安城と半田をゆく

早朝に起きて、東京駅に向かって東名ハイウェイバスに乗り込む。

名古屋行きの東名スーパーライナーはだいたい席が埋まった状態で出発、

出発して1時間ほどはうとうとしていたからよくわからなかったけど、神奈川県内では渋滞につかまりながら、およそ30分遅れで足柄SAに到着。

この先は目立った渋滞はなく、由比のあたりは車線規制(リニューアル工事に伴うもの)があったけどそこまでの影響はなく。

そのままおよそ30分遅れで東名本宿下車、少し歩くと確かに名鉄の本宿駅があった。

乗換に便利とは聞いていたけど、確かにその通りですね。駅→バス停は初めてだとわかりにくいかもしれないけど。


ここから名鉄に乗り込んで新安城で西尾線に乗り換えて南安城まで。

西尾線は名古屋本線との直通運転もあるようで、けっこう利用者はいるようだった。

南安城が名鉄にとっての安城市街への最寄り駅ということになる。

ここから歩いて少し、やってきたのが安城市歴史博物館である。

以前、名古屋市博物館に行ったとき、三河は各地域で博物館がありますからねということをガイドが言っていたが、安城にもあると。

名古屋市の博物館・美術館


安城というのは、徳川家康のルーツである三河松平氏の拠点があったということでこのことを宣伝している。

あと、浄土真宗の影響が大きく、三河一向一揆が起きて、徳川家康の家臣も分裂するけっこうな争いだったと。

この起点となった本證寺があるのも安城市である。

というわけでこの辺が歴史の舞台という感じだが、こういう時代を表す資料というのはなかなか博物館も所蔵できず、複製品を展示するのが精一杯。

結局はそれより古い時代、桜井古墳群とか、あるいはそれより新しい時代、明治以降に農業で栄えたところの資料が充実しているという状況である。

安城市一帯は碧海台地ということでかつては水利に課題があった。

これを打開するためにできたのが明治用水である。

その取水口の明治用水頭首工は固定堰から可動堰に作り替えられ機能強化が図られたが、最近漏水で大騒ぎとなったのは知っての通り。

これにより農地としての開発が進み、デンマークを模範として多角的農業の普及が進み、安城は農業都市として発展したのだったという。

ただ、現在の安城というのは三河の他の都市と同じ工業都市としての側面が強いのが実情だという。


博物館を出て周辺を歩いていると、「安祥城址公園」との記載が。

この博物館の隣接地が展示でも出てきていた安祥城の跡地だったんですね。

まさに歴史の舞台なのだが、コンパクトな城だなと。

実は安祥城は三河で各勢力の争いが続いていた時期は重要拠点として多くの争いの舞台となっていた。

しかし、松平と織田の同盟が結ばれるとその重要性は失われ廃城に。

城というのは平時なら行政機関としての役割もあるわけだけど、それは岡崎城でよかったってことらしい。


なんで安城にやってきたのかという話だが、1つは乗換のためというのもあった。

どこかで名鉄からJRに乗り換える必要があったと。

そこで寄り道できるところとして選んだのが安城だったというわけ。

ということで安城駅からJRに乗り込み、武豊線に乗り換えて知多半島に入る。そして半田駅で下車と。

武豊線は2015年まではディーゼルカーが運行されていたが、現在は電化されて電車が走っている。

そういう路線なので本数は1時間2~3本程度のようだ。


半田にやってきたのも宿の都合である。

ただ、半田というのはミツカンの本社があり、ミツカンミュージアムという博物館があって、これが面白いのではないかと思ったのだけど、

この博物館、長く休館していて最近再開したが、予約制で1日50人ぐらいしか観覧できないのである。

企業博物館ということで広報活動の一環でもあるが、無理に開ける必要はないとなりがちだし、

開館したところでどうせ採算が取れる施設でもなく、最低限の公開になっていると。

しかし、ミツカンの本社とミツカンミュージアムと立派なもんである。


それにしてもなんでミツカンは半田に拠点を置いているのか。

実は半田というのはもともと酒造が盛んな土地だったという。

清酒の製造時には酒粕が発生するが、この酒粕を原料にした粕酢は、江戸前寿司によく合い、価格的な競争力もあったそうである。

こうして酒屋から独立してできたのが中埜酢店、後のミツカンである。

このルーツより中埜酒造(国盛の商品名で知られる)とは同根である。

ミツカンは瓶詰めの酢で市場を獲得し、世界展開を果たすこととなり、また酢以外の調味料や納豆でも知られるようになった。

一方で会社のルーツである粕酢も継続して生産しており、江戸向けに使っていた「山吹」という商品名で販売されている。

そういえば寿司に赤酢(色からこう言われることもある)が使われることがあるとか聞いたことがあるけど、そういう背景だったんですね。


ミツカンは現在も中埜家による同族経営が続く非上場会社である。

この中埜家の半田における勢力は相当なものであり、文化財として公開されている建物もあるけど、

半田市街に広い土地を取ってある施設があって、公的施設なら地図に書いてあるだろうけど、何も書いてなくて変だなと思ったら、

どうも中埜家の屋敷らしく、中埜家の資産管理会社の中埜産業や一般財団法人

招鶴亭文庫の所在地ということになっている。

この招鶴亭文庫の活動とミツカンミュージアムは関係があるそうだが、博物館がこの状態では公開活動は難しいだろう。

今もこんな絵に描いたような豪商が生き残ってるとはなぁと驚く。

いや、こっそりと生き残っている例はいくらでもあるでしょうが。


ということでちょっとぼやけた感じのある1日だったが、

まぁこれはこれで愛知県のあまり来たことの無かった地域を回ったのでよかったのかなと。

結局は宿が安かったからというのがこの旅程のだいたいを決めていたと。

でも、半田ってのはいろいろ好都合だったんですよ。