直線基線による新内水と群島水域

先日、中国の「領海」について書いたときにこんなことを書いた。

基線というのは低潮線を元にして、湾口・河口などを直線で結んだものが使われる。

基線の内側は川と同じく領土中の水域として扱われる。(瀬戸内海など)

(領海も大陸棚もこんなに広くはない)

実はこれは厳密には正しくない。

基線の内側を内水というが、内水でも領海同様に無害通航権が認められるところがある。


領海は沿岸国の主権がほとんど及ぶが、全ての船舶に無害通航権がある。

全体が1つの国に属する 港・湾・河川 はそのような権利はない。

それより外ならば領海でも一定の条件を満たせば自由に通過できると。

基線の内側の例として瀬戸内海を書いた。

しかし、瀬戸内海は行き止まりではないので通過目的で使おうと思えば使える。

このため瀬戸内海の中を全て内水として扱ってよいのは自明ではない。

とはいえ、難所続きの瀬戸内海を日本発着でないのにあえて通るメリットは見いだしにくい。

そこで、瀬戸内海が日本の内水であるということは定着しているとして、

日本の領海法では「内水である瀬戸内海については、他の海域との境界として政令で定める線を基線とする」と特別な規定を設けている。

このような水域を「歴史的水域」というらしい。


全体が1つの国に属する 港・湾・河川 は無害通航権はない。

瀬戸内海も歴史的水域で無害通航権はない。

これ以外の内水が存在していて、それが直線基線に由来する「新内水」である。

直線基線とは (海上保安庁 海洋情報部)

直線基線というルールが生まれたのはノルウェーらしい。

1951年の裁判で直線基線を肯定する判決が出ているから相当古い。

ノルウェーはフィヨルドにより複雑に入り組んだ海岸線になっている。

当時は領海の範囲は3海里とか4海里とする国が多かったそう。

そして内水と認められるのは湾は 湾口が10海里までで湾の面積が湾口を結ぶ半円より広いこと となっていた。

現在は領海は12海里以内、湾は湾口が24海里まで――と緩和されている。

さらに当時は現在のような排他的経済水域も確立されていなかった。

このような条件では湾の条件を満たせない入り江も多く、

その入り江の中にも公海が多数存在し、ノルウェーの漁業管理も行き届かない。

これは取締上の問題ということで、複雑な海岸の包絡線を結ぶように直線基線を主張したわけである。

で、これはノルウェーの海岸線の形状にとって妥当であるという判決があったと。


この方式は後に国連海洋法条約で成文化され、1997年に日本も条約に従って直線基線を定めた。

ただ、この国連海洋法条約では直線基線についてこのような制約を設けている。

直線基線がそれ以前には内水とされていなかった水域を内水として取り込むこととなる場合には、この条約に定める無害通航権は、これらの水域において存続する。

「それ以前に内水とされていなかった水域」すなわち「新内水」である。

新内水では無害通航権を認めるということは、新内水はどちらかというと領海のルールに近いということがわかる。

直線基線により基線が今までより外になるので、内水も領海も広がるが、

広がった分の内水は領海相当の無害通航権を認めると。

領海は明確化されるが、航行の自由はできるだけ維持すると。


直線基線が採用できるのは「海岸が著しく曲折している」か「海岸に沿って至近距離に一連の島がある場所」で採用できるとなっている。

海岸が屈曲しているという点では、三陸海岸・熊野灘・若狭湾あたりが該当する。

石狩湾、土佐湾は形状はつるっとしてるが湾口に直線基線を引いている。

海岸に沿って一連の島がある場所で理解しやすいのは、

  • 九州北西部の五島列島~壱岐
  • 沖縄本島東側の久高島~伊江島

といったところだと思うが、実際にはこんなところも直線基線にしている。

  • 都井岬(串間市)~三島村~草垣群島~宇治群島~甑島列島~五島列島 (上甑島~黄島(福江島近く)は62海里)
  • 壱岐島~沖ノ島~見島~鳥屋鼻(江津市) (沖ノ島~見島~鳥屋鼻は各61海里・57海里)
  • 能登半島~舳倉島~佐渡島 (舳倉島~佐渡島は62海里)
  • 佐渡島~粟島~飛島~男鹿半島 (飛島~男鹿半島(入道崎)は50海里)
  • 男鹿半島~久六島~津軽半島 (久六島~津軽半島(竜飛崎)は58海里)
  • 雄冬岬(当別町)~天売島~礼文島~宗谷岬 (天売島~礼文島は53海里)

()に書いたのは48海里を越えるような長い直線基線ですね。

直線基線の長さには定めはないのだが、長い基線には注意が必要かもしれない。

直線基線にはこのような規定がある。

直線基線は、海岸の全般的な方向から著しく離れて引いてはならず、また、その内側の水域は、内水としての規制を受けるために陸地と十分に密接な関連を有しなければならない。

「海岸の全般的な方向から著しく離れて」というのは基線が極端に出っ張ることだろう。

さっき、五島列島~壱岐が九州北西部の沿岸に並ぶ島々だと書いたが、

そこはおそらく疑問はないと思うのだが、そこから長崎半島で九州に戻る線を引くと、

この付近の九州の形状に合わないので、五島列島を出っ張らせたように見えるかもしれない。

そこで、五島~甑島を結ぶ62海里の直線基線を主張する。(これが日本の直線基線でもっとも長い)

