無力化されたストライキ

週の頭ごろからJRAで厩務員らがストライキをするかもと話題になっていた。

栗東・美浦の両トレーニングセンターの4組合が連帯して要求していた。

なお、ストライキが実施された場合でも、馬の世話はすると言っている。

競馬開催に関わる業務に限ったストライキとのこと。


厩務員らの労働組合の交渉相手は日本調教師会と日本馬主協会連合会で、

調教師に預託料を払う馬主側とあわせた労使交渉になっていることが特徴的である。

預託料が厩舎スタッフの給与と飼料など馬の世話にかかるコストがほとんどで、

調教師にとっては馬主側との合意なく給与など変えられないという事情がある。

馬主にとってもJRAのレースを使うには、基本的に栗東・美浦の厩舎に預けるしかなく、

預託料が上がるなら他のところに馬預けるわとは言えない。

このため、発注元を交えた労使交渉が成立しているとも言える。


ただ、この交渉で労働組合の要求は受け入れられなかったものとみられる。

そうなればストライキ決行かとなったのだが、1組合がストライキから離脱。

ここで離脱したのが全国競馬労働組合、栗東における多数派組合である。

これにより栗東トレーニングセンターの業務に大きな支障は発生しないことなった。

このため調教師会は3場とも開催したいと伝え、JRAもその通り開催することに。

JRAとしても通常、厩務員が行う業務の一部を肩代わりし、

両トレーニングセンターの調教師や、非組合員で穴埋めして乗りきったという。

ストライキ起因の出走取消もあったが2頭に留まったとのこと。

かくしてストライキは無力化、残る3組合も明日は通常通り業務にあたるとのこと。


ストライキを行うと、その分の賃金は得られないこととなる。

今回の場合、競馬開催以外の業務は行うと言っているので、

賃金はほとんど通常通り発生しそうだが、明確に失うものがある。

それは賞金である。厩務員も賞金の5%を進上金として受け取るのである。

おそらく栗東の労働組合はこのデメリットを考え、離脱したのではないかと思う。

ストライキを決行することで馬主側の譲歩が期待できればよかったが、

交渉の中でそれは現実的ではないと理解し、賞金を取りにいくべきとなったのではないか。


今回の交渉での要求内容というのは、2011年からの新賃金体系の廃止だという。

この1点の要求について4組合、両トレーニングセンターの大半が連帯した。

厩務員の給与というのは勤続年数・業務内容により明確に決まっている。

このテーブルが2011年に変更され、従来より2割減の水準になったそう。

ただし、それ以前からの在籍者は従来のテーブルがそのまま適用されている。

同じ厩舎であっても働き始めた時期で給与が2割違うのだからびっくりである。


どうしてこういうことになったのか?

2011年頃は馬券売上の低迷で賞金も下がり、馬主としては預託料の引き下げを求めた。

預託料引き下げには人件費の引き下げが必須で、2つの方策がとられた。

1つは人員配置の見直しで、従来は13人が基本だった厩舎スタッフの数を12人に改めること。

もう1つがスタッフの賃金水準を下げることだったという。

ただ、どちらにもすでに働いているスタッフへの影響を考え、

人員削減は定年退職者の不補充で、賃金水準の引き下げは新規採用者からとなった。

どちらも預託料の引き下げ効果を得るには少し時間を要する内容だが、

既存スタッフに不利益変更と言われないようにこのような内容にしたとみられる。


その後、JRAの馬券売上は回復し、賞金・手当も引き上げられた。

一方で厩務員を育成する競馬学校の応募者数は減少しており、

そのような状況も背景に新賃金体系の廃止を求めたとみられる。

ただ、賞金・手当の引き上げの馬主にとっての恩恵も一律ではない。

飼料代の上昇など、馬主にとっても負担増が続いている。

馬主側からしてみれば、賃金体系見直しの効果がやっと出始めたところで、

その刈り取りをする中で、それを元に戻すのは受け入れがたい話であろう。


賞金・手当の引き上げの恩恵が一律ではないと言ったが、

例えば、ジャパンカップの1着賞金は2011年が2.5億円、2023年は5億円で2倍である。

でも、そこまで賞金が引き上げられたレースはほとんどない。

そもそもオープンクラスまで到達できる馬は限られた存在だし、

それ以前に未勝利戦を突破できるのも3割ほどだからそれどころではない。

2012年と2023年で1000万下(2勝クラス)までの一般競走の賞金・手当を比較してみた。

  • 2歳未勝利
    • 本賞金:1着500万円→550万円
    • 内国産馬奨励賞:1着70万円→80万円
    • 内国産牝馬奨励賞(牝馬限定戦以外):1着50万円→100万円
    • 特別出走手当 356000円(9着以下は331000円)→490000円
  • 3・4歳以上500万下(1勝クラス)
    • 本賞金:1着720万円→800万円
    • 内国産馬奨励賞: 対象外→1着90万円
    • 特別出走手当 371000円(9着以下は346000円)→470000円(芝1800m以上は530000円)
  • 3・4歳以上1000万下(2勝クラス)
    • 本賞金:1着970万円→1140万円
    • 内国産馬奨励賞: 対象外→1着150万円
    • 特別出走手当 371000円(9着以下は346000円)→470000円(芝1800m以上は530000円)

