二段階右折で従う信号機

特定原付は自転車同様に二段階右折が必須である。

そのうえ自転車と比較すると歩道走行が難しいので、車道上で二段階右折することとなる。

そうなると信号についていろいろ気になることがあった。


車両用の信号には矢印信号がある。

ところによっては右折分離方式など青信号が出ない信号というのも存在する。

果たして二段階右折の場合はどの矢印信号に従えばよいのだろうか?

今まで自転車で走っていてそういう疑問を持つことはなかったのだが、

車道上で二段階右折を繰り返す中でそういう疑問を持つようになった。


答えは直進の矢印信号に従うことになる。まぁ当たり前か。

このことは道路交通法施行令に記載されている。

ここでは二段階右折をする車両を「多通行帯道路等通行一般原動機付自転車、特定小型原動機付自転車及び軽車両」と表している。

「多通行帯道路等通行一般原動機付自転車」という表記は初めて見たけど、

片側3車線以上のため二段階右折が求められる一般原付をそう表している。

信号の各灯火の定義と二段階右折の関係は下記の通り。

  • 青色の灯火 : 右折しようとする地点への直進、その地点からの右折ができる
  • 赤色の灯火 : 二段階右折中の車両は右折する地点で停止しなければならない
  • 青色の矢印の灯火 : 二段階右折する車両は直進する車両とみなす(=直進方向の信号に従う)

もう1つ、二段階右折と関係が深いのが「歩行者・自転車専用」の標識がついた歩行者用信号である。

これは道路交通法施行令で言うところの「当該信号機の信号が歩行者等、特定小型原動機付自転車及び自転車に対して意味を表示するものである旨を内閣府令で定めるところにより表示した場合」に該当する。

T字路の二段階右折の場合、交差点内で止まった先の車両用信号がないことがしばしばある。

そういう場合にはだいたい歩行者用信号に「歩行者・自転車専用」が付いているので、それに従えばよい。


ちょっと複雑なのは「歩行者・自転車専用」の標識がなくても、

横断歩道を通行する自転車・特例特定原付は歩行者用信号に従うことである。

というわけで歩道走行の自転車は歩行者用信号に従えばよいと思ったのだが、

よくよく読んでみると自転車横断帯は横断歩道ではないんですよね。

そうすると従うべきは車両用の信号なのか? と思ったのだが、

自転車横断帯がある場合はだいたい「歩行者・自転車専用」が付いているので、

結果的に従うべき信号は歩行者用信号であることが多い。


ただ、困った話もあって特定原付は自転車横断帯を使わないんですよね。

昔に比べると自転車横断帯は数を減らしている。

これは自転車が車道通行する場合に不合理な走行を強いられる問題があったためである。

自転車横断帯の撤去 (兵庫県警察)

自転車横断帯を撤去すると、車道を通行する自転車は車両用の信号に従って車道を真っ直ぐ走行でき、

歩道を走行する自転車は歩行者用の信号に従って横断歩道を通行できる。

(ただし横断歩道を通行する歩行者を妨げないことが条件である)

