ここに上九一色村があったのか

河口湖からバスに揺られ、中央道某バス停で降り、帰宅して冷凍餃子を焼き、

雨降って買い物に行けないななんて思ってたら昼寝をしてしまい、

イトーヨーカドーに買い物に行ってという1日だった。


河口湖周辺の地図を見ていたら、精進湖付近に「河口湖消防署 上九一色分遣所」というのが見えた。

現在は富士河口湖町に属する地域だが、この名前からわかるようにかつては上九一色村の一部だった。

分村合併によりほぼ跡形なく消えた上九一色村ってこの辺だったのかと思う一方、

そういえばなんで分村合併になったんだっけ? ということが気になった。


上九一色村は2006年に分村合併により、甲府市と富士河口湖町に分かれて廃止になった村である。

平成の大合併に限れば分村合併は珍しく、上九一色村が唯一だという。

しかも、合併後の地域名としても上九一色の名前はほとんど残らなかった。

数少ない名残が、冒頭に書いた富士河口湖町にある消防分署と、

甲府市に残された南甲府警察署上九一色駐在所や上九一色郵便局といったところではないか。

(甲府市側に残っているのが多いのは、かつて村役場があった地区を含んでいるからだろう)


なぜ、分村合併を選んだのかというと、山を挟んでいたということに尽きる。

富士河口湖町となった精進・本栖・富士ヶ嶺は、その名前からわかるように富士五湖の2つを含んでおり、

富士山の裾野にあたる部分であり、富士吉田市を中心とした生活圏に属するわけである。

一方で甲府市となった古関・梯は川筋に沿って下れば市川三郷町だったし、

あるいは国道358号線で甲府市と行き来することができたので、甲府盆地の生活圏にあったわけですね。

ちなみに国道358号線は1973年に開通した甲府精進湖有料道路(1994年無料開放)により、2つのトンネルが設けられて行き来が便利になった。

このうち南側の区間は上九一色村の南北を結ぶものだったが、実はこれができるまでは村内南北を結ぶ車道はなかったという。

これにより村南北の交流が深まったというよりは、村北部の甲府市との交流が深まったというのが実情なんかね。


なんで長年車道もなかった地区が1つの村だったのか?

おそらくその理由というのはこの村が西八代郡に属していたためだと思われる。

西八代郡というのは現在も市川三郷町が属するなど、富士川左岸の地域である。

このため、山梨県を国中と郡内の2つに分けたとき、甲府と同じく国中地域に属していたのだという。

車道が開通したのは後の時代になってからだが、もともと中道往還というのがあって、けっこうな重要ルートだったらしい。。

地形的な断絶はあるのは承知の上で、街道筋を西八代郡に所属させ、辺境の村が合わさり上九一色村が生まれたということだろう。

そうして地図を見てみると、本栖湖の東側が富士河口湖町(旧上九一色村)に属する一方で、西側は身延町に属しており、

かといって身延町の中心部へはトンネルとつづら折りの国道300号線を進む必要がある。(ただし、人口は極少ない)


よくよく考えてみれば、河口湖・西湖・精進湖・本栖湖は元来流出河川を持たない湖だった。

河口湖は江戸時代には水路トンネルが掘られ、治水・利水面で相模川水系に属することになった。

トンネルでつながってるので一級河川

一方で西湖・精進湖・本栖湖はそれぞれ二級河川となっており、内陸県の二級河川という珍しい存在となっている。

(というのも、通常は県をまたぐレベルの水系は一級水系になることが多いため)

これはなにを表しているかというと、川筋で地域を分類することができないということなんじゃないかなと。

これにより、上九一色村のような奇妙な村ができてしまったのではないかなと。


実際のところ、上九一色村のうち、富士河口湖町になった地域というのも、

富士河口湖町との間には青木ヶ原樹海があってそれなりに隔てられてはおり、ここに境界線が引かれたことにも一理ある。

そりゃ村内に山越えの車道が存在しなかったとかいうのは論外だけど、富士河口湖町になっても遠いのは遠いんですよね。

どこから見ても辺境の地というのが、旧上九一色村南部であり、身延町の本栖湖西岸ということなんじゃないか。

なお、本栖湖あたりまで来ると、南側には静岡県富士宮市があり、ここも富士山の裾野にあたる地域である。

地域によってはそっちの方が近いんじゃないの? と思いつつも富士宮市街までは遠いので微妙なのかも。

一応、この地域のバスは 新富士駅~富士宮~本栖湖~精進湖~鳴沢~河口湖 がメインみたいなんですけどね。

ただ、本数は少ないですよ。1日3往復ですかね。