違法モペットかわからない

大阪滞在時に「これは違法なモペットでは? と思う車に何台も遭遇した」と書いた。

細かいところまで見ては無かったのだが、こんな形の車だったっけ、

と調べて行ってぶち当たったのが「MATE」というブランドの車だった。

ただ、このブランドの車には日本の法規制に従った電動アシスト自転車もあるという。

一部報道について ()MATE.BIKE JAPAN)

正当に日本国内で出荷された車は法規制を満たしているのだから、

MATE製品が違法なモペットであるという報道をするなということである。


並行輸入品というのはパッと考えて思いつく話である。

ただ、それだけでもなく国内で正当に販売されている車を外国仕様の設定に変更したり、

あるいは外国で使われているスロットルを後から付加したり。

そんなことをしている車もあるらしい。

販売業者としては違法改造に手を焼いているという言い分である。


日本で電動アシスト自転車と認められるにはアシスト比率の要件を満たす必要があり、

最大でも人力:電動=1:2で、10km/h以下でアシスト比率が下げる必要があり、

17km/hで1:1、24km/h以上ではアシストしてはいけなくなる。

これは世界的には独特な規制であることは確かである。

世界的に見ればアシスト時の最高速度やモーター出力による規制が一般的で、

ヨーロッパの基準だと25km/hまでは人力:電動=1:99でも認められるし、

中国大陸に至ってはフル電動でもペダルさえ付いていれば自転車扱いである。

原付にペダルっている?