ただ、自転車道などで自転車と歩行者の通行部分が分かれている場合には、

自転車横断帯を設置して、歩行者用信号に「歩行者・自転車専用」と付けることは未だにある。

この標識が付いた信号には特定原付は従わなければならない。

しかし、特定原付は自転車横断帯を走ることはできないという不気味な状況が起きる。

特定原付のルールでは最大級の謎である。


冒頭にも書いたのだが、特定原付の歩道走行はとても難しい。

そもそも歩道モードが付いていなければ歩道走行は一切できない。

歩道モードへの切替には完全に停止して、ボタンを3秒ぐらい長押しする必要がある。

そこまでして歩道モードを使うシチュエーションとしては、

  • 交差点付近で車道走行が難しい場合
  • 車道の右側を走行したい場合(車道を走ると逆走)
  • 車道を自転車が走行できない場合

あたりがありそうだが、切替の手間などもろもろ考えれば、ごく短距離なら押し歩きがよいだろう。


今まで何度か車道の右側を走行する目的で何度か歩道モードを使ったことがあるのだが、

6km/hというのはあまりに遅い。歩道を走る自転車と比べても明らかに遅い。

ただ走るだけ考えてもバランスを崩しそうになるような遅さである。

他の自転車に迷惑というのが正直なところである。

ただ、歩道モードの必要性自体は理解できる面はあって、

特定原付はスロットルひねるだけで20km/hまで一気に加速できてしまうので、

これで歩行者との安全を保ちながら歩道走行というのはかなり難しい。

自転車も同じような危険はあるが、人力なので加減はしやすいとは言える。

ただ、それがシニアカーと同じ6km/hというのは正直かなりきつい。

しかも歩行者扱いのシニアカーと違って、特例特定原付の歩道上での扱いは自転車同様である。

走れる歩道も自転車通行可の歩道に限られている。判然としなければ押し歩きしかない。

どうにもイマイチな制度である。なにかいい手はないものか。

立川ステージガーデンの不思議

夏休みの旅行をどちらかというと前に寄せないといけなかったのは、

最終日にあたる今日、立川に行かないといけない用事があったからである。

電車で行く方が便利な立地のような気はするが、昔に自転車で行ったこともあるし、

せっかくならばとバイクを走らせて向かった。なんとか往復とも雨に遭わずに済んだ。

往路は自転車サイズでも左から追い抜きが難しい区間が渋滞して苦しかった。

あと自転車に比べると駐車場所の制約が大きいのだが、そこはなんとか。

帰りはスルスルと帰ってこられたのでよかったですが。


立川に行くならIKEAで買い物でもするかと、ちょこちょこと買って、

それで会場はどこだと思ったら、ちょうど道路を挟んで向かい側だった。

このあたり一帯はGREEN SPRINGSといい、立飛グループが経営している。

ソラノホテルもここにあって、そういえば将棋の対局の会場になって話題になってたっけ。

1階は多くが駐車場で、その上が広場になっていて、そこに面して各種施設があると。

立川ステージガーデンについては駐車場の上ではなく独立棟になっているが。

歩いていると飛行機が置かれていて、機体番号がJA3094で戦後にこんなの作ってたのかと驚く。

量産には至らなかったそうだが、不動産業になる前の立飛グループの面影である。


それはそうとして、立川ステージガーデンである。

入って早々、なんか変な構造だなと思ったが、これはプールだな。

体育館というには小さいが平面のアリーナと、ステージ以外の三方、比較的高い位置に2階スタンド席があり、

そのさらに上に3階スタンド席、今日は使ってないようだったが。

こういう構造を見てプールっぽいという感覚は果たして妥当なのかどうか。


ただ、これがどうにもイマイチである。

アリーナ席だが、平面ゆえにかなり前方の人の頭が邪魔である。

そもそもなぜ平面なのかといえば、スタンディングでの利用も想定しているからで、

座席だと1階1008席、2階754席、3階686席で計2448席とあるが、

1階はスタンディングで1500人程度入れることも出来る。だから可動席だと。

ただ、2000人近い大型ライブハウスで段差なしというのも変だが。

実は仮設段床を加えることで段差を作ることはできるのだが、

その場合でも段差が入るのは後ろ6列だけのようで、21列目だと対象外である。


あと、これも疑問なんだけど左右のスタンド席はステージと垂直になるんですよね。

体育館とかプールならそれでもよいのだが、そういう施設じゃないからな。

このため左右の3階席はほとんどが見切れ席になってしまうという。

なので、座席を使う場合も正味2000席程度である。

と考えるとどうにもイマイチな構造である。いろいろミスマッチである。


1階席が平面というのは最近の施設だと有明ガーデン内の東京ガーデンシアターもそうだが。

これはオールスタンディングもそうなのだが、パーティーのような利用も想定しているからだそう。

立川ステージガーデンにしても展示会での利用も想定してこの構造らしい。

1階席の構造としては似ている気がするのだが、こちらはそこまで悪い話は聞かない。

ステージの高さが違うのかな?


