奈良盆地の弥生時代と奈良時代

今日は奈良へ行くが、その前に寄り道を。

というわけで降りたのは橿原線の石見駅、降りたら三宅町の地図が貼ってあったが、

目的地は三宅町ではなく、田原本町の唐古・鍵遺跡である。


以前、田原本出身の人が国道24号線沿いに史跡公園ができたという話を言っていて、

それが唐古・鍵遺跡史跡公園なのだが、電車で行くにはどうすればよいか。

調べたら石見駅から歩いて20分程度のようだ。それぐらいなら普通に行けるか。

ただ、その石見駅が三宅町だったのは意外だったが。ちっちゃい町が多いんだ。

住宅と小工場と田畑とみながら歩いて行くと24号線、南を見ると道の駅の看板が。

史跡公園を挟んで向かいに道の駅「レスティ唐古・鍵」がある。

だから、24号線を走る人にはよく知られたところなのだろう。


唐古・鍵遺跡とはなにかというと弥生時代の集落だという。

同時代の遺跡としては全国的にも規模が大きなもので、周囲には環濠を何重にも張り巡らせている。

この環濠は防衛・水上輸送・洪水調整に役立ったという。

そうか、環濠を調整池として使っていたのか。現代ではなかなか難しい土地利用ですが。

園内には遺構展示などがあり、こういう暮らしだったのかと想像できるようになっている。

唐古池という農業用のため池を取り囲むようになっているが、その池に楼閣が浮かべられている。

どうも出土した土器に多く描かれていた楼閣を再現したものらしい。

地域のシンボルだったんだろうということで、立派なものである。

もっとも柱の跡などは見つかっておらず位置は不明で、それで池の上に浮かべてたんですね。


さて、遺構展示情報館に南に「唐古・鍵考古学ミュージアム」があると記載されていた。

せっかくなので見学に行くことにした。徒歩20分ぐらいかかる。

公民館・図書館との複合施設で中では町民が文化祭の準備をしていた。

ちゃんと有料施設(200円)なのかと思いつつ、出土品などの展示を見ていた。

この唐古・鍵遺跡は1901年に発見され、1936年から発掘が始まったが、

史跡指定されたのは1999年ということで発掘開始から60年かかっている。

発掘調査が進んだことで史跡指定に至ったということだが、ずいぶんかかっている。

ともあれ、これらの発掘調査がある程度片付いたことで、史跡公園の整備へ進み2018年に開園したわけである。

それにしても本当にいろいろなものが出てきているなと思う。


ここまで来ると田原本駅の方が近いので歩いて行き、電車で奈良へ向かう。

途中下車をして昼食を食べて、奈良に到着して、正倉院展は予約制で入場時間の後半で行けば並ばず済むだろうとあれこれ寄り道していく。

春日大社に寄り道して、国宝殿を見ていくかと、除疫神についての特集があり、

水谷神社ってのがそうなのかと、寄り道して参拝して……

とやっていたら15:00~15:45入場のチケットで博物館の入場口に着いたのが15:40だった。

当然並ぶまでもなかったし、館内も入場者の密なところは先に進んでいたので、

正倉院展とは思えないほど空いていた。平日の博物館としては多いぐらいだが。


正倉院展の出陳物は1回出ると10年は出ないらしい。

裏返せば10~20年に1度ぐらいのペースで展示される展示物もあって、

もう10年ぐらい行ってるとこれ見たような……というのも少しある。

リピーターが多いが、それでも初出陳という展示物は必ずあるという。

近年は布物の研究に力を入れているような印象がある。

奈良時代から保管された布はどうしてもボロボロで、修理してもそんなに見栄えしない。

それだけに正倉院宝物の中でもまだまだ深掘りできる分野のようである。

技法の説明などとあわせて見ると興味深いものである。


あと、今年は筆にまつわる展示が多くあって、これは最近、研究成果がまとまったことにちなんだもの。

正倉院の筆 高い実用性 (読売新聞)

有芯筆という現代の筆とはかなり構造が違うもので、これ書けるの? と思ったが、

X線で構造を調べ、それを再現してみたらわりと使いやすいことが判明したとか。

宝物そのものは実用品ではないだろうが、実用品としても優れたものを納めていたわけですね。

筆の展示をするのに関連して、写経用の筆の交換についての文書を展示するのがおもしろいが。


そんなこんなで博物館を出れば日が傾いていたので帰路についた。

関西滞在は明日まで。もっとも明日は名古屋に向かって行く途中で寄り道するって話なんだが。