なぜ諸外国で認められるものが日本で認められないかと考えて見ると、

普通自転車では条件付きで歩道通行が認められていることもあると思う。

違法モペットであっても一般原付のように車道しか走行しないならば、ここまで問題にはなっていないと思う。

自賠責保険に入れないので、必然的に無保険運行というのは大問題だが。

ただ、大阪で見た違法モペットらしき車を振り返ってみると、

車道だけを走行しているということはまずなくて、歩道走行もしているのである。

そもそもその歩道は自転車歩道通行可なのかという問題もあるのだけど、

例えそうだとしても、電動アシストの範疇を超えた自転車が歩道走行するのは危険なのは明らかである。

特定原付は車道(自転車道含む)での扱いがほぼ普通自転車扱いになるにもかかわらず、

歩道・路側帯での扱いは自転車と異なる点が多いのは、まさにこういう考えが現れている。


自転車の歩道通行を縮小していく方針は明らかなのだが、

歩道上で部分的に歩行者と混在することを前提に整備された走行空間が多い実情はある。

実は歩道の自転車通行指定部分だった

完全に自転車専用の走行空間を作るのは現実的に不可能である。

新しい道路ではそういう区間は自転車は車道の端に出すように作るけど、

最近まではそういう区間は歩道上で歩行者と混在させることが多かった。

段々と絞り込まれているけど、一定の秩序のもとに歩道通行は残らざるを得ない。


冒頭の話に戻りますが、明らかに外見上スロットルが見えるようなのはともかく、

そうでもなければアシスト比率の要件を満たしているか否かはすぐにはわからない。

走行している様子を見ておかしいと気づくぐらいしか手はない。

改造の容易性や効果についてはメーカーごとに差はあり、

外国メーカーの車は改造が容易で、ほぼフル電動で安定して走れるなどの効果も大きい傾向にあるが、

国内メーカーの車でも改造して規定以上のアシストを得ているケースはあるという。

そういうのを真面目に取り締まるのは容易なことではないなと思う。


この事情が変わりうる要素としては、自転車への交通反則通告制度導入がある。

現状、自転車の交通違反は罰金刑を科すにも検察に呼び出していちいち起訴しなければならない。

膨大な交通違反を検挙したところで、ここが回りきらないので実効性がないと。

交通反則通告制度、反則金とか青切符という言葉の方が通じやすいかもしれないが、

これが適用されると反則金を納めると、その反則行為で起訴されることがなくなる。

これにより起訴すべき対象が反則金を納めなかった人だけになるので、

自転車の交通違反に対する検挙の実効性が高まるということである。


これにより自転車の取り締まりが強化される中で、結果的に違法モペットの検挙にもつながるんじゃないか。

自転車の歩道通行に関わる反則行為の取り締まりは注力分野になると思われる。

先ほど違法モペットと歩道通行が重なると大変危険だと書いた。

そういう点でも効果的な取り締まりになるのではないかと期待している。

もちろん違法モペットは反則通告制度の対象外なので、今でもやるべきなのだけど、

それだけのためにどれだけのリソースを割けるのかという問題はありますからね。

八条通から桂離宮、桂離宮から五条通

旅行から無事に帰ってきて、明日は仕事である。

さすがに長く休みすぎたので今週1日だけでも行くかと。


そうはいっても昼間はガッツリ京都観光をしていたのである。

バイクを畳んで近鉄特急で京都へ、乗換がないのが特急を使う決め手である。

八条口で荷物をコインロッカーに入れて、バイクを組み立てて出発。

まず目的地は京都国立博物館、前にもバイクで来たことあるんだよね。

特別展をやると平常展がお休みになる京博、今日は特別展「法然と極楽浄土」、

東京でもやってたやろと、京都で見るからスルー……なんて機用な考えがあったわけでもないが。

浄土宗開宗850年にちなんだ展覧会で、全体としては絵が多かった印象。


印象深かったのは法然が念仏を唱えながら亡くなると阿弥陀仏が迎えに来たというような絵で、

こういうネタは多く見られたのだが、こういうのはけっこう説得力があったんだろうなと。

死後の世界をなんと言おうが勝手というのは大きなポイントである。

南無阿弥陀仏を唱えれば、なんでも極楽浄土へ行けるというのは意外に説得力がある。

火の河と水の河に挟まれた狭いところに極楽浄土への道があるのだと絵があっても、

当然そこを渡って極楽浄土に行けるので、地獄に落ちることは想定していないと。

こういう考え方は日本ではかなり定着した考えなんじゃないかなと思う。

専修念仏には他の宗派からの批判も多く、トラブルもいろいろあったようだ。

でも、誰でも等しく極楽浄土へ行けるという発想はとてもよい影響を与えているよね。


博物館を出て、七条通をひたすら西へ進む。西大路を経て八条通に移ってさらに進んで、

たどり着いたのは桂離宮、バイクで往来するならと考えた目的地である。

桂離宮はグループで案内を受けながら見学するということで事前予約が必要である。その上で当日1000円払うと。

もっとも当日枠も多少あるようだったが。普通は予約しますわな。

桂離宮はもともと宮家の別荘だったが、現在は宮内庁管理で一般公開している。

皇族が京都に住んでいた頃なら別荘と言ってもふらっと来られただろうけど。

よくできた日本庭園ということではあるが、所々攻めた構造もあるなと。

茶室にオープンキッチンのような水屋を付けたり、月見のためにステージのような月見台を張り出させたり。

見学できるのはいいけど、活用の機会がなかなかないのは残念だな。

まぁ現代では近くを走る阪急電車の音が気になってしまうけど。


五条通を走って市内に戻る。五条通は国道9号~1号なのでとても広い。

自転車道の整備された区間も多く、特定原付なら自転車道走れるしと走ってみる。

ただ、自転車道が急に歩道走行区間に変わるところが多く、こうなると特定原付は走れない。

近所の自転車道に比べれば、自転車道でつながる区間も長く、

途切れるなら途切れるで車道との往来もなんとかなるところは多く、使えなくはないが……

ただ、五条大橋西詰の自転車道はすぐ歩道通行になるのに短い自転車道があり、

間違えて入ってしまうと車道に戻れないってのはひどいと思った。


その五条大橋を渡って川端通を上がり、二条通から岡崎公園にやってきて、

京都国立近代美術館、今日は特別展「LOVEファッション―私を着がえるとき」

ほとんど女性のファッションとあっては観覧するのも女性が多かったが。

美術館の注力分野に工芸があり、工芸の一分野に染織があり、さらに範囲を広げてファッションを扱っているという理解である。

定期的にそんな特別展をやっていて1階にポスターがずらり、

直近では2019年にも「ドレス・コード?――着る人たちのゲーム」ってのをやってた。見に行ったな。

こういうことができるのも京都服飾文化研究財団がアーカイブしてるからこそで、京都が芸術の都であるからこそである。


その昔にはコルセットだのクリノリンだのあれこれ誇張していたのが、

現代では紐のような服もしばしばあり、着る人を選ぶとも言えるし、着る人ごとに良さがあるとも言える。

いろいろな人のグラビアを見て、振り返ると確かにそうだと思った。

あとは昔ということで言えば毛皮か。悪趣味なのもいろいろ展示されてたが。

必ずしも毛皮が野生生物の乱獲につながるとも言えないけど、現代的ではないのはそうかもしれない。

最後の方はとうてい実用品とは思えない衣服が並んでいたが、

オリンピックの開会式で使われた衣装と言われれば、そういうのもあるなとなる。


それで美術館を出て走り出して気づいたのだが、これ予約してたこだま号に間に合わないのでは? と。

元々余裕があると思っていたのだが、美術館でのんびりしすぎた。

ギリギリ間に合うかと粘ったが、こりゃ無理だと列車変更、2000円少しの追加出費になった。

まぁ元が安かったのであり、定価になっただけである。(少しでもケチってひかり号にしたけど)

いくら京都駅八条口がコンパクトと言っても、20分前ぐらいには着いてないと。

走行時間を見誤ったわけではない。それ以前の問題である。

秋の関西旅行はそんなほろ苦い結末だった。


今回の旅行が丸一週間にも及んだ要因はいろいろあるのだが、

実は1日短縮する案もあったのだが、桂離宮の参観予約をここに入れてしまい、

動かすのも面倒でこうなってしまったという側面は大きい。

親元に滞在するのに宿代もかからないのだし、それでもよかったのだけど、

冒頭に書いたように1日差でも長休みに過ぎたという思いはある。

1日仕事に行き、帰ってきたら冷蔵庫を埋めるように買い物ですね。

バイクで大阪を東へ西へ

今日は大阪にお出かけ。というのでバイクを持って電車に乗る。

上本町駅で降りて駅前でバイクを組み立て。

平面移動でそのまま外に出れて、ほどほどなターミナル駅というのはいいスタート地点だ。


そんなわけで中之島に向けて、上町筋を上がっていく。バスでよく走る道である。

どこで西に向きに変えようかと思ったが、選んだのは本町通である。

本町通は部分的に自転車専用通行帯がある……と思ったのだがなんかおかしい。

「自転車専用」ではなく「自転車」としか書いてないし、専用通行帯の標識もない。

自転車専用通行帯としての規制がかかっていないということである。

これが一番左の車両通行帯だとすると原付・小特も走行しなければならないということになるが。

果たして意図通りなんだろうか? 規制が追いついていないのかもしれない。

大阪では先進的な区間ではあるのだが、いかんせん駐停車車両が多い。

大阪では一方通行の多くは「自転車を除く」だが、御堂筋・四つ橋筋などは自転車も含めて一方通行。

というわけで一方通行の四つ橋筋を北上する。一方通行で幅が広いのでパーキングチケットの駐車枠が多くある。

シンボルロードの御堂筋の対となる四つ橋筋の扱いはわりと雑である。

そんなこんなで中之島に到着、大阪中之島美術館の駐輪場にとめる。


大阪中之島美術館では「塩田千春 つながる私(アイ)」を鑑賞。

平日だと前売券と同じ金額になるという。面白い仕組みだな。

入口にいきなり大量の赤い糸が垂らされていたが、糸を使ったインスタレーションで知られている人らしい。

大阪出身ベルリン在住、中之島での展覧会は里帰りのようなものか。

ただ展覧会の説明に「『生と死』という人間の根源的な問題に向き合い」とあるところのつながりはよくわからず、

ちょうど展覧会の中間で30分近いインタビュー映像があり、運良く頭から見られたのだが、

生と死の対比のため、その昔は泥を被るようなこともやってたらしい。(映像作品が展示されていた)