というわけで変な会場だなというのが正直な感想である。

いろいろ欲張りすぎたのかなという気はする。

シンプルに2000人程度入るホール作れば、それでよかった気もするのだが。


で、立川へ向かったのは伊藤美来さんのライブのため。

なんやかんや言って毎年行ってるな。天気が渋るのも毎年か。

今回、背景に大型LEDを置いて、それを背景にして歌うという方法を取り入れたという。

普段はステージにいろいろ置いて、その上に乗ったりして歌うことが多いが。

これで仙台・名古屋・大阪・立川と回ってきたようである。けっこう会場多かったんだな。

ちょうど「声優ラジオのウラオモテ」のTVアニメも終わったところですが、

その主題歌の「Now On Air」からタイトルの一部を取って「from now on」という公演名、

当然のように1曲目はNow On Airだった。

それに合わせてなのか最初の方に普段なら終盤にやる曲が集まって、逆に終盤に普段なら最初の方でやる曲が集まる、不思議な感じだった。

これはこれでよいと思うし、それだけストックがあるということでもある。


そんな夏休み最終日だった。

普段なら翌日休暇にしてしまおうかとか思わなくもないのだが、

長い夏休みなので、さすがにそれは気が引ける。

JRAとNARの2つの統括団体

少し前にこんなことが発表されていた。

地方競馬全国協会のアジア競馬連盟 アフィリエイトメンバーへの加盟について

アジア競馬連盟、こんな名前だがオセアニア・アフリカも対象としている。

すでに日本からは日本中央競馬会(JRA)がフルメンバーとして参加しているのだが、

地方競馬の統括団体である地方競馬全国協会(NAR)もアフィリエイトメンバーとして参加するという内容。


アジア競馬連盟にはフルメンバー、アソシエイトメンバー、アフィリエイトメンバーの区分がある。

フルメンバーにはレーシングオーストラリアのような国レベルの統括団体、

あるいは韓国馬事会のような国・地域レベルの競馬主催者が参加している。

JRAはおそらく後者の考えでアジア競馬連盟に参加していたのだと思う。

しかし、よくよく考えてみればJRAは地方競馬について統括する立場ではない。

もちろん日本代表として、地方競馬を含めた日本競馬の事情は踏まえて参加しているとは思うのだが。


本来ならば地方競馬・中央競馬をすべて統括する団体があればよいのだが、

NARは地方共同法人、JRAは国が設立する特殊法人と位置づけが大きく異なる。

どちらかが国レベルの統括団体になるというのは難しいので、

両者とも日本代表として参加できる仕組みを考えた結果がNARのアフィリエイトメンバーとしての参加だったのだろう。

そして、その必要があると考えた理由は、地方競馬の国際化なんだろう。

地方開催のダートグレード競走はそう遠くないうちに国際競走になることが決まっていますからね。


ちなみに国際競馬統括機関連盟(IFHA)についてはJRA・NAR双方がメンバーとして記載されている。

IFHAはワールドベストレースホースランキングの作成を行っていることで知られている。

JRAは中央競馬のレース、NARは地方競馬のレースでのレーティングを報告しており、

おそらくそのような事情から双方とも日本代表として認識されているようだ。


とはいえ、やっぱり中央・地方を一元的に統括する団体が必要なのでは? という気もする。

なかなか地方レベルと国レベルの団体を兼ねるというのはないのだが、

地方公共団体情報システム機構(J-LIS)はデジタル庁発足後に国・地方公共団体が共同して運営する団体となった。

このような考え方をNARに適用するというのは1つ考えられることである。


世界的に見てもかなり珍しい体制のようである。

国レベルで複数の統括団体がある国としてはフランスもそうらしいが、

こちらは平地・障害の統括団体(フランスギャロ)と速歩競走の統括団体(シュヴァルフランセ)が別というもので、

種目が違うなら別団体というのはあまり変な気はしない。

むしろNARがばんえい競馬の統括団体であることが不思議なぐらい。


歴史的に見ると中央競馬と地方競馬のルーツはけっこう違って、

中央競馬は外国人居留地で治外法権で行われていた競馬に由来し、イギリスやフランスの競馬を元になっている。

一方の地方競馬は各地の草競馬を合法化するような形で成立しており、アメリカ競馬の歴史に似ている。

現在においても中央競馬は芝中心、地方競馬はダート中心というすみ分けはあるが、

JRAの年間レース数の制約と、芝コース維持の困難さによるもので、根本的な差ではない。


今後どうなるかは定かではないが……

NARが統括する地方競馬だけでも、世界的に見て相当な事業規模である。

そういうところで重要な役目を担うことはあるのではないか。

とはいえ一般的な認識ではJRAが日本競馬の統括団体というのは変わらんのだろうな。

折りたたみバイクの旅のいろいろ

折りたたみ自転車形の特定原付という、なかなか選択肢もない乗り物、

未成熟であることは承知の上で買ったが、実際使っているといろいろあった。

MySmart-16というのはいろいろ作りが甘い車で、なかなかオススメしがたいが、

今、こういう乗り物を使うならこれぐらいの機転は要りますよということで書いておく。


まず、予行演習で浦和美園駅→見沼代親水公園駅を走行したときのこと。

その後に日暮里駅でバイクを組み立てようとすると、ケーブルの束がおかしい。

本来はハンドルの前側を通るはずのケーブルが、ハンドルの後ろを通っている。

それで無理な引っ張りが生じており、このまま走るわけにはいかない。

一体なんでこんな逆転が起きたのか。ああでもないこうでもないといじくってたら、

原因が判明して、それはハンドルが伸縮可能で、これを短くしてハンドルを畳んだ状態だと、ケーブルの前後を入れ換えられてしまうのだ。

というわけで、ハンドルを短くして、畳んで、ケーブルを正しい向きに通して、

もう一度ハンドルを開いたら正しい向きになって一件落着と。

ある程度ハンドルを長くすればひっくり返らないので、輸送に不便のない範囲で長くして折りたたんでいる。


次に焦ったのは豊岡滞在中にライトの向きがおかしいと思ったら、

ぷらぷらと垂れていて「!?」と思って、見てみると固定用のネジが飛んでいた。

通常の自転車ではブレーキを固定するための穴にバイク用のライトを取り付けているのだが、

かなり緩みやすいことは気づいていて、同梱されていた工具類を持ち歩いて、

適宜ネジ締めをしていたのだが、一気に緩んだのかネジごと抜けてしまったらしい。

ちょうど100円ショップに用事があったので、ネジセットを買って固定し直した。

ただ、やっぱり緩みやすいので何か手はないかと、鳥取滞在中にホームセンターがあったので、

そこでワッシャーを買って、付け足したら、緩みにくくはなった。

時々締める必要はあるが、以前に比べると一気に緩むことはなくなった。

これはほぼ設計ミスのような気がしますね。

この他、足置き部分もネジが緩みやすい。改造も視野か。


その翌日、日和山海岸に行くために城崎温泉駅でバイクを開いたときの話。

運ぶときはフレームを2つに折りたたむわけだが、開いて固定しようとすると緩い。

ここがかっちり固定できないとフレームが真っ二つになるわけで危険である。

というわけで、これも一体何だと思ったら、固定用の金具はネジになっていて、

回転させることでフレームを固定したときの幅を調整できるようになっているよう。

というわけでこれをクルクル回転させると、かっちり固定できる幅になった。

このネジは通常回転させる必要はないが、輸送時に不意に回転してしまったらしい。


あとは何度か発生したトラブルが電池切れである。

これについてはもうすでにバッテリーを注文して、今日届いた。

4万円ぐらいするし、持ち運ぶと重いけど、どう考えても必要だと判断した。

宿に戻って充電すればけっこういけるんじゃないかと期待したが、

充電スピードを考えるとそれでもなかなか間に合わないのが実情である。

追加バッテリーがあれば50~60kmぐらい走れるので十分だろうと。

ちょっと変なのは鍵を差し込む先がバッテリーユニットなので、

バッテリー2個持ち歩くということは1台の車に対して鍵が2本ということになる。

必要な時は防水バックに入れて後の荷台にくくりつけて走るつもり。


走行時の話としては下り坂でけっこう速度が出てしまうという話がある。

特定原付の要件には「二十キロメートル毎時を超える速度を出すことができないこと」とあるが、

これは20km/h以上に加速できないことを求めるもので、下り坂でそれ以上の速度が出ることは許容している。

なお、その場合でも原付の最高速度30km/hには従う必要がある。

折りたたみ自転車形の車体では怖いので、そこまでには当然抑えるが。

エンジンを使う車なら大なり小なりエンジンブレーキというものがある。

電動車なら回生ブレーキとか発電ブレーキがそれにあたると思うのだが、

特定原付は基本的に20km/hという低速のため発電した電気をバッテリーに戻すことが難しい。

そのような事情もあり、自転車同様に空回りし放題で、速度を下げる手段は機械的なブレーキしかないものが多い。

安全に乗車できるという点では、回生はともかく発電ブレーキは欲しいが、なかなか難しいのが実情のようだ。

と、エンジンブレーキが付いていない車はこの世にあるという話。


いろいろ反省点も見えてきたので、これを補う策をいろいろ考えている。

別の観点で近所で買い物に行くと後ろカゴが欲しいという話がある。

ある程度なら付属品の前カゴ代わりの袋が使えるのだが、量が多いと難しい。

それでいろいろ検討していたのだが、バイク用のシートバックが使えそうだと。

荷台にベルトでくくりつけられるバックで、そこに荷物を入れられると。

旅行で使うかは微妙なところはあるが、条件次第ではよいと思う。


いろいろ課題はあるが、今までなかなかなかった乗り物である。

サスペンションがないので、乗り心地はやや気になるところはあるが、

それでも電動キックボードに比べれば条件はよいように思う。

豊岡~出石で12kmぐらい一息で走っても楽々だったし。電池は足りなかったけど……

他の車から見れば二段階右折をするバイクってのは慣れないだろうなと思うが、

そこは特定原付への理解が深まることで打開されていくのではないかなと。

曽根崎通を東へ西へ

旅行最終日は鳥取から東京までの大移動である。

荷物がデカイので列車移動にならざるを得ないのである。

というわけでスーパーはくとに乗車、これで大阪まで行く。


スーパーはくと の話は以前このBlogにも書いている。

新大阪って折り返し出来ないんですか

この当時はすべて京都発着だったスーパーはくとは一部が大阪発着となった。

その代わり増便になったので、鳥取県庁には やくも への新車導入とあわせて「鳥鐵の旅」と幕が掲げられていた。

この便も大阪発着便である。途中の新幹線接続駅は姫路のみ。

智頭急行30周年ということはこの車両も30年、リニューアルされてはいるが、所々古さを感じる。

大阪発着の導入と増便というのも新車導入に向けた布石ではと言われている。

しかし俊足である。ディーゼルカーって加速が緩慢な印象があるが、これはスッと加速していく。


姫路・三宮での乗降ではさほどなく、ほとんど大阪まで乗ってた気がする。

新幹線接続は姫路でいいんでしょうけど、やっぱり大阪までの運行は必要なんでしょうね。

そんなわけで大阪駅で下車して、コインロッカーに荷物を押し込んだら、

バイクを広げて大阪を少し走って行く。

曽根崎通を自転車というかバイクというか、そんなんで走ることがあるとはな。

意外と走りやすかった。路上駐車が多すぎて左車線を他の車が走らないのである。

他の自転車はほとんど歩道走行、東京都に比べると歩道上の自転車走行空間はよくない気はするのだが。


昼食を食べつつたどり着いたのは造幣局である。

本当は駐車場があるっぽいのだが、工事の都合、自転車・バイクまでも駐車できないというので、

ちょっと離れたところに駐車して歩いて来た。

造幣局といえば桜の通り抜けで有名だが、それ以外の期間には造幣博物館を見学できるようになっている。

入構許可を得て、ちょうど桜の通り抜けで通るルートを通って到着。


ところで造幣局ってなんで大阪にあるんでしょうね? 実は明確な理由はわからないらしい。

江戸→東京の治安が悪かったとか、大阪財界への配慮とか、書かれているが。

現在は さいたま支局・広島支局とあり、新500円硬貨の打ち初め式は政府関係者が出席しやすいからか さいたま支局 で行われている。
(cf. 新500円玉、造幣局で製造開始 出回るのは11月から (朝日新聞デジタル))

