗も激しく大変である。
そんなこんなで電車に押し込んで、最寄り駅で下車。
バイクを組み立てて少し走ってゴールとなった。
そんなこんなの関西滞在だった。
まだ固めてないけど来月には万博のための関西行きがあるはず。
そのときはバイクは使わないかな。まだわかりませんけど。