中之島の2つの美術館が組んで

今日は大阪ということでまずは中之島へ。

地下に埋まった国立国際美術館と、背の高い大阪中之島美術館、見た目は対照的だが、どちらも現代美術は注力分野である。

開館時の国立国際美術館ニュースに両館長の対談が載っていて、両館のコラボレーションへの期待を述べていたが、

まずそれが具体化したのが両館合同の「すべて未知の世界へ ― GUTAI 分化と統合」だった。

2館合わせて1つの展覧会ということである。言うても同じ種類の作品を並べ方を変えただけという側面もあるわけですが。


来館前に知ったのだが、国立国際美術館では改修工事をしているようで、

6月から来年1月にかけて地下2階の展示室(通常はコレクション展に使用)だけを使っているようだ。

本展期間はコレクション展の開催なしというから、よっぽど展示が多いのだと思ったがそうではなかったらしい。

こちらはOKパスポートで見られるが、大阪中之島美術館については特に優遇もないので普通に券を買って観覧。(共通券はあるんだけどね)

実は話の流れとしては、大阪中之島美術館→国立国際美術館の方がよかったのかと後で気付いたが大きな問題はないでしょう。

出てみると館内のいろいろなところに展示物の続きがあったと気づく。


ところで、この2館合同で実施された企画展、テーマは「具体美術協会」である。

紹介文に「戦後日本美術のひとつの原点として、なかば神話化されるに至っています」と書かれているが、この団体はもう50年前に解散している。

僕もそういう団体があったらしいぐらいの感じで芸術鑑賞をしていたが、その実像を知るための展覧会だったんだろうと。

阪神地域が活動の舞台だったこともあり、中之島の両館には具体の作品がいろいろある。これを両館でシェアして、他館からの借り入れも含めて構成した。

これが2館合同の企画展の意味ということになろうと思う。(展示場所を2館に分ける意味はともかく)


では、なぜこの団体は解散してしまったのか。

一番大きな要因は創設者で団体を取り仕切っていた吉原治良が亡くなったことであろうと思う。

展示でも言及されていたがこの人の「ええな」と「あかん」の一言だけで作品が選ばれていたそうなので。

ただ、この団体のもっとも重要なコンセプトである「人のまねをするな、今までにないものをつくれ」というのがだんだん実現できなくなったんだろうなと。

この時代は新しい素材の力も借りつつ、芸術の新しい表現手法がいろいろ生み出された。

ただ、そういう試みが18年行われる中でだんだん凝り固まって行ったのかなと。

団体は役目は終えたものの、ここで生み出された表現が今に生きていることは間違いない。


その後、難波まで移動して、日本橋の電気街を散歩してたら、気づけば新世界まで来ていて、そしたらあべのハルカスもよく見えるし、そこまで歩いてしまった。

日本橋からあべの橋まで、歩いて思ったのは新型コロナウイルスの療養施設として占有されているホテルがいくつもあったこと。

大阪府というと新型コロナウイルスでの死者数の多さが問題となった。

高齢の感染者の多さが要因と言われており、難しい面があるのは間違いないが。

宿泊療養というと、医療機関が逼迫していると抗体カクテル療法の実施施設という意味合いも強いのではないかと思う。

今は一段落かもしれないけど、これから冬になると忙しいのかなとか考えてしまうよね。


そんなこんなであべのハルカスまで来てしまったが、

これといってやることもなく、バスで上本町駅に行って帰宅。

久しぶりに乗りましたね。利用者はそこそこ。運賃100円だとそんなにお金にはならない気はするけど。