ともあれ、物資の運搬に便利な大川沿いにこうして作られたのだった。

当初は外国人技術者と外国からの輸入機械が頼りだが、日本の伝統的な金工技術も生かされている。

あとこれは知らなかったんだけど、化学という観点でも硫酸製造やソーダ塩の製造などやっていたそうで、

造幣局ができた当時は日本でそういう薬品が必要なら自給自足するしかなかったと。

機械分野だけでなく、化学分野にとっても造幣局は大きな足跡なのだという。


あと造幣局といえば硬貨の製造はもちろんだけど、勲章・褒章・メダルなどの製造をしている。

勲章などにしても金工の印象が強いが、七宝ってのもコア技術なんですよね。

この技術を生かして記念グッズの制作も行っており、造幣局前のショップではそんなのも買えるんじゃないか。

硬貨の製造という点ではやはり500円硬貨でしょうね。

流通する硬貨の中では世界一高価という話もあり、偽造対策に工夫が凝らされている。

2000年・2021年と短期間で改鋳が繰り返されたのもそのためである。

普通に考えれば硬貨の領分ではないが、自動販売機の多い日本では必要なものとされている。

そんなわけで新500円硬貨のことは特にアピールしていましたね。

あとは記念硬貨で時期柄、土地柄、歴代の博覧会関係の記念硬貨を展示していた。もちろん2025年の大阪・関西万博もある。

外国貨幣の製造もしていて、東南アジアを中心に記念硬貨の製造が多いが、一部は流通硬貨もある。


今度は曽根崎通を西に走り、出入橋で曲がって中之島へ。

科学館は工事(そろそろ終わる)、両美術館の間を結ぶ橋も工事、

そして営業中だが、工事の影響で漏水がある国立国際美術館である。

なんかぐちゃぐちゃだなぁと思いながらも地下3階の特別展はやっている。

その展覧会は「梅津庸一 クリスタルパレス」というので梅津庸一の個展だと。

なかなか目に痛い感じだったのだが、どっちかというと作品の外に学びが多かったかな。

日本の美術教育にいろいろ疑問を持つ中で、画家の仕事を投げ捨てて(?)、

夜は介護職員の仕事をしながら休み時間に絵を描き、パープルルームという私塾をやり、

それで創作意欲が失せた(?)ということで、2021年に信楽に移住して陶芸をして、

陶芸をする中で創作活動というのもチームワークだなと思ったようで、今は版画に没頭しているそう。

なんのこっちゃという説明だが、映像で見る限り極めて真面目な人である。

美術も幅が広く、国立国際美術館の注力分野である現代美術は未成熟ゆえか幅広い。

あれもこれも権威なのか歴史なのか、そんなのに引きずられてるんだなと思った。

信楽で土をこねるというのも、タヌキの置物のような大きな作品を作っていた歴史があるからこそだし。


そんなこんなでそろそろよい時間と大阪駅に戻る。

右折禁止で思ったように進めなかったり、こんなところ自転車で走ったことないから当たり前か。

荷物を回収してバイクを畳んで新大阪駅まで1駅乗る。

新大阪駅での移動は大変で、駅構内を歩く距離も長いし、ホーム上を歩く距離も長い。

それは東京駅でもそうで、ホーム上を歩いて、駅構内を歩いて。

新幹線の駅ぐらい大きいとバイク担ぎながらの移動は本当に大変ですね。

帰着したらカッパも着なくていいぐらいの小雨で助かった。

まっすぐ帰って冷凍庫から出したあれこれで夕食。これでゴール。

鳥取砂丘の西と湖山池

長かった山陰旅行も今日でとりあえず一段落。明日には大阪を経て帰路につく。

そんなわけで今日は鳥取市街より西へ向かう。

ということでまずは汽車で鳥取大学前駅まで行く。走ってもいい距離ではあるけど電池が心配だし……


まだこの区間にはICOCAが導入されていないので紙のきっぷを買って乗る。

ただ、来年には鳥取~倉吉の各駅と倉吉~米子の特急停車駅にICOCAが導入されることが決まっている。

今は駅員が詰めている改札口もそのときには紙のきっぷも入る自動改札機が置かれる。

そんなわけで倉吉行きの汽車に乗車、けっこう乗っているがほとんど鳥取大学前で降りた。

大学への通学もあるのだが、そもそもこの周辺が学校や住宅が多いのである。

全ドアが開くから有人駅かと思ったら、無人駅だけど利用者が多すぎるから全ドア開けてただけだった。

ともあれ、ここからスタートである。バイクを少し走らせると湖山池が見えてきた。

池と名の付く水面では日本一広いのだが、その実態は汽水湖である。


湖山池は砂丘により海と切り離された池である。

鳥取砂丘はもっと広かったと書いたが、その鳥取砂丘は西から末恒砂丘、湖山砂丘、浜坂砂丘、福部砂丘と分けられる。

一般に知られるのは浜坂砂丘の一部が残されたもので、福部砂丘は らっきょう畑 になったが、

湖山砂丘は早い段階で野菜畑になり、その後に宅地化していった。

そして湖山砂丘だったところに横たわっているのが鳥取空港である。

鳥取空港には「鳥取砂丘コナン空港」という愛称が付いているが、実際に砂丘の上にある空港なのだ。

湖山池から見ると空港のあるあたりが小高い丘に見える? でもほんの少し高いだけか。


ここから東へ走って行く。国道バイパスの高架橋も規制がなかったのでそのまま走って行く。

そしてたどり着いたのが白兎海岸である。道の駅があるのでここに停める。

白兎海岸は 因幡の白兎 の舞台となったところである。海岸を見てみると岩の島があるが、これを淤岐ノ島という。

淤岐ノ島から渡ろうとしたウサギがワニザメの背中に乗ったら、皮を剥がれてしまい、

さらにはだまされて海水を浴びて乾かしてひどい目にあっていたところ、

そこを通りかかった大国主命がウサギの身体を洗って、蒲黄(ガマの穂)を付けたら治ったと。

そんな伝承から白兎神社は皮膚病などに効く神様だとされていた。知らんかった。

その後のエピソードとして、このウサギは大国主命と八上姫の縁を取り持ったということで、

現在は縁結びの神様と認識されているが、これは比較的新しい考えらしい。


白兎の丘という展望台に上って白兎海岸一帯を眺めている。

ちょうど白兎海岸が鳥取砂丘の西端だったんじゃないのかな。

白兎海岸から今は空港や宅地になった湖山砂丘、今も砂丘で残る浜坂砂丘、

その向こうにらっきょう畑になっている福部砂丘と、広大な鳥取砂丘の姿が浮かび上がる気がした。

反対側に目を向けると長尾鼻があり、不思議な形の岩がたくさん。

一箇所でいろいろなジオサイトが楽しめるのでこれは当たりですね。


ここから湖山池の南側を回っていく。