まず行き着いたのがドレスで人型を表す方法、次いで糸で空白とかを表す方法だったように思える。

糸には物などをつなぎ止めるという効果もあるけど、空白を表すのが根源的だったのかなと思った。

けっこうな盛況で、これも平日料金の効果かななんて思った。真相はいかに。


続いてお隣の国立国際美術館へ、歩道橋が完成していたので通って行く。

この歩道橋の工事が原因で国立国際美術館で漏水事故が起きていろいろあったのだが……

完成形をみれば、中之島の3博物館(もう1つは大阪市立科学館)を結ぶ効果的な施設ですが。

OKパスポート持ち、関西に来れば決まって行くのだからあまり調べてなかったのだが、

特別展「線表現の可能性」は実のところコレクション展である。

線というが鉛筆・ボールペンなどで書いた下書きは線表現、ある種の版画は細い線で濃淡を表すのだから線表現とかこじつけもよいところ。

挙げ句の果てに「2020年代の物故作家」と近年なくなった作家の作品を並べてはコレクション展第2会場か。

引き続きのコレクション展「彼女の肖像」もなかなかの集め方だった。

それだけ国立国際美術館のいろいろなコレクションが楽しめたということで。

学生時代からよく来ているけど、本当にいろいろな作品があるな。


そんなので中之島で芸術鑑賞したところで、バイクで曽根崎通を東へ進む。

曽根崎通とは国道2号線~1号線のことで通り名が付いた時期は比較的遅い。

左折専用レーンのある交差点はしばしばあるが、自転車は一番左の車両通行帯を通るため、

左折専用レーンでも一番左から直進・右折(二段階右折)をすることになる。

巻き込みが怖いが、左の車両通行帯の中で右に寄っておくという手はありますよと。

ただ、左折レーンが2本あるとそうもいかない。というのが梅新東交差点である。

(梅新とは梅田新道のことで、そのすぐ東にある新御堂筋の入口にあたる交差点)

仕方ないので2番目のレーンの車に待ってもらい、とまったのを見てから直進した。

他に手はないかと調べたのだが、歩道橋を押し歩きするか大きく迂回するしか手はなさそう。

後で知ったのだが、かなり最近まで左折可標識があって、こうなると自転車の直進はおおよそ困難である。

左折可にするために横断歩道が作れず、自転車横断帯もないため、この通行方法が正規の方法である。

全国的にもトップクラスの事故多発地点で改良工事の一環で左折可を外したらしい。

これが自転車走行空間整備のための準備なのかはわからないけど。


曽根崎通は蒲生四丁目で鶴見通に名前を変え、今福鶴見駅の出入口が見えた少し先、

びっくりドンキーの独特な外観の下にある「資さんうどん」の看板、

北九州を遠く離れて昨年に大阪進出を果たした資さんうどんである。

その昔、北九州に行ったとき混雑がひどく諦めたのが心残りでやってきた。

入って驚いたのは回転寿司店で見るような自動受付機と席案内装置があったこと。

注文もタブレットで、精算も受付票を読み込ませてのセルフレジ、回転寿司だな。

まぁうどんなんですけどね。それにしても盛況である。いろいろ奮発して注文してしまった。

先日、資さん はすかいらーく傘下に入るというニュースが報じられた。

全国進出に向けた足がかりとして大阪の今福鶴見店を開店させたことはかなり確からしい。


せっかく鶴見区に来たのだしと、少し走ってやってきたのは鶴見緑地である。

前の道路ではいろいろ工事していたが、阪神高速淀川左岸線の関連工事だろうか。

バイクの駐輪場は道路沿いにあるのだが、自転車の駐輪場はないんだなと思ったら、

公園内の一定エリアは自転車で走ってよいらしく、駐輪場は園路沿いにいろいろあった。

特定原付はどうでしょうか? 明確なルールを示すものは見あたらなかったけど。

「つるモビ」という立ち乗りの移動用小型車と座り乗りのシニアカーの貸出(予約制)をやっていた。いずれも6km/h制限か。

鶴見緑地に来たからにはと向かった先は鶴見新山、標高39mだが大阪市最高峰である。

眺めはそれなりにいいけど、大正区の昭和山にはかなわないかな。

ちなみにこれゴミの山で、火山のようにメタンガスが出ていて、高さも当初45mぐらいなのが減ってこれらしい。

周辺は国際庭園ということで花の万博のときの各国庭園が残されている。

ただ、花木はともかく、建物など朽ちる物は朽ちるまま、可能な範囲で残している感じ。

日本庭園と大韓民国庭園は恒久的に残す前提で維持されているが、草取りなど追いついていないようにも見える。

それだけ鶴見緑地が広いということなのだが。花の万博の伝承は容易ではない。


バイクで来た道をほぼ戻ってやってきたのは梅田である。

今回、大阪にバイクを持っていくとなって気になったのが駐車場のこと。

調べてみると大阪市内は案外バイクの駐輪場も多く、無料時間の設定があるところも多い。

なんと梅田周辺は2時間無料なんて駐輪場もあり、これならバイクで来ていいねと。

で、阪神百貨店の南側にあるって話だが、どこだとキョロキョロするとあった。

「原付(50cc以下)」という表記で、原付二種はダメなのかと不思議に思う。

どうも大阪市内ではそういう傾向があるらしい。どっちも上限寸法は同じなんですけどね。

来年以降、125cc以下のエンジンに出力制限した原付一種が出てきたらどうするんだろ?

