茶の湯と太陽の塔

今日は京都に行く予定は当初からあったのだが、あまり計画は固まっていなかった。

そんな中で両親と話をしていたら、太陽の塔の話が出てきて、

そういえば中に入れるようになったんだったなと。予約もわりと空いてるんじゃないと。

調べたら団体客が入っているのか混んでいる時間はあったが、前日でも予約が取れたので、京都~万博公園をハシゴすることにした。

ちょっとよくわからない組み合わせだが、思ってるよりは近い。


京都なんていくらでも見るところあるでしょうという話はあるが、

そもそも12月にも来るので、11月に京都はいいかなという思いもあった。

ところが京都国立博物館で行われる「茶の湯」展は12月に来るときにはもう終わっているのである。

そこまでして見に行くものかという思いもありつつ、いや外せないだろうと。

京都近くで他に行くところがあるかと考えたが、これといっては思いつかず。

悩んでいた中での妙案だったということである。そこまで後押しされては京博に行かないとね。


近鉄電車で京都市内に入り、丹波橋・竹田と乗客が減っていく中、京都駅の手前の東寺駅で下車。

駅前のローソンで券を買って(特に安くは無い)、九条通のバスに乗り東山七条まで。

近鉄沿線からならこれがおそらく一番楽。

丹波橋から京阪で七条まで行くのが一般的だと思うが、七条からも歩くし、意外と運賃の差も少ない。九条車庫前での乗務員交代が気になるぐらい。

京博は相変わらず明治古都館(旧本館)は閉鎖中。今は改修の計画を立ててる段階らしい。

なにが困るって特別展をやると平常展が止まることである。本来は平成知新館は平常展のために建てたはずなのに。


「茶の湯」展というと茶具とか調度品とかそういうのばかりだと思ったが、

確かにメインはそうだけど、茶にまつわる絵なんかも多くて、茶の文化がいかに根付いていたかというのを知れる展覧会だった。

なんか普段より分量が多いなと思ったんだけど、その要因かなと思ったのが1階の展示内容である。

平成知新館の1階は仏像など彫刻の展示がドカンとあって、これは特別展のときもそのまま残っていることが多いのだが、今回はこれを除けていた。

その代わりにあったのが 千利休が作ったという 待庵 と 豊臣秀吉が作らせた 黄金茶室 の再現展示ですね。

黄金茶室の再現はもともとあったが、待庵の再現展示はこのために博物館内で作ったというものでかなり手の込んだ内容である。

このために仏像を除けたんですね。そこにも展示を押し込んだのでちょっと内容が多い印象があったと。

わざわざ京都まで行く意味あるんかいとか思ったけど、やっぱりこれは京都まで行く意味あったねと。思った以上の内容だった。


博物館を出て、京都駅まで行くのに乗ったのはプリンセスライン、あまり一般的なチョイスではないと思うのですが……

真っ赤なバスで東山七条へ

このバスを選んだ理由は昼食の都合で八条口に行きたかったから。

京都駅までなら歩いてもいいと思ったが、線路を越えるのが感覚的に遠いから八条口行きのバスということでプリンセスラインとなったと。

ちょうど230円分の小銭もあったしね。(自社定期券・回数券以外は現金しか使えない)

七条通→油小路通→八条通とぐるりと回るのに時間がかかるのが難点ですが。

(逆に八条口→東山七条ならものすごい速いんですけどね)