小雨の範疇ではあるが、カッパなしではきついので、上だけ着て回る。

この中を歩いて散策する人もいた。けっこうな物好きだと思ったが、そういや雨の田沢湖を歩いて散策したこともあったな。

湖山池は汽水湖だと書いたが、2012年までは淡水湖だった。

もともと汽水湖だったのだが、農業に支障があり、水門操作で海水の流入を防いでいたのだ。

ところがヒシの大量発生により悪臭を放ち、漁業も不振ということで、打開策として汽水化が行われた。

汽水湖となり、ヒシは生息できないようになり周辺環境や景観が改善、シジミ漁もできるようになった。

ただ、淡水を前提としていた生物は絶えてしまい、生態系への影響は大きかったという。

そんな湖山池には青島という島があり橋で渡ることが出来る。

中にはキャンプ場があり、ドーム状のテントが固定されたグランピング施設もある。

散策するだけなら自由である。湖山砂丘含めて湖山池の景色を楽しんでいた。


というわけで山陰海岸ジオパークの東西ほとんどなめた感じである。

アクセスの都合もあり、海沿いがほとんどだが、それはそういうものとして。

バイクを持ち歩いて周遊するという新しい取り組みはいろいろ課題もあって、

その反省点はまた改めて書こうと思うけど、今までこういう旅はできなかったので、

これができるならあそこにも出かけたいなというところはいろいろある。

天気が悪くなると嫌だけど、それでも工夫しながら乗り切れたかな。

そんな明日は大阪は雨の時間帯がある。小雨ぐらいで済めばよいなと期待はしているが。

そして帰宅したら雨、これはほぼ確定だろう。区間としては僅かだが辛いな。

鳥取砂丘を行く

昨日も書いたのだが香住で泊まった宿の朝食は8時台にしか出ない。

これがけっこうな誤算で、なぜかというと鳥取方面の列車が8時台の次が10時台だからだ。

仕方ないかと10時台の列車で鳥取に向かうことに。


送迎を頼むならともかく、距離で言えば近いのは柴山駅。

10時チェックアウトでも列車の時間までだいぶ余裕があったので、柴山湾を眺めていた。

リアス海岸ではよくあるが、どこが島でどこが陸続きなのかわかりにくい。地図を見比べながらみていた。

かつては北前船が寄港していた柴山港だが、今ではカニなどの漁業が行われている。

浜坂行きの普通にのる。香住を出てトンネルを抜けると絶景だったが、

地図を見比べたら昨日、海上からしか見えないなと書いた鎧の袖がこのあたりだた。もっとよく見とけばよかった。

山陰海岸ジオパークのジオサイトには「余部橋梁」が掲載されている。

集落の上空を通過する橋で現代では高速道路や新幹線で見るような構造だが、

これを1912年の山陰本線開通時に選択したことが地形上の特徴を表している。

元々は鉄橋だったのだが、老朽化と強風対策のため2010年にコンクリート橋になった。

この鉄橋の一部はジオパークと海の文化館で保存されていて、けっこう錆びてた。

現地でも一部が保存されており、見学施設と餘部駅利用者用の設備を兼ねたエレベータも設けられている。

列車で橋を渡りたいからか、豊岡・香住方面から来て餘部で降りるひともけっこういた。


そんなこんなで終点の浜坂駅に到着、向かいには鳥取行きになる汽車が停まっていたが40分待ちである。

しかし、ちょうどいいところに特急はまかぜが来るので、鳥取まで乗車する。J-WEST会員なら650円である。

はまかぜ号は大阪・神戸・姫路~但馬(特に香住・浜坂)を結ぶのが主目的と考えられているが、

以前は朝の大阪行き、夜の大阪発が鳥取発着だった。鳥取の車庫への回送代わりだったらしい。

しかし去年から朝は城崎発、夜は豊岡行きに変更され、その先は普通列車に接続となった。効率が悪かったんだろう。

その代わり、昼に1往復が鳥取発着となった。これは但馬~鳥取の周遊が便利になるようにということである。

僕もその目的で乗ってるし、他にも外国人観光客らしきグループが見えたし、そこそこ当たってるようだ。


そんなこんなで鳥取駅に到着、さすがに県庁所在地は都会である。

バイクを組み立てて、宿に荷物を押しつけて、最初の目的地……の前に鳥取県庁に寄り道。

県庁に来たのは目印によかったのもあるけど、県庁の食堂で腹ごしらえと。

眺めがよかったぐらいであまりおもしろい話はないのだが、

後で見たらカレーの肉が山で捕まえた鹿肉だったらしい。カレーにするべきだったか。


目印によかったのは最初の目的地が隣接地にある鳥取県立博物館と鳥取城跡だったから。

鳥取県立博物館ではまず鳥取県の自然史があれこれあるが、やはり鳥取砂丘だよな。

砂丘の話はあとで改めて紹介するが、先に来て勉強しておいたのはよかった。

鳥取県の歴史ということでは、やはり鳥取という都市の在り方が気になった。

江戸時代の鳥取藩は相当な巨大な藩で、ゆえに鳥取というのも城下町として栄えた。

それが明治になって交通の便の悪さが際立つようになり、山陰本線の開通が急がれたが、余部橋梁などの難工事に苦しめられた。

その間に島根県との合併、そして再分離を経て現在の鳥取県となっている。

この分離には反対意見もあって、伯耆地域では鳥取が県庁だと遠いと、松江の方が近いんですよね。

実態として米子・松江など中海周辺は県境を越えて山陰の中心的な機能を担っている。

なんやかんや県庁所在地である鳥取は栄えているが、県庁がなければかつての城下町も寂れていたかもしれない。

その鳥取城跡、写真で見ると洋風の建物が目立つが、これは仁風閣といい、

明治時代にかつての御殿を壊して皇太子(すなわち大正天皇)の宿泊を意図してつくった建物だという。

今は保存のための工事中のようだが、ちょっと不思議な景色である。

鳥取城自体は陸軍の施設として使われた後に公園化されたこともあり、石垣が残るばかりだが、

この石垣の中に球状の「巻石垣」がある。

当初の石垣を継ぎ足した影響で石垣が崩れたのをなんとかするために球状に積み足したそう。

ただ、それがゆえ不安定で地震で崩れてしまい、近年抜本的に作り直し、外観はそのまま、安定した石垣になった。


鳥取城跡を出て、北東に走っていく。けっこう急な坂を登って、トンネルを抜けると鳥取砂丘である。

砂丘に登るので上り坂になっているのだ。バイクも18km/hぐらいで上っている。

鳥取砂丘にくるのは初めてではない。その昔、大学院時代に研究室のメンバーで連れ立って来ている。

そのとき鳥取砂丘って鳥取市にあるんだなと少し驚いた覚えがある。