ともあれ、ここに停めてしばらく梅田周辺を散策することに。


歩いて行って目に入るのが、大阪中央郵便局の改築が完了し、JPタワー大阪が見える。

これに伴い大阪駅西口も本格的に利用されるようになった。以前は全然人いなかったのに。

郵便局の地下に立ち飲み屋などあるというのは変な感じだが、立地的にはいいな。

梅田もどこもかしこも綺麗になっていく中、高架下は相対的にアンダーグラウンド感がある。汚いわけじゃないが。

高架をくぐると JR大阪駅 うめきた中央口の駅ビルがあった。こうなるのか。

完成してみるとグランフロントとはこうやってつながるのかと。

うめきたエリアの中央には公園があるが、周辺が高層ビルに囲まれる公園って大阪にはあんまりなかったかもなと。

東京で言えば六本木ヒルズの毛利庭園みたいな感じかも。これはこれでいい。

なんといっても長らく線路で分断されていた新梅田シティが平面道路で一直線につながったこと。

新梅田シティ-うめきた公園-グランフロント大阪-ヨドバシ梅田-阪急梅田駅

と新旧様々、一直線に並ぶのを見るとなかなか感慨深い物がある。

なお、うめきた公園の芝生広場はオープン後に荒らされまくったので養生のため閉鎖中、仕方ないか。

芝田交差点から周りを見渡すと、阪急百貨店・阪神百貨店・大丸・ルクア・ヨドバシと百貨店やそれに準ずる大規模店がずらり。

凝集度の高さでは日本一では? 好みはあると思いますが……


そんなのでひとしきり見物したところでバイクで走って上本町まで。

帰りは谷町筋を下っていく。立体交差はあるけど「自転車」は使えないので平面路を。

ところで大阪を走っている中で、これは違法なモペットでは? と思う車に何台も遭遇した。

日本では電動アシスト自転車にはアシスト比率規制があるが、これを守っているかはパッと見てわからない。

この範囲を超える場合は原付としての装備を付けて出荷するのが常識的な対応だが、

輸入品などは当地の自転車仕様で出荷され、そういう車両が多く出回っている可能性がある。

特定原付は20km/h以上に加速できない制約から基本的にペダルは付けられず、

最高速度表示灯やライト常時点灯など自転車と明確に異なる特徴があるので、ごまかしが効かない。

しかし外国仕様のモペットは自転車の特徴に合う部分が多いのでごまかせてしまう。

同じブランドでも日本のアシスト比率規制に適合した商品もある場合もあり、なおさら取り締まりは難しそうだ。

大阪に限った話でもないのかもしれないけど、なんとかしないといかんと思うのだが……

青山高原は風力発電日和

連休明けの今日は博物館など休みが多いので、それならと考えた目的地は青山高原、

ここも公共交通だけで行くのはとてもとても……

というわけでバイク畳んで電車に乗ってやってきたのは西青山駅である。

周辺に民家もなく、すさまじい秘境駅として知られるが、青山高原の最寄り駅である。

とはいえ、ハイキング客にとっての最寄り駅という側面の強い駅である。

西青山駅はほとんどの一般列車は停車するものの、今は昼間帯の一般列車は1時間1本の急行のみ。


西青山駅のホームからバイクを入れた袋を持ってゆっくり降りていく。

駅にはICカード専用の自動改札機が置かれている。便利になったもんだな。

乗車券回収箱の横に何か装置があるので、なんだろうと見ると、クレジットカード読み取り機だった。

近鉄では先月29日から生駒ケーブルと柏原駅を除く全線全駅でクレジットカードのタッチ決済に対応した。

全線全駅というのは西青山駅も含むのである。言われて見れば当たり前か。

駅の出口までなんとか運んだところでバイクを組み立ててスタートである。


駅を出てまず走るのは国道165号線、交通量が多いと怖いなと思ったがそこまででは。

国道も上り坂だが、ここは20km/h付近を保って走行できるのでほどほど。

さっき西青山駅はハイキング客にとっての青山高原の最寄り駅だと書いたが、

東海自然歩道などのハイキングコースは車道のある道路とは別に整備されており、国道を歩くことは基本的にないようだ。

東海自然歩道の歩道橋をまたいで少し行くと青山高原の入口となる交差点がある。

けっこう立派な入口だが、この道路は有料道路事業で整備されたのである。

ただ、早々無料開放されてしまったらしい。料金徴収に見合わないほど利用状況が悪かったらしい。


青山高原道路はカーブは多いが緩やかでつづら折りの道という感じはなく走りやすい。

ただ、勾配がきつい。国道は20km/hを保てていたが、分岐後はだんだん苦しくなってくる。

青山高原へのバイク旅、最大の懸念は標高差である。

西青山駅付近の標高は307m、近鉄に乗ることでけっこう標高を稼いでいる。

ここから上り坂が一段落する三角点駐車場まで8.2kmと距離はそこまでではないのだが、

三角点駐車場の標高はなんと741m、標高差434mをこの距離で駈け上がるのである。

標高差で言えば大月(360m)~富士吉田(771m)よりも大きいのである。こっちも大概だが。

これはヤバいのでは? と思ったのだが、電池1本使い切ってもここまでいければ、あとは大きなアップダウンはない。

とはいえ、連続勾配は電池が苦しくなってくるようで、最後の方は10km/hを切る有様。

交通量が少ないのでマイペースに走れるのはいいけど、やはり厳しい旅である。


無事に三角点駐車場まで来て、人もバイクも一休み。

少し霞んでいてはっきりわからないところはあるが、伊勢湾まで見えているようである。

おそらく津・鈴鹿の市街地は見えていて、もしかすると四日市あたりまで見えてるのかも。

眺めが良い三角点付近は風が強くて寒いが、この風の強さにはいわれがある。

この先に山頂のある笠取山は、風が強くて笠が取れることにちなんだ命名である。

そしてこの風の強さを利用した施設が周辺に広がっていて、それが風力発電所である。

青山高原一帯は少なくとも西日本では最大の風力発電地帯である。全国でも最大かもしれない。

三角点付近からは南東向きを除いてどこを見てもおびただしい数の風車が見える。


風力発電への期待というのは昔からあるが、立地条件が難しく、適地とされても環境面の課題から実現しないケースも多い。

そんな中で青山高原の風力発電というのは1999年から開発が進み、現在は89基にも達する。

年間発電量は34000万kWh、津市の一般家庭の電力の8割を賄える数字だという。

いずれも中部電力のグループ会社のシーテックが関与している。

どうして青山高原一帯にはこれほどに風力発電が行われるようになったのか?