京都から万博公園に行く最短ルートはまずJRに乗って茨木駅へ向かう。

快速(京都駅では普通と表示されている)でも30分かからない。

そして駅前から阪大病院行きのバスに乗る。ものすごい本数走っている。

それで日本庭園前で降りる。バスの行き先表示にも表示されているバス停だが、これが万博公園最寄りであるというのは知らないとわかりにくい。

ここから案内表示に従って進むと万博公園の東口に到着する。

ここまで京都駅から45分。思ってる以上に京都から近かった。


東口の改札で太陽の塔の予約画面を見せると、窓口で入園券と引き換えると言われた。ここでは特にQRコードの出番無し。

日本庭園前というバス停だが、言うほど日本庭園の入口は近くない。

この理由は万博公園の駐車場が公園東側から入り込んでいるためである。

このため日本庭園に行くには公園の中央付近、太陽の塔の裏側まで回り込まないといけない。

万博公園に来るのは初めてではないけど、せっかくだし日本庭園を散策するかと。

日本庭園の入口には券売所と改札があるが無人である。

なんでこんなところに券売所と改札があるのかというと、万博公園内に国立民族学博物館(みんぱく)があるため。

入園券の裏面にこう書いてあるんだけど。

「自然文化園通行券」は自然文化園のみ通行できます。

「大阪日本民芸館観覧券」で自然文化園も入園できます。

通行券というのはみんぱく来館者が発行を受けるもので、園内は通過だけできて、通過では日本庭園を通らないのでこれを弾くための改札である。

一方で日本民芸館はこういう表記だが、日本庭園も入れるらしい。

今日はみんぱくの休館日なのでこの改札の意味が無いからかフリーパス。

でも普段からここって人詰めてるのかな。前来たときどうだったっけ?


日本庭園を散策したらちょうどいい時間だったので太陽の塔へ向かった。

事前に予約して料金を支払っておいたが、当日でも空きがあれば太陽の塔の料金だけ払ってその場でチケットを買えるようだ。

太陽の塔というと大阪万博のテーマ館を構成するものだった。

万博のパビリオンというのは閉幕後に解体する前提で作られていて、太陽の塔も例外では無かった。

それでも万博のシンボルとして残されたのだが、その外観を維持するだけでも大変だと言われていた。

そんな太陽の塔、万博当時は中に入れたというのは伝承の話だと思っていたが、復元工事の結果、2018年に再度中に入れるようになった。

話は知っていたが、当初は予約が取れなかったし、すっかり忘れていたのだ。


というわけで復元された太陽の塔、中は「生命の樹」ということで原生生物からヒトへ至るまでの生物の歴史が示されている。

赤い壁に囲まれ、音楽が鳴り響き、怪しげな生物の模型、いかにも怪しげな空間である。

でも1970年の万博のときにはこういうゴテゴテした表現が新しかったんだよね。

音・光までもプロデュースしたのはとても新しかったのだ。

それを現代に体感できるということが大きいんだよね。


太陽の塔の内装の復元に至った経緯は詳しく知らなかったんだけど、これって耐震補強の一環なんですよね。

耐震補強として壁を厚くする必要があって、塔を重くしているエスカレータも撤去する必要があり(当時はエスカレータで太陽の塔の腕に向けて通り抜ける構成だった)、

そこまで手を入れるのなら中の模型の修理・復元、失われた「地底の太陽」の復元をして内部の再公開に至ったのである。


生命の樹は原生生物からヒトに至るまでの歴史を表しているとみるが、パンフレレットにはこう書いてあった。

表しているのは、根源から未来へ向かってふきあげる「生命のエネルギー」です。<生命の樹>は単純な「生物進化模型」ではないのです。

太陽の塔は生命の歴史を時間軸で切り取って見ているわけだが、

むしろ現代の捉え方は原生生物から枝分かれして発展してきた生命の歴史を現代近くで切り取って「生物多様性」というのである。

大阪万博から35年後、愛知万博のテーマ館ではマンモスの展示が行われた。

マンモス絶滅の歴史をたどることは「自然の叡智」につながる取り組みだからということである。

生物多様性というのもそれぞれの生物には根源からの歴史があるということで、太陽の塔とは切り口の違いとも言える。

でも1970年の感覚と2005年の感覚の違いはわかりますよね。


その後、しばらく園内を散策して、中央口を出て、エキスポシティに。

一服したらモノレールで1駅乗って山田駅から阪急電車・堺筋線で大阪市内へ、近鉄に乗り換えて帰った。

近鉄までのルートはいろいろ考えられたけど、これがよいのではないかと。


というわけでちょっと不思議な京都と万博公園のハシゴなのだった。

後で調べたら、京都も万博公園もほぼ同じぐらいの距離感だったみたいですね。

どっちも遠いので、午前・午後でこうして回れたのはよかったのかも。