どっちももと民部省

明日から出かけるのだけど、台風からちょうど逃れられるかとおもったら、

どうも明日・明後日と台風の影響を受けそうな感じになっていて、

うーん、大丈夫かなぁとなっている。全然移動できないということはなさそうだけど。

大きな影響なく行ければいいんですけど。


今さらという感じはするけど、国土交通省という役所がある。

主に建設省と運輸省を合併した役所である。

今にして見ればなんで別々になってたんだろうね? という感じもあるが、

運輸省という役所は1943年まで存在した鉄道省に由来する。

一方の建設省は1947年まで存在した内務省の建設部門に由来する。

そう言われるとなるほどという気はする。


ただ、それもさらにさかのぼると複雑である。

運輸省と鉄道省の間には運輸通信省の時代があった。

郵便・鉄道・船舶・航空・電気通信 を一手に引き受ける役所だった。

実は鉄道省は逓信省から分離された役所なので、明治時代の形に戻ったとも言える。

もっともこのときに内務省から港湾部門が移管されているのだが。

後に郵便・電気通信は郵政省、現在は総務省の管轄になっている。


しかし、さらにさかのぼると内務省も逓信省も同じ役所だった。

明治政府が最初に設置した役所は律令時代の名前を引きずって、

宮内省・民部省・大蔵省・刑部省・兵部省・外務省という構成だった。

民部省は律令時代は租税・戸籍・土地・道路を扱う役所だったという。

財政を担う大蔵省とともにお金を重視する役所という言い方も出来る。

このため早々に大蔵省と合併したのだが、こうすると民部省のお金以外の業務が気になる。


このあたりの綱引きがいろいろあったが、最終的には工部省と内務省が分離される。

工部省は当時国家事業として取り組んでいた郵便・鉄道も手がけることとなり、これが独立したのが運輸省のルーツ。

一方で内務省は地方行政・警察・土木・衛生・宗教などを扱う役所だったが、

さすがに分離が進み、その1つが建設省だが、もっともよく引き継いだのは自治省だった。

なのでここまでさかのぼれば国土交通省にあたる役所は同根だったとなる。

130年ほども前にさかのぼらなければならないのだけど。


なお、大蔵省は大きく姿を変えずに2000年ごろまでやってきたのだが、

国家財政と金融行政を1つの役所で扱うのは好ましくないという判断か、

金融行政を担う金融庁が設立、大蔵省の名前も2001年に財務省に変わった。

明治時代以来の大改編が財金分離だったといってもよさそう。

こういう考えを早くに経験したのが刑部省を引き継いだ司法省だった。

検察と司法行政を同じ役所でやるのは、三権分立の点で問題がある。

日本国憲法とともに裁判所が分離され、残りは法務省に継承されている。


律令時代の役所もなるほどなと思うところはある。

律令時代の民部省は地方行政の中でも徴税を重視していたが、

現在の総務省は民主主義の基本となる地方自治を担う役所である。

観点は違うし、民部省にあたる総務省だけではないが、考えとしては現代まで通じる部分もあったかもしれない。