ともあれビジターセンターで砂丘の勉強である。博物館とあわせて見ると学びが多い。

そもそも元々砂丘はもっともっと広かったのである。千代川河口周辺にかなり広く存在していた。

千代川から供給される砂が冬の強い風で積み上がって広範囲に砂丘が形成された。

ところが砂丘は砂が飛んで周辺での生活に困ってしまう。

そこで防砂林を作ったり、農地転用してらっきょう畑にしたり、砂丘ではないものになっていった。

そんな中で浜坂地区の砂丘も植林が考えられていたが、砂丘のまま保存することが考えられ、

天然記念物に指定、後に山陰海岸国立公園に含まれるようになった。

浜坂地区にしても周辺は防砂林で囲まれ、周辺に悪影響を与えないからこそ、これでいいのはあるだろう。

そんな砂丘は案外草が生えている。砂丘特有の植物として興味深いが、困った話もあるそう。


というわけで砂丘に出て行く。昨日・今日と雨が降り、しっとりしている部分もあるが、新しい砂が貯まっているところも多い。

降った雨が流れてオアシスに貯まっている。水を通しにくい地層があるとああして貯まるのだという。

砂丘の中には小川のようになっているところもあり、砂丘の意外な一面である。

さて、砂丘だが砂が頻繁に動くところは草は生えないが、落ち着くところではけっこう草が生える。

雨はきっちり降るのでそれを捉えれれば草は育つのである。

ただ、問題は外来種でこれが勢力を伸ばし、一時は42%が草地化、さすがにこれはいかんと除草を行っている。

今日もオアシスの近くで除草をしている人がいた。

砂丘っていうのは砂浜の砂が積み上がったものなので、海岸を見ると当然砂浜が広がっている。

あれが砂丘になるのかと思いながら見ていた。


鳥取砂丘はもっと広かったというのを実感するために東に走っていく。

福部地区にいき、砂丘海岸に向けて砂丘を上がって下がってすると、

らっきょう畑が見えた。これかららっきょうを植えるために砂が広がっていた。

地形も畑も砂丘だったことをよく表しており、鳥取砂丘はもっと広かったということが実感出来た。

そんなこんなで鳥取市街に戻るぞと走って行く。

市街地に入って宿ももう目前というところで電池切れ。走行距離27kmほどだった。

砂丘のアップダウンがかなりきつかったのもあるんだろうか。

調子乗って福部まで走ってからなのだが、足りると思ったのだが……


ここまで小雨に降られたりというのはあったが、宿に戻って歩いて買い物など出かけて、

帰り道には大雨に降られてズボンがびしょびしょに。

確かに夕方以降、降るとは出てたけどここまでとは。

バイクで出かけているとき、小雨で済んでたのでそれはよかったのだけど。


というわけで明日でジオパークめぐりは最終日である。

但馬では岩っぽいものをたくさん見てきたが、鳥取ではまた違った観点で楽しみたい。

香住海岸を朝に回るか雨の中回るか

海がよく見える宿なのだが、昨晩に外を見ていると灯りがぽつぽつ。

あれ? あっちが香住の市街地だっけ? と思ったのだが、起きたらそこは海で、

これはイカ釣り漁船の漁火である。この時期の香住の漁業である。


さて、今日は雨である。旅行中に雨があること自体は織り込み済みだが、

やはり雨が降ってない方がバイクで走るにも散策するにもよいのは言うまでもない。

というので作戦を考えたのだが、朝食前に少し出かけることにした。

なぜ朝食前かというと、この宿、朝食が8時台にしか出ないのである。

到着してから驚いたんだけど、それはそういうものらしい。

雨が降るのは8時以降とみたので、そこまでに出かけようというわけである。


そんなわけでバイクを走らせてやってきたのが下浜地区である。

海岸線に沿って走ると「下浜の動物の足跡化石」という看板がある。

潮の満ち引きなどによっては直接観察もできるようだが、それは見送り。

さらに先に進むと但馬松島ということで、削り残された島が日本三景の松島のようだと。

確かに松島のミニチュアを見ているような感じである。

日本海というのは元々陸続きだったところが海になったもので、

その形成の過程をあらわす痕跡として流痕化石というのがあった。

といっても一見すると洗濯板を逆向けたような岩で、何が流痕? とも思う。

川は流れに沿って削られて溝ができる。その溝の上に硬い岩が形成されると、

川の流れで削られた痕が反転した岩ができる。これが流痕化石である。


この先、地図を見ると「鎧の袖」などの見所があるのだが、

陸上からアプローチできないので海上からしか観察できない。

「かすみGEO TAXI」というチャーター船もあるらしいね。

とはいえ、まぁそれなりに面白いものは見たし、と宿に戻って朝食。

この間、バッテリー外して充電している。ここらで雨が降り出してきた。


雨が小康状態になったときを狙いたいがそううまくもいかない。

カッパを着込んで出発するもそれなりに強い雨である。

出直して向かった先は「ジオパークと海の文化館」である。

無料だが記帳するようにと書かれている。客は自分1人で記帳してたのも自分だけ。

香美町内のジオサイトの解説、海の生物の剥製、郷土資料とけっこう多彩である。

ここには動物の足跡化石の複製も展示されている。

このような動かしにくい化石は複製が有用で、観察するにも便利である。

いろいろな生き物の化石があり、鳥の足跡なんてのも化石になっている。

日本海が形成される過程で足跡が残って、それが後に化石になったらしい。

香美町という点では山のジオサイトもいろいろ紹介されていた。

地滑り地の克服のために棚田にしているとかそんな紹介もある。

海底から山までの模型があったけど、海底には当然カニの模型が置いてあるのだが、

この模型を見て思ったけど、地上に出ている島に洞穴が開くなら、海中にも穴があって、そこが魚などのすみかになるんですよね。


郷土資料という点ではまず北前船の話がある。柴山港を拠点としていた宮下家の話。

柴山は入口に島があり波の影響を受けにくいというので好都合だったという。

年2往復の航海をしており、北陸の年1往復の航海より高効率だったなんて書かれていた。

一方で今の香美町にとってみれば中心的な港は香住漁港である。

これは昭和4年に近代的な漁港として整備されたことによる。これで一気に但馬最大の漁港になっている。

その香住漁港といえば何と言ってもカニである。漁具もいろいろ展示されていたが、