そこそこ上がっているのだが、注意が必要なのは賞金・手当は消費税を含んでいること。

この間に消費税率が5%→10%で上がっている。

本体価格ベースでは未勝利戦の本賞金は 476万円→500万円 である。


上記の賞金・手当について、特別出走手当は全て馬主の取り分である。

また、特別競走の付加賞は馬主の払った登録料を分配したものということで、

騎手の取り分が5%ある以外は全て馬主の取り分である。

それ以外の賞金は馬主80%・調教師10%・厩務員5%・騎手5%で分け合う。

なので賞金引き上げの恩恵を馬主が受けているならば、厩務員にも及んでいるのである。

ただ、未勝利や500万下のような下級クラスではその恩恵も限定的である。


下級クラスでもっとも大きいのが馬主に支給される特別出走手当の増加だと思う。

確かにこれは馬主にとって大きいのだが、出走機会の減少という問題もあり、

3歳未勝利戦の3アウト制、降級制度(4歳夏でクラスが下がる)の廃止など、

クラス下位の馬には苦しい制度を導入しているが、なかなか改善していない。

結局のところ、出走手当増だって恩恵を受ける馬主は限られていると。


栗東の労働組合がストライキから離脱したことも、これらと無関係ではないだろう。

さっきも書いたように賞金の一部は厩務員の取り分となっている。

俗に「東西格差」と言われているが、栗東所属馬の成績が美浦所属馬を圧倒する状況が続いている。

ここにはいろいろ複合的な要因があると言われている。

栗東に比べて美浦は輸送時間が不利な競馬場が多く、出走機会に影響するというのもある。

労働組合との関係もあると言われている。栗東の方が人員配置の柔軟性が高いのである。

これらが重なり、素質馬が栗東に集まり東西格差は固定化したと言われている。

労使が協調して賞金という実利を得てきた栗東の厩舎スタッフにとって、

ここでストライキに出るのは悪手という判断があったのではないかと。


どうして馬主を交えた労使交渉が成り立つのかというところで、

「預託料が上がるなら他のところに馬預けるわとは言えない」と書いた。

でも栗東に預けるか、美浦に預けるかというような選択肢はある。

実は栗東と美浦だと、美浦の方が預託料は高い傾向にあるという。

これは人件費の差と言われており、スタッフの人員構成の差とみられる。


このため美浦で成績が低迷する厩舎は、そもそも馬が集まらないし、

集まっても結果が期待しがたい馬ばかりとなれば、大した賞金は得られない。

近年はそのような馬はそもそも出走機会を得ること自体が難しくなっている。

だからこそ労働組合は給与の底上げを期待したのだと思うが、

賞金増の恩恵がない、すなわち結果が伴わない厩舎の声はなかなか通じないだろう。

栗東と美浦という切り口で言えば、そもそも美浦の預託料は高いのだし。

過去の経緯もあり、今でも払いすぎというのが馬主の感覚なのではないか。


というわけで、なかなか思うようにはいかないものである。

確かに同じ職場でありながら大きく異なる賃金体系の人が混在しているのは問題で、

その打開を目指してこういう策を考えたことは理解できる。

ただ、妥協案を見いだすにはあまりに難しい要求だったのではないかと思う。

部分的な結果でも得られる案を考えておくべきだったか。


というわけで、この週末は結局、ストライキの効果はなかったのだが、

今後、特に美浦の労働組合の先鋭化への懸念もあるところ。

ただ、それが厩舎スタッフにとってよい方向に働くかはよくわからない。

結局のところ、このストライキ騒動は栗東の離脱も重なり、

結果を出せないのに給料だけ要求するという印象が強まってしまった。

本当は若手の給料の底支えというところでアピールしたかったが、

なかなかそういう形では馬主に理解してもらえなかったのではないか。

その状況で強硬姿勢に出て、果たしてよい回答が得られるだろうか?


まぁこういう状況には心当たりがあるんですよね。

数年前の春闘で、所属する労働組合のある要求がほぼ聞き入れられなかったことがあり、

そのときに交渉委員がこれ以上の妥協は引き出せそうにないとのことで、

交渉委員が相当に疲弊した様子だったのが印象的である。

いくら不本意でも、これにNOを突きつけるほどの覚悟はなかったよね。

いろいろな話を総合するに、今回はそういう状況だったんじゃないかなと。

次にどうするかはわからないけど、作戦の見直しが必要なのは確かだろう。