こんなニュースが流れてきて、大概呆れられていたのですが……
ホンダ・日産の経営統合、破談の公算 日産子会社化案で協議継続困難 (毎日新聞)
ホンダと日産が共同で持株会社を作って経営統合するという話について、両社で議論が行われていたが、
日産の経営再建という点ではホンダが日産を子会社化するのがよいのではないかと提案があるも、
これでは「対等の関係」とはいえないと日産からの抵抗が大きく、破談になりそうだという話である。
日産というのは社内での権力闘争についてのエピソードがいろいろある会社で、
そういう会社がホンダの子会社になることに抵抗するのは、容易に想像できる話だとか言われてたが。
子会社になれば日産の経営陣のほとんどは残れないのはそうなのだろうけど。
ホンダが想定している子会社化の方法がどのようなものかはわからないけど、
株式移転での持株会社設立であれば、株主に払う現金はいらないが、
例えば、株式公開買付で子会社化するとなれば、それだけの現金が必要である。
観点によってはホンダにとってリスクを負う話である。
確かに子会社化というのは資本的に言えば「対等の関係」とは言えないが、
「対等の関係」での経営統合といいつつ、一方の子会社になる決断をする会社もある。
DMG森精機が「日独統合」を早めた理由 (東洋経済ONLINE)
森精機がDMG森精機と社名を変えたのは2013年のこと。
2009年にドイツのGILDEMEISTER社と提携関係を結び、
同社も2013年にDMG MORI SEIKI AGと社名変更をしているが、
この時点では両社はお互いの大株主という程度の関係である。
当初描いていたのは、東京とフランクフルトの両株式市場に上場する1つの会社になるという案で、
株式の買付などにお金を使わず、社内での投資に回したいという意図があったわけである。
ところがこのような国をまたぐ株式交換というのは大変難しい事情があった。
独立した2つの会社のままでは経営の一体化はおおよそ困難である。
そこで日本のDMG森精機はドイツのDMG MORI SEIKI AGを子会社化することを決断した。
公開買付のためにお金はかかるけど、両社の経営を一体化することを急いだわけである。
日本のDMG森精機としては短期間で回収可能であるとの判断である。
資本的には親子関係ではあるが、「対等の関係」とはアピールされており、
ガバナンスについても「両者間での(意思決定の)取り決めは厳密に決められている、AG社の自由度は確保する」(森社長)と明言。さらに「保有比率が100%となれば取締役の数は(DMG森精機とAG社と)半々にしたい」と、対等の経営統合を目指す姿勢を鮮明にした。
と書かれているとおりである。なお、現在もドイツのDMG MORI AGは当地で上場を維持している。
形式的にはそっちが存続会社だけど……という話もあって……
イオングループ内の食品スーパー事業の再編の話だが、
フジとマックスバリュ西日本(2021年にマルナカ・山陽マルナカを合併)が2022年に経営統合、統合後の社名は「フジ」となった。
ただ、統合して早々、本社を松山から広島に移転している。
ここはマックスバリュ西日本の本社であり、イオンリテール中四国カンパニーの事務所である。
統合の経緯もあり、上場企業で後からイオングループに入ったフジの名前は残したが、
組織という面では旧マックスバリュ西日本を継承する部分が多かったようである。
イオングループでは今後、ツルハとウエルシアの経営統合が控えている。
この経営統合の具体的な手法はまだ明らかではないが、
統合後はツルハホールディングスがイオングループのヘルス&ウエルネス事業の統括会社になるとされている。
でも、事業規模で見ればウエルシアの方がはるかに大きく、同社の体制を引き継ぐ面が多いのではないかとは言われている。
この経営統合の経緯としては同族経営が続くツルハの体制にオアシス・マネージメントが問題視したことがある。
体制が整った会社の傘下に入るのも手段と、大株主のイオン傘下に入る選択肢が呈示され、それを選んだわけである。
ツルハホールディングスが存続会社になる予定であるのは、創業家にとっての納得感のためだと思われる。
だからといって現在のツルハの経営陣が残れるという保証はないのである。
歴史ある会社を様々傘下に入れてきたイオンだからこそ探れた妥協点なのかもしれないけど。
というわけで形式的な部分だけ見てもいけないのである。
ホンダと日産の件に付いて言えば、このような提案がなされた背景には、
日産側に「対等の関係」という考えが欠けていたんじゃないかと想像するところはあり、
ホンダとしてはこのような会社と一蓮托生となるのは受け入れられないとなったのではないか。
それなら単純に破談としてもよかったのかもしれないけど、
ホンダが日産の経営に責任を持てる形であれば受け入れられるとしたのではないか。
その手法として公開買付を選べばホンダとしては余計なお金はかかってしまうが、
それでも日産の再建に成功できれば価値はあると。そう判断したのだと思う。
けっこうな譲歩だったんじゃないですかね。で、それを日産は蹴りそうだと。
そもそもこの経営統合の引き金を引いたのが、台湾のホンハイ精密工業による日産の買収提案だったとされている。
で、なぜホンハイは日産を買おうとしたのかというと、
同社の自動車部門のトップの関氏が日産出身という縁があったからである。
ただ、関氏は日産からホンハイに直接転職したわけではない。
その間には日本電産(Nidec)の社長、永守氏の後継者候補だった時期がある。
永守氏は日産の副COOを引き抜いてきて後継者にしようとしたのである。
ところが永守氏のお眼鏡にかなわず、ホンハイに転じたという経緯がある。
このあたりの経緯はかなり理不尽な話で、永守さんもひどいことをしたもんだと思うのだけど、
そもそも関氏が永守氏の誘いに応じたのも、日産社内の権力闘争が背景にあったのではという説がある。
結局は身から出た錆なんじゃないですかね。真相はさておき。