松葉カニを捕る底引き網漁と、香住カニ(ベニズワイガニ)を捕るカニカゴ漁の2つがかなりの割合を占めている。

剥製の展示でも香住の魚に限らずいろいろ展示してるが、カニは重点的に並べられていて、ベニズワイガニの赤さに驚いていた。


とはいえカニは時期が決まっていて、今はちょうどどちらのカニ漁もしない時期である。

カニの時期は賑わうであろう店も、平日というのもあってか、ほぼ閉まっている。

ここだけみると廃墟のようである。世間的にも香住=カニのイメージだろうしなぁ。

カニの時期に大挙来てくれるだけありがたいと見るべきかもしれないけど。

そんなことを思いながら香住の海岸を見ていたのだった。


そんなこんなで宿に戻って、いろいろ乾かしたりしていた。

夕方には雨もやんで、景色の良さを楽しんでいた。

本当は今日の昼に回ろうと思ってたところを、昨日と今日の朝食前にシフトしたので、

結果的には詰められそうな感じはあるけど、元々の意図はそうではなかった。

まぁでも香住滞在は全体的にゆるい日程だったかなとは思う。

豊岡と鳥取の間を埋めるために差し込んだようなもんだし。というわけで明日は鳥取である。

バイクも人も山登り

昨晩、時刻表を見て、明日は宿を早く出ないといかんなと思った。

山陰本線の豊岡~鳥取間は本数が少ない。列車の間隔がかなり開くのでよく考えて動かないといけない。

というわけで早い方を選んだわけで、7時台の城崎温泉行きに乗る。

ちょうど通学の高校生が大挙して下車したところに畳んだバイク担いで乗車。

玄武洞公園の対岸にある玄武洞駅を経て、その次が城崎温泉駅である。

言わずとしれた温泉リゾートの最寄り駅、でも朝早くては無人だった。なんだそれ。


次の宿への移動中でもあるので、リュックサック1つの荷物もある。

城崎ならコインロッカーに預けてしまえば……と思ったのだが小銭が足りなかった。

両替は観光案内所と言われても観光案内所も開いてないし。考えたが背負っていくことに。

円山川沿いに走って、くねくね曲がってたどり着いたのは城崎マリンワールド……

といっても水族館に行くには早すぎで、お目当ては日和山海岸である。

この日和山海岸には城崎マリンワールドやホテル金波楼が存在しているのだが、

海岸線を独占してはいなくて、日和山海岸を見るだけなら自由である。朝早くても大丈夫。

ただ、水族館の敷地ではあるらしく、解説の看板にはペンギンが描かれていた。

ジオパークのビジターセンター(これは営業時間前)も水族館の会社が開設しているよう。

日和山というのは航海にあたり天候を見るために使われた小高い山らしく、

確かに遠くも見通せそうだ。気象衛星がない時代には高いところから見るには有用な手段である。

複雑に侵食された海岸線が美しいのだが、目の前の島になにかある。

これは後ヶ島といい、日和山海岸の目印だったのだろうが、浦島伝説で浦島太郎が玉手箱を開けたとされる島である。

どうも浦島伝説は丹後で伝承されてきた話で、浦島太郎が竜宮城から帰る途中に寄ったところがここだったと。

それにちなんで後の人が竜宮城を作ったのである。別にここに竜宮城があったわけではないが。

このことの是非はともかく、日和山海岸の歴史を著すエピソードの1つである。


事前に地図で見ていたら、この先の道路に展望台があることがわかっていたので、

進むのだが急坂で12km/hぐらいまで速度を落としながらも進んでいく。

まぁバイクにしては非力だよな。自転車と考えれば上等ではあるが。

荷物を背負ってこの急坂では電池の消費が激しそうだなとは思いつつ、

展望台に来ると日和山海岸一帯をよく観察できる。本当に複雑な海岸線である。

さっきのところもそうだが、けっこうゆっくり観察していて、なぜかというと次の浜坂行きの汽車までだいぶ時間があるから。

そろそろいくかと時間を見計らって、ブレーキかけながらゆっくり下りる。


戻ってきたら城崎温泉駅には駅員もいたし、大阪行きの特急が出る直前だったのでそんな客もちらほら。

そんな中で乗り込んだのは浜坂行きの汽車、しかし乗るのはたった1駅である。

というわけで竹野駅で下車、ここも豊岡市なんですね。

竹野駅で下車する人はかなり多かった。観光客もけっこう降りてたように見える。

バイクを組み立てて走って行くと同じ汽車を降りて海岸まで歩いている人を追い越していった。

海水浴シーズンとあっては駐車場もかなりの値段を掲げている状況。

これではうかつに駐車できないなと思ったが、賀嶋公園の入口にちょこんと停めるのはなんとかなりそうだった。


ということでここから登山である。そんなつもりはなかったが思ったより登山だった。

まず、ここは猫崎半島の散策路の入口である。

海水浴場に近いからかサンダルで登るな、スニーカーなどちゃんと登山の備えをしろと書いてある。

ここから猫崎灯台までのルートがあるのだが、途中に賀嶋山(標高141m)があるので、

登って下って、帰るときはその逆、けっこうハードなんですね。

とはいえ、この猫崎半島を間近で見るにはこれが一番である。

汗だくになりながら進んでいく。途中、右も左も海という地点がけっこうある。

とはいえ、木々が生い茂っているところが多く、眺めがよいところは限られる。

やはりハイライトは賀嶋山を過ぎて、谷に架けられた橋を渡るところか。

ここは西岸が大きく侵食されており、猫崎半島が削り残しであることがよくわかる。

猫崎灯台が見えるところまで来たが、笹が生い茂っており灯台に近づくのは断念。

ちなみにこの灯台の先が兵庫県最北端である。


戻ってきて次の地点へ向かうためにバイクを走らせる。

調べごとをするために竹野観光協会のWebサイトを見たら電動キックボードの貸出をしているらしい。

竹野の人たちは特定原付を見慣れてるのだろうか? いやそんなことないだろうなと思いながら緑ランプ付けて走る。

途中にジャジャ山公園というのがあり、ここから竹野浜を一望できると。

また山登りかよと思いつつもやはり見たくて階段をずんずん上がる。

ここはこの周辺の津波避難場所になっているのだが、津波予報に応じて避難の高さの目安にするためか標高を書いた杭が何本かあった。

ここからみると竹野浜、そして猫崎半島、竹野川などよく見える。

猫崎半島は猫が寝そべっているように見えるからその名前が付いたというが、確かにそんな気がする。

現代人に言わせれば「キューピー人形が仰向けになっているようにも見えます」とも。そうか?