「久居榊原風力発電施設 駐車場」とかかれた古ぼけた看板の先にある駐車場にバイクを停め、

その先にある「さかきばら風の館」というガラス張りのプレハブの建物で紹介されていた。

実は青山高原一帯には風以外にも好条件が揃っていて、1つが送電線が通っていたこと、

そしてもう1つが道路が通じていたこと。ここまで走ってきた道路はずっと2車線なので大型風車の搬入にも適する。

さらに言えば最初に作られた久居榊原風力発電施設は当時の久居市(現:津市)の事業だった。

風力発電で町おこしという思惑もあったのかもしれない。地域の理解もあったということだ。

あとで確認したところ、この建物は元々風車のあった跡地に作られたようで、

1999年から運用していた風車4基は撤去、大出力の風車2基で代替されたとのこと。


風力発電施設一帯は関係者以外立入禁止なので遠巻きに見ることしかできないが、

いくつかは道路沿いにあるのである程度近づいて見ることは出来る。

道路にしても駐車禁止なので、じっくり見るわけにはいきませんが。

さすがに近くでは風切り音が聞こえるが、発電所にしては静かなものである。

導入時期によりいろいろなタイプがあるようだが、近年導入のものは1基で出力2000kW程度という。

そんなのをたくさん並べているのだから、風次第とはいえ相当な発電量になるわけだ。


さて、この一帯はふるさと公園という公園になっているようで、沿線に駐車場が設けられ、そこから公園に出入りできる。

実は青山高原一帯はレストランも何もない。見つけた唯一の供食施設は三角点付近の飲料の自動販売機1つだけ。

寒かったので帰りに温かい飲み物を買って一服してたが。

冒頭に青山高原道路について有料道路事業で整備されたと書いたが、当時はリゾート開発への期待も大きかったようだ。

沿線に別荘地の看板が見えたのもそのためだが、その別荘地は入口が軒並み封鎖されている。

ごく一部がオートキャンプ場として活用されているが、リゾート開発としては頓挫したと言わざるを得ない。

昼食としてあらかじめ買っておいたパンを食べていたが、どうにもわびしい。

木々が生い茂ってしまったからか公園からの展望はあまりよいとは言えない。駐車場付近が一番眺めがよいのが実情か。

すすきの丘 というのにススキがないなと思ったら、赤トンボの丘 にはそこそこススキがあったり、

なんとも不思議な覚えをしながら散策していた。


2車線道路の終わりにあるのが航空自衛隊の笠取山分屯基地、レーダーのための基地だそう。

青山高原では自衛隊車両がそれなりに走ってるが、この基地があるから。

今では風力発電の山という印象が強いが、かつてはレーダーサイトの山と思われていたようだ。

丸いレーダードームが置かれているところこそ笠取山山頂なのだから。

自衛隊基地こそ遠巻きに見るしか無いわけで、ここらで引き返しである。


さて、帰りはほとんど下りなら電池は全く大丈夫だろうと。

時刻表を見て、これでスムーズに下ると西青山駅でだいぶ待ちになるだろう。

そこから青山町駅あたりまで走ってもいいんじゃないかということで、下り始めた。

下りはとにかくスピードが上がりすぎないように注意して走って行く。

カーブは多いが急カーブが続くことはなく、普通に注意して走れば大丈夫である。

国道に合流後もずっと下り坂が続く。時計を見て西青山駅前を通過。

ちなみに西青山駅は国道に面してあるが、一見して駅前とわかりにくいと思ったのか、←西青山駅という看板がある。

まだまだ下り坂は続き、平地に出てくると「上津駅口」というバス停がある。

上津駅も本数は西青山駅と変わらないので、まだ走って行く。

国道は川沿いを走るが、この川こそが木津川である。

西青山駅付近を通過して30分弱、青山町駅、本数は増えるが結局同じ電車になるだけかも。

電池は持った。さすが下りばかりなら大丈夫である。


と、こんな青山高原の旅だった。

思ったより何もないところだったが、風力発電の先進地としては見ておくべきところかもしれない。

帰ってきて調べたのだが、青山高原一帯に89基の風力発電所というが、

このうちウインドパーク笠取は国道163号線(長野峠)周辺にあるため、だいぶ場所は異なる。

さらに北側でも風力発電の開発計画があるようで、かなり広範囲に広がっている。

当初は青山高原道路沿いに少し広げれば風車が設置できたところ、なかなかそうも言えなくなってきているように見える。

それだけ期待の大きい地域だと見るべきなのだろうか。

出会うのは白いナンバーのバイクばかり

今日は比較的近所でお出かけ。

目的地は近くの村にある自然公園、コミュニティバス再編のどさくさ紛れで一時期バスがあったが、

そもそも公共交通の不便な村、早々に廃止されてしまったのだった。

昔から気になっていたのだが、バイクがあれば行けるねと。

ルートを調べると、短いルートが提案されたのだが、あまり知らない道で不安があったのと、

急勾配がずっと続くというので、往路はある程度知っているルートを走ることに。

実は高専時代に自転車で県道をほぼ走破したこともある。若気の至りか。

ただ、このルートもそこそこ勾配がきつくて、15km/hぐらいまで速度が下がる区間も多かった。

復路は全体的に下り坂で、迷うポイントも少ないだろうと最短ルートを行ったが、

この非力なバイクでこの勾配で続く延々と続く上り坂を行くのは無茶だろと。

なかなか厳しい旅だったが、山からの景色はよかったし、いろいろ景勝地もあり、楽しい目的地だった。


昼食を事前に仕入れるために近所のスーパーに寄ったのだが、

駐輪場には自転車もバイクもとまっていたけど、バイクはいずれも原付一種だった。

地元だとバイクの中で原付一種というのはそこまで多くない印象なのだが、

ここにやってきて市街地を走るバイクは原付一種が圧倒的である。

郊外だとやはり原付一種は重要なのか。


ご存じの通り、排ガス規制のため排気量50cc以下のエンジンを搭載した原付は製造中止になることが決まっている。

原付二種を識別するか一般原付を識別するか

今後も出力制限された排気量125cc以下の二輪車は道路交通法上の一般原付として扱われる。

(道路運送車両法上の区分も原付一種となるとみられる)

取扱は大きく変わらない想定だが、従来よりも重くて高くなるとは言われている。

またスーパーで三輪の原付を見たが、今後はエンジン車で作ることはできないと考えられる。

電動ならば三輪の原付は今後も作れますけど。


原付一種のニーズが高いのはやはり運転免許の都合なんだろうか。

普通自動二輪免許(小型限定)との比較でさえ難易度は大きく違うと言わざるを得ないし。

50ccのバイクが買えないなら免許取るわなんて人はまずいないだろう。

そんな中で代替手段としては何が選ばれるのだろうかというのは気になる。

ほぼ今まで通りの使い方ができるであろう出力制限されたエンジン車なのか、

排ガス規制とは無縁になる電動の一般原付なのか、どうせ電動ならばと免許不要の特定原付なのか。


冒頭に書いたような坂でへばるような車では代替になりませんわな。

この車の出力は0.35kWで、原付一種(特定原付含む)の上限よりは低い。

上限の定格出力0.6kWならばもう少し粘れるだろうとは思う。

ただ、それ相応のバッテリーが必要なわけで、価格的にどうだろうかとも思う。

モーターの出力だけではなく、バッテリーの出力・容量も求められるから。

電動車にとって充電池というのは大きな課題ではある。

安価に作ろうと思えばだいぶ安いだろうけど、それが満足いくものであるかは別問題。

短期的には現在の原付一種の代替は出力制限したエンジン車、

長期的には電動車、その中には特定原付も、というのがおおかたの予測か。


一方でスーパーで買い物した後、山道でバイクと多く遭遇したけど、

そのバイクというのは原付一種でも原付二種でもなく、それより大きなバイクばかり。

というのも、高速道路とあわせて走るケースがほとんどだからだと思う。

原付二種としても高速道路は走れませんからね。それではいろいろ不便である。

そんなのでバイクは白いナンバープレートばっかり見てる気がしますね。

普段はピンク色のナンバープレートのバイクに遭遇することが多いのに。

新文芸ってなんだ?