こうすると九州の全体的な形状との整合は取りやすくなる。

ただ、天草下島から20海里ほど、長崎半島から28海里ほども先に基線を引き、そこから領海を12海里も主張するというのは、なかなかである。


この直線基線を見て、あれ? と思ったのが伊豆諸島である。

房総半島(野島崎)~大島~神子元島(下田付近)~御前崎 という直線基線があるが、

大島~利島~新島~式根島~神津島のラインは伊豆半島の沿岸に並んでいて、

なんでこれを直線基線に組み込まなかったんだろう? という疑問があった。

そこで実際に線を引いてみたのだが、確かに難しいなと思った。

神津島から伊豆半島に向けて引くと露骨に出っ張らせているように見える。

神津島から御前崎に引いても少し怪しいし、この直線基線は51海里ほどある。


日本海側は全般的に列島の包絡線というには疎に過ぎる印象である。

能登半島~佐渡島の間に舳倉島を挟むのは、だいぶわざとらしいし、

沖ノ島・見島を挟むことで壱岐島~江津の基線を引いたり、

粟島・飛島を挟むことで佐渡島~男鹿半島の基線を引いたり

北海道でも天売島を挟むことで雄冬岬~礼文島の基線を引くのもなかなか。

これでは「群島基線」みたいだなという指摘もあった。


一部の群島国家では、群島の包絡線に「群島基線」を引いて、その内側を「群島水域」として主張していることがある。

群島水域も新内水みたいなもので、無害通航権は認められている。

群島水域を主張する国の1つがインドネシアである。

インドネシアは日本となにかと関係の深い国である。

海上交通という点ではロンボク海峡があり、マラッカ海峡の迂回路として知られる。

マラッカ海峡より水深が深いので超大型船はここを航行する必要があるが、最近は流行らないらしいが。(cf. 原油タンカー:大きすぎて通れません! (海の不思議箱))

迂回路以外だと西オーストラリアとの航行が多いのかな。


このロンボク海峡がインドネシア領海内というのは不思議ではないが、

インドネシアはジャワ海・バンダ海やマカッサル海峡を包含する群島水域を設定している。

The geographical coordinates of point of the Indonesian archipelagic baselines

群島水域は列島の包絡線を基線とする点では、直線基線とも似ているが、

直線基線は公海を分断してはいけないというルールがある。

新内水の中に組み込まれた島はもともと領海でつながっていた島である。

群島基線にはそのようなルールはなくて、基線は原則100海里以内(全数の3%以内で125海里まで許容)となっている。

マカッサル海峡の北側に引かれた基線(TD040~043)は85海里もあるがルールを満たしている。

これがなければ、カリマンタン島とスラウェシ島は領海でつながらないと思うので、まさに公海を分断する基線である。

群島国ではこのような主張も認めているということである。

その代わりマカッサル海峡~ロンボク海峡には群島通航帯というのを規定している。

インドネシアの海洋安全保障政策カントリー・プロファイル(pdf) (日本国際問題研究所)

群島水域の通航(無害通航に当たらないものも含む)を認める群島通航帯は3つ規定されている。

この3つ以外は無害通航権も認めないという主張らしいが、それはいいのか?


直線基線と群島水域、どちらも近年物議を醸している話題があるという。

直線基線はカナダの北西航路にまつわる問題である。

カナダはセントローレンス湾・ハドソン海峡をふさぎ、北極諸島の包絡線を描く直線基線を規定している。

そして、その直線基線の内側は内水という主張をしている。

内水というのは瀬戸内海と同じような歴史的水域ということらしい。

北極諸島周辺の海は年中氷に閉ざされとても航行できないので、行き止まりも同然であると。

ところが近年では地球温暖化の影響もあり、北極諸島を通り抜けて太平洋・大西洋を行き来する北西航路が実用出来るのでは? という話が出ている。

このような事情もあり、アメリカなどが北西航路は国際海峡として通過通航権が認められなければいけないと主張していると。

日本では瀬戸内海が内水であることに疑いは持たないだろうけど、

こういう主張はそこまで簡単な話ではないと知っておくべきなのだろう。


群島水域だが、こちらはまさに中華人民共和国の南沙諸島である。

最近、南沙諸島に群島基線っぽいものを主張しだしたらしい。

大陸に本土を持つ国が群島国としての地位を主張することはできないので、

直線基線の一種だと言っているのだが、実態は群島基線である。

なぜならば、南沙諸島全体の包絡線を引いても、どの島の海岸線を代表する線とも言えないから。


日本の直線基線も群島基線みたいだねとは書いたけど、

本州・九州・北海道といった島の海岸線の向きや長さを意識して、

(列島というには弱いにしても)島々の包絡線を選んで基線にしている。

インドネシアの群島基線だって単なる島々の包絡線とも言えない。

リアウ諸島、スラウェシ島~ハルマヘラ島、ニューギニア島~ティモール島の区間は比較的小さな島々の包絡線そのものだが、

それ以外の区間は比較的大きな島の海岸線を意識しているとは言えるのではないか。

結果として島々の包絡線でも、主となる海岸線を代表しているとは言える。


ちなみにこのあたりの情報はアメリカ国務省の「Limits in the Seas」を多々参考にしている。

アメリカは各国の水域についての主張にいちゃもんを付けて回っている。

日本の直線基線にもケチを付けている。九州周辺の指摘が主だったか。

そして海軍もこのような疑惑に対して「Freedom Of Navigation OPeration」として実力行使を行っている。

「航行の自由」 米、対馬海峡で作戦実施 日本の領海設定 問題視 (山陰中央新報デジタル)

微妙な水域を無害通航とはいえない航行をしたんじゃないかと思うが。

インドネシアの群島水域も、カナダの北極諸島周辺の内水も、そして中国の南沙諸島周辺もいずれもアメリカは指摘している。

カナダについてはLimits in the Seasには資料はなかったけど、

東海岸とアラスカ州を結ぶ経路なので、砕氷船の通航など実力行使をしたことは確か。

このあたりの主張は一貫しているところである。