今日は弟がやってくるということで特に出かけず。

明日以降は連日バイクを使ってお出かけということではあるが。

今日もお出かけするにはよさそうな天気ではありましたけどね。


旅行中には列車・バスでの移動時間で読書をすることが多い。

前にコイン還元キャンペーンをやっていたときにBOOK☆WALKERで買った本を読んでいて、

予想通り面白い本を引けていると楽しい。

試し読みもしながらいろいろ探してるんですけどね。


そんな中で気になっていたことがあり、それがBOOK☆WALKERの分類の「新文芸」である。

新文芸があるなら旧文芸があるのかとも思ってしまうが。

BOOK☆WALKERはKADOKAWAグループが経営していることもあり、

数ある電子書籍プラットフォームの中でもライトノベルの売上が多いことで知られる。

一般的には漫画が売上の多くを占めるが、小説はなかなか電子書籍で売りにくいようだが、

社内外のライトノベルレーベルとの連携や試し読みの充実で売れやすいようだ。

そんなBOOK☆WALKERの一ジャンルとして存在するのが「新文芸」である。


よくわからないので調べてみたのだが、これライトノベルですね。

ただ、売り方の違いがあり、小説の世界で言うところの単行本として売られている点が異なる。

一般的なライトノベルレーベルではいきなり文庫本として発売されている。

文庫であっても本来の意味としては単行本なのだが、そう呼ばれないことが多い。

そうではなくB6判などで出版されるライトノベルを新文芸と呼んでいるようである。


で、思い出したのだ。過去にそういう本買ったことあるなと。紙の本である。

BanG Dream! バンドリ (カドカワストア)

バンドリプロジェクトの初期に作られた小説である。

アニメやゲームで描かれたPoppin’Partyとは設定面で異なる点が多々あるので、今読んでも……という感はある。

確かにこのページで見ると「新文芸」という分類になっている。

後にこの本は文庫化され電撃文庫から発売されている。

こうなると分類は「ライトノベル」となり、BOOK☆WALKERでもこちらの電子書籍が現在販売されているため「ラノベ」区分で登録されている。

だから、実態としては同じ分類であると言える。


他の電子書籍ストアだとライトノベルの中に包含されているわけだし、

BOOK☆WALKERにしても大分類としては「ラノベ・新文芸」である。

しかし、BOOK☆WALKERではその中でも明確な区分を設けているようだ。

調べてみると元々カドカワBOOKSはWeb小説の書籍化を主眼に置いて作られたらしい。

WEBの才能が集結した新たな形の小説レーベル≪カドカワBOOKS≫の創刊が発表! (PRTIMES)

実際、僕が読んでいた本も元はWeb小説だったことが書かれていて、そうなのかと。

新文芸というのは戦略的な意味合いがあって導入された概念であることが読み取れる。

本が大きい分、価格帯が高いというのはあるかもしれない。

電子書籍にとっては本の大きさは関係ないけど。


正直なところ区分する理由はよくわからないんだけど、出版社側にはいろいろ考えもあるのだろう。

他の出版社でも似たような取り組みは行われているようだから、

業界ガリバーのKADOKAWAのやっていることにはそれなりの合理性はあるのだろう。

僕にはこの違いがさっぱりわからんが。

一時利用できる駐輪場がない

昨日、駅までバイクを使おうか考えて、結局使わなかった話を書いたが、

その中で判明したのは、某駅には一時利用できる駐輪場がなくなったということである。

バイクがとめられないではなく、自転車もとめられないのである。


自転車等放置禁止条例、こういう条例は各地の市町村にあるけど、

駅周辺などの一定のエリアで自転車・原動機付自転車の放置を禁止する条例である。

ただ、こういう条例を制定するためには駐輪場の整備が必要である。

確かこの駅周辺は市内でも遅い時期にこの条例の対象区域に含まれた。

それ以前は無料の駐輪場が駅周辺にあったのだが、有料駐輪場の整備が行われることとなったのだった。

けっこう規模が大きくて、係員が常駐していて、券売機で一時利用券を買って、それを渡して一時利用するという形だった。


ただ、利用も低迷したか、元々運営していたバス会社の関連会社が撤退、

駐輪場自体は他の会社が継承したのだが、月極専門になってしまったらしい。

確かに通勤・通学目的での利用者が多いことを考えれば、それでも問題はないのかもしれない。

調べてみると市の会議の中でも、事業者に一時利用にも対応してほしいと要望しているが、色よい返事はないとのこと。

最初の駐輪場整備時に自動化されていれば、人を常駐させなくてもよかったのだが、

定期利用の更新などで係員はいるだろうと常駐モデルを選んだことが、こういう結果になったのかもしれない。


ちなみに最寄り駅の駐輪場については一時利用も可能であることを確認している。

自転車100円・バイク200円という雑な価格設定で、料金は箱に自分で入れてねと。

自動車の駐車場もそんな感じで、特に自動化されてはいない。

月極契約がメインであろうことと、地主(隣接地に自宅がある)が片手間で管理しているからそれでいいんだろう。


ただ、どうせバイクで走るなら隣の駅の方がいいんじゃない?

こっちの方が運賃が安くなることが多いし、途中で店に寄り道もできるし。

そう思って、調べたら上のような事情が判明して、うーんとなったわけですよね。

畳んで電車に乗るなら全く問題ないんだけど、そういうわけでもないからなぁ。

というわけで残念ですねという話だった。

駐輪場整備の段階で自動化されていれば。公営の駐輪場ならば。とか思うところはある。

公営なら放置自転車禁止区域に一時利用できる駐輪場が皆無という状況は許さなかっただろうし。

元興寺と正倉院展と平城宮跡

今日は奈良におでかけ。

駅までバイク使うかとも考えたけど、帰るときには雨降りそうだし、

いろいろ課題もあると思い、歩いて駅まで。今まで通りである。


今回の奈良行き、どうするかといろいろ考えたのだが、

今回は奈良市街に留めておこうというのは決めていて、午前中は天気が持ちそうで、

そういえば元興寺って行ったことなかったなと思ったのである。

名前はなんぼでも知ってるのに行ったことなかったことには理由もあるのだが。

というわけで近鉄奈良駅で降りて、東向商店街~もちいどのセンター街~下御門商店街とアーケードの商店街を渡り歩く。

こうしてたどり着いたあたりが「ならまち」と呼ばれる元興寺旧境内である。


元興寺というのはもともと大きな寺だったのである。

平城遷都のときに飛鳥から引っ越してきた寺で、引越前は飛鳥寺という名前だった。

(この経緯から元興寺移転後、旧来からの飛鳥寺は本元興寺と名乗っていた時代がある)

ところが平安京に遷都した後から衰退が始まり、火事で建物が焼けても再建できず、跡地は宅地化していったという。

ところで平城京が都ではなくなった後、広大な平城京のほとんどは田畑に帰っていったが、

東大寺や興福寺の門前町としての意義はあり、その周辺の市街地は奈良町と呼ばれた。

その奈良町のコアエリアこそが元興寺旧境内なのである。


そういう経緯は知ってたのだが、道が細い昔ながらの住宅地という感じである。

ここからかつての大寺の姿を感じるのは到底不可能である。

その細い道をぐるぐる回ると「元興寺」と書かれた看板があった。

世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産であることを示す石碑がある。

拝観料600円、拝観料っていうか法輪館の観覧料みたいなもんだけど。

受け取ったパンフレットを見ると、広大な元興寺の地図の中で、ごく一部をマーキングして、現在の元興寺の範囲を示している。

こんなの詐欺だろと思うほどに一部しか残っていないのだが、この部分だけ残ったことにはそれなりの理由があるようだ。


残っている2つの建物はもともと元興寺の僧房だった。

それをかなり改築して極楽堂(本堂)、少し改築して禅室という具合に残っている。

どちらも国宝である。元になった建物は奈良時代からある上、飛鳥寺から移築された部材もあるのだという。

極楽堂の本尊は智光曼荼羅図、これが入った厨子が置かれている。

ちょっと拍子抜けという感もあるのだが、これで生き残ったのが今の元興寺である。

元興寺が衰退する中で、浄土信仰が流行、そこで注目されたのが智光曼荼羅図だったのだという。

そのため僧房を転用して曼荼羅を安置する建物を作って、元興寺極楽坊と呼ばれるようになった。

巨大な元興寺のごく一部門にすぎないが、ここだけは現代まで生き残れたのである。


法輪館に入るとまず目に入るのが五重小塔である。

奈良時代に作られたミニチュアの塔なのだが、実はこれ建造物として国宝指定されている。

ずっと建物内に安置されてきたので状態としてはよいらしい。

建物の中にある建造物ってのも変な気はするけど、中尊寺金色堂みたいなのもあるしな。

特別展ということで「内部を視る~文化財とX線~」という展示があった。

寺の収蔵庫らしからぬテーマだが、元興寺文化財研究所の活動紹介である。

元興寺文化財研究所は元興寺関係に限らず様々な文化財の研究を行っていて、

科学的な機器もいろいろあるが、その中でX線装置というのもあったのである。

錆だらけの出土品の鉄剣をX線撮影したら文字が出てきて、調べてみると金象嵌の文字が出てきたなど。

それにしても元興寺はなんでそんな研究所を持ってるんだ? と調べてみると、

1961年に大量の庶民信仰資料が出土したが、当時は出土品の保存手法も今ほど確立されておらず、

保存手法の開発など科学的なアプローチがかなり必要だったらしい。


さて、昼食を食べて奈良国立博物館へ。やはり正倉院展期間はいつもと比べものにならないほど人が多い。

本来、正倉院展は予約制だが奈良博メンバーシップカードを持っていると予約不要、

そんなわけでふらっと行けるのはだいぶ楽。30分ごとの枠の間を狙うように入った。

今回の目玉は 紫地鳳錦御軾(聖武天皇のひじおき)と碧瑠璃小尺、深緑瑠璃魚形といったガラス製品で、どちらも模造品にちなんだ展示である。

紫地鳳錦御軾は本物の状態もなかなかよいので、模造品もあんまり変わらない気がするが、

X線CTを元にした3Dモデルから内部構造を明らかにして模造を試みたわけである。

けっこう複雑な構造でマコモという植物の茎で全体を形作った後、くりぬいて綿を詰めたものの全体を綿で包んで、

すでに模造されていた錦で包んだというもので、それを本物を解体せずに解明するのがすごいなと。

ガラス製品は当時削り出していたらしいと、電動工具で削りまくったらしい。


ポスターに描かれている 黄金瑠璃鈿背十二稜鏡 は銀に七宝をして金メッキ、金板を貼ってと、

安定性の高い材料ばかりだから、こういうのは昔からわりと見栄えしたんだろうなと思う。

あと、これは知っていたのが彩絵二十八足几で儀式用の机である。

なぜ知っていたかというと平城宮跡の役所の再現でこの形の机を置いていたからである。

奈良時代から現在まで埋まらず残っている貴重な品ということではあるのだが、

果たして宝物という形で現在まで伝来する物が当時を代表するものなのかというのはわりと謎である。

実際、用途としては供物を置くのに使われていたのではないかという話だし。


正倉院展期間は本館(なら仏像館)も人が多いが、珍しくも仏像以外の特集展示が。

1つは東大寺伝来の伎楽面、彫刻という意味では仏像と同ジャンルだが。

伎楽面はこうして伝来しているが、そもそも伎楽ってなんやねんというのは謎が多いらしい。

もう1つ「聖武天皇の大嘗祭木簡」、これはどうしても正倉院展にぶつけたかったネタだろう。

本館で考古資料を見ることなんてまずあることではない。

平城宮跡からの出土品で奈良文化財研究所が発掘したものなのだが、

同じ国立文化財機構の組織であり、平城宮跡資料館の出張展示のような意味合いがある。


と言われれば平城宮跡に行くしかないね。奈良公園から平城宮跡に行くにはぐるっとバスだね。

と、大仏殿前駐車場にいくと今日のぐるっとバス大宮通りルートの運行ルートは、

……県庁前→大仏殿前→春日大社→県庁前→朱雀門ひろば→西大寺駅 というルートらしく、

大仏殿前から乗ると春日大社に一旦向かってしまうらしい。

(この期間の休日は大仏殿前での折り返しになり春日大社へ向かわないのだが)

そこで気づいたのだが「奈良春日野国際フォーラム甍前」バス停へ行けば、

さっき春日大社に向かって走っていったバスに乗れるのではないかと公園を突っ切って向かうと、目論見通りにバスに乗れた。

結論から言えば博物館から県庁前に行った方がよかったですね。


多分、奈良公園~平城宮跡を移動するならぐるっとバスにかなうものはないと思う。

ただ、朱雀門から平城宮跡資料館はかなりの距離がある。

復原建物が見える以外はただの原っぱを突き進んでやっと到着した。

特集展示の名前は「聖武天皇が即位したとき。―聖武天皇即位1300年記念―」と、

聖武天皇の即位時の大嘗祭に使った品々に付いていた木札が多く並んでいた。

なぜか備中の地名の書かれた札が大量に見つかっており、これはわりと謎らしい。

ちなみに令和の大嘗祭で各都道府県から特色ある品が集められたことは以前紹介している。

大嘗祭はなにが特別か

大仏ができる原因でもあったけど、疫病の蔓延に対して燃灯供養をしたようで、

それにまつわる出土品もあった。植物油は当時としては高級品だったらしい。

その聖武天皇の足跡が正倉院に多く残されていることは知っての通りである。


そんなわけで西大寺駅から帰ったのだった。

前もこのルートで西大寺から帰ったな。わりと鉄板かもしれんね。

新幹線駅でバイクを運ぶ

秋の関西行きは毎年恒例だが、今年は1週間と長い日程になってしまった。

少しでも引っ張れないかと考えた結果、午前中は仕事をして午後から出発。

いつもと違うのはバイクという大きな荷物を持っていること。

駅まで走ってエレベータの前で畳んで袋に入れて出発である。


バイクを運ぶ旅、重いは重いがそこまで大変ではない部分もある。

ただ、どうやっても大変なのが東京駅での乗換である。

今回はスマートEXで東京駅で別切りなので、いったん改札外に出て乗り換えた。

というのも東京駅の東海道新幹線はエレベータのある場所が特殊で、

改札内を通るとスロープが多く、それで疲弊してしまう。

それならば一旦改札外に出た方がいいだろうというわけである。

在来線の八重洲中央口を出て、少し南に進んだところにある八重洲中央南口から入るとエレベータで東海道新幹線のホームに行ける。

ただ、それでもやはり歩く距離が長くて大変。


新幹線はEXこだまグリーン早特3でとったこだま号のグリーン車、

グリーン車とあって座席後ろの荷物スペースも広々していて置きやすかった。

乗せてしまえば楽なんですよね。

こだま号グリーン車はガラガラだった。名古屋発着便だったのもガラガラだった理由かもね。


そして次なる苦行が名古屋駅である。ここも広いからな。

ただ、東京駅に比べればだいぶ楽ではあると思った。

それでも新幹線~近鉄って駅を横断するから名古屋駅の中では長い移動である。

ちなみにこの移動をエレベータを使って行う場合は必ず改札外を通ることになる。

そもそも新幹線(というかJR構内)のエレベータは中央コンコースの北側にあるため、

近鉄と改札内でつながる南通路に行くことができないのである。

また、近鉄から見てもエレベータがあるのは地下改札口だけである。

でも普段から僕にとっての新幹線~近鉄の乗り換えルートってこれなんですけどね。


近鉄も夕方の混雑する急行に持ち込むのは考え物だなとか、乗換が面倒だなというので特急を使った。

近鉄特急もいろいろだが、ノンストップ特急に入らなくなった アーバンライナー に当たった。

昔ながらの折り戸でアーバンライナーもそれはそれで年季入ってるなと思った。

それでも2003~2005年のアーバンライナーplusへのリニューアル(これもかなり前だけど)、

当たり外れの大きい近鉄特急の中では比較的よい方の車両ではある。

いや、ひのとり料金払って ひのとり に乗れるならそっちの方がええわという話はあるでしょうけど。

ノンストップ特急以外で ひのとり なんてそうそう引けませんがね。


特急を降りたら駅でバイクを組み立てて自走して親元まで。

最寄り駅は特急停車駅ではないので、少し離れた駅ではあるのだが、

後続の電車に乗り換えるのも待たされるし、バイクなら自走できる距離ではある。

ただ暗い中で走るのはなかなか怖かったですけどね。

このあたりを自転車で走っていたのは何年前のことだろうか。

中学生ぐらいにはこのあたりに用事があって走ることもあったんだったか。


新幹線駅の乗換だけは本当に大変だけど、あとは工夫次第でなんとかと。

ただ、バイクがなければ近鉄特急は使わなかったかなぁ。

楽ではあるんですけど、普段はそこまで楽する理由がないという。

そんなわけで今日からしばらくの関西滞在。

バイクだからこそ出かけられる目的地も考えているので楽しみたい。

SBI証券NEOBANKの謎

以前から気になっていたことがあって、それは「SBI証券NEOBANK」のことである。

NEOBANKというのは住信SBIネット銀行のサービスでこのように説明されている。

パートナー企業の事業に必要となる銀行機能を組み込むことで、より快適な顧客体験を生み出していく。それが私たちの「NEOBANK」です。

パートナー企業に必要な銀行機能というのはいろいろですが。


NEOBANKの第一号は「JAL NEOBANK」で、JALマイレージバンク会員が開設でき、

取引に応じてマイルが貯まること、JAL Payが使えることあたりが特徴か。

JAL Payにデビットカードの「JAL Global WALLETカード」も含まれる。

「高島屋NEOBANK」だと友の会の積立サービス「スゴ積み」が特色だし、

あと不動産関係のNEOBANKもいろいろあるな。機能はよくわからないけど。


その中にSBI証券NEOBANKってのもあるんだけど、

そもそも住信SBIネット銀行自体がSBI証券の提携のためにできた銀行である。

従来からの口座、支店名が果物の名前なので「フルーツ支店」と通称されているが、

これにしてもSBI証券経由で開設して、SBIハイブリッド預金で証券口座と連携している人は多いはず。

果たして何が違うのか?


SBI証券NEOBANKは店名が イルカ支店 または クジラ支店 になるようだが、

機能的にはフルーツ支店と同じとみられる。

NEOBANKの銀行口座はすでに住信SBIネット銀行で口座がある場合でも、

提携先ごとに1つずつ新規開設することはできるのだけど、

フルーツ支店とSBI証券NEOBANKは同時開設できないルールになっている。

今、SBI証券から銀行口座の開設を申し込むと イルカ支店・クジラ支店 となる程度のことである。


ちなみに他のNEOBANKの銀行口座であってもSBIハイブリッド預金は使えるので、

SBI証券と組み合わせて使うのに フルーツ支店またはSBI証券NEOBANK が必要なわけではない。

証券口座だけ開設して「預り金自動スィープサービス」の設定をすればよい。

一応、住信SBIネット銀行の方からSBI証券への仲介もやっているので、

その流れでNEOBANKからSBI証券という流れは考えられる。


というわけで本質的な意味はあまりないという話だった。

住信SBIネット銀行も上場企業となり、三井住友信託銀行とSBIホールディングスの持株比率はいずれも50%を切っている。

銀行業としても幅を広げていきたいということでNEOBANKとやっているのだろうが、

果たして手応えはどんなもんなんだろうか? というのは正直気になる。

元々は銀行全体が「SBI証券NEOBANK」みたいなところだったんですよね。

今、フルーツ支店を直接開設する人ってどんなもんなんでしょうね?