竹野にはあといくつか見ておく景勝地があるらしい。

というので隣の切浜地区へ向かう。けっこうなアップダウンがあり、15km/hぐらいまで速度が落ちる区間も。

県道のトンネル手前に看板とベンチが置かれているが、はさかり岩の観察スポットである。

2つの岩に挟まれた岩があるという不思議な構図である。

どうも削り残った2つの岩の間に落石があったのではないかと書かれている。

確かに落石の危険があるようで、道路沿いの崖はコンクリートで固められていた。

削れ方の違う岩が複雑な形を作るという点ではもう1つ、淀の洞門もそうで、

こちらは切浜海水浴場に沿った道を走っていると、確かに貫通している穴がある。

どうもこのあたりで違う種類の岩が重なっているようで、それで穴状に削られたようだ。

「大鬼が金棒で穴を開けた」なんていう伝説もあるが、そうも思えてしまう景色である。


そんなこんなで時刻表を見るとそろそろ汽車の時間だということで駅へ向かう。

思っていたより1本早いが、それならそれで先に見て回るところもある。

というわけで今日の宿の最寄り駅まで2駅、汽車には高校生が多く乗っていたがテスト期間だろうか。

バイクを組み立てて宿まで走るが、宿の手前の急坂で電池切れ。まぁここまで持てば頑張った方か。

荷物に坂に27kmぐらいしか走れなかったが、致し方なしだろう。というわけで押し歩き。

宿にチェックインして部屋で充電しながら、周辺を少し散策してみる。


このあたりは今子浦といい、山陰海岸国立公園の中でキャンプ場・ホテルなどを整備したゾーンらしい。

このあたりの海岸線も複雑でそれを観察できるのが大引の鼻展望台である。

日本海を見るということで言えば今までのどこのポイントよりよいことは確かである。

ここもまた複雑に削り残ったところで、周りにはそんな島がいくつかある。

展望台から戻ってくると「かえる島」と書かれていて、なんだ? と見ると本当にカエルの形をした島があった。

「奇勝」と書かれていて、特に文化財的な価値は認められていないがなかなか完成度が高い。


1時間ぐらい充電したところで再出発。というのも明日の天気を考えると少し前倒ししておきたかったのだ。

というわけでたどり着いたのは香住漁港近くの岡見公園、これも急坂である。

途中で押し歩きに切り替えたけど、けっこう電池消費したかもな。

ここもまた削り残った島だったらしい。それが後で砂がたまって陸続きになったと。

香住漁港のある一帯がそのつながってしまったところなのかも。

黄色い花があるが、これはユウスゲといい、この時期の夕方に開く花らしい。

あまり意図していたわけではないが、この時間帯に来たのはよかったかもしれない。


その後いろいろ用事を済ませて宿に戻ろうとしたら途中で電池切れ。

10kmぐらい走って電池切れで1時間充電だとその程度なのかと。

あと2~3kmぐらい持ってほしかったのだが。と押し歩き。

行動範囲と電池という点では今回の旅行ではいろいろ考えさせられた。

今日が一番ハードだったかもね。元々は竹野と宿周辺少しのつもりだったが、

日和山海岸をねじ込み、竹野でも思い立って切浜まで足を伸ばし……

旅程的にはそれでもゆるゆるなんだけど、電池は全然足りてない。

人間にとってもハードな1日だった。たくさん山登りしたからね。


というわけで明日の天気は雨で、雨の中出かけるのは避けられないが、

ずっと雨というわけではないので、うまく避けながら散策したい。

久美浜湾一周旅行

今日はバイクを列車で運んで周遊ということで、やってきたのは京都丹後鉄道の豊岡駅、

案内があまりないのでわかりにくいのだが、地上に駅舎がある。

豊岡に来たとき、エレベータで降りたときに発見していたからよかったけど。

ここから2駅、久美浜まで乗る。わずかな区間だが府県界を越えて京都府である。


本来、京都丹後鉄道では特急以外はクレジットカードのNFC決済で乗車できる仕組みがある。

しかし、除外されている列車もあって、今回乗車する8:44発の快速もそれにあたる。

除外理由は実質的に特急だから。久美浜から はしだて号になるんですよ。

そんなわけで券売機できっぷを買おうとしたら動いてないんだが。

これは車内で買うのかと乗り込む。この便だけJRホームから出発なのだが、乗換口があるのでしれっと乗車する。

出発前に車掌が来てくれて久美浜までの300円を払った。


久美浜駅に到着してバイクを組み立てる。

なぜ久美浜に来たのかというと、久美浜湾を周遊しようとしたからである。

久美浜湾という名前からすると海のようだし、地元の認識も海である。

ただ、地図を見てみるとわかるのだが、これは湖? というほど海との接続が細い。

実際、ジオパークの説明にも「潟湖(ラグーン)である久美浜湾」と湖のような扱いである。

ただ、都田川の一部である浜名湖や、斐伊川の一部である中海・宍道湖とは異なり、

久美浜湾に注ぐ川は久美浜湾に合流した時点で「河口」として扱われており、行政上も海扱いである。そんなのもある。


とりあえず近くで久美浜湾を見てみるとカヌーをする人が多く見られた。

久美浜湾はこれだけ入り組んでいれば波も穏やかでカヌーに適している。

けっこうな距離を漕げるだけの大きな「湾」である。そのことは後で発見するのだが。

今はカヌーや漁船・遊覧船が発着する程度の久美浜港だが、昔は湾外との航路も多くあった。

看板に「豪商稲葉本家」とあったが、かつて交易で栄えた久美浜を表す建物である。

稲葉家はもともと麹製造をしていて、それで得た利益を元手に廻船業に手を出す。

これはもともと久美浜に発着する船が多かったことを表している。

それで多くの金を持っていた稲葉家は久美浜代官所の掛屋、今で言えば指定金融機関みたいなものか、それで利益を得ていた。

明治以降も久美浜町長を輩出したり、豊岡~久美浜の鉄道開通に出資したという。

この鉄道開通後に湾外交通がなくなったという。実はそういう歴史でもある。


ここから久美浜湾をバイクでぐるっと一周する。かなりアップダウンがある。

自転車だと大変だったなと思いながら上って下って進んでいく。

海岸に沿ってゴルフ場があり、海には養殖用のいかだがあり、よい景色である。

そんなので進むと橋の手前に「大向展望台」と書いてあり、気になったので分岐してみた。

集落の中に入っていき、どこが展望台なんだよと思ったら、わかりにくいところに入口があった。

さすがに車では上がれないので下に停めて、急坂をゆっくり上がっていく。

すると展望台があったのだが……木が邪魔だな。よくあるやつだ。

ただ、木々の間から綺麗な砂浜が見える。後で行くのだが、これは小天橋と呼ばれているところである。

久美浜湾の口を閉じてしまった砂州で天橋立にちなんだ命名だという。

確かに天橋立と構造的にも似ているのだが「湾口」はあれよりさらに狭い。

橋の高さこそ高いが、幅はかなり狭い。しかも1913年に開削してなんとか確保している状況である。

それもはや湾ではなく湖だろと思うんだけど、京都府の認識は海で一貫している。


橋を渡ったらすぐに小天橋海水浴場、海水浴に興じる人が多くいた。

パッと見た感じでは綺麗な海である。京都府にこんな海があるんだなと。

長く砂浜が続いている。この砂浜に塞がれたのが久美浜湾だから当然だが。

けっこうごつごつした岩が多くあり、船の航行には注意が必要そうだなとみていた。

道路が砂浜に近づくのはここぐらいで、他は防砂林を挟んで走っている。

今まで山がちなところを走ってきたが、当然このあたりは平らである。

そのまま久美浜湾沿いに進んでいくと、また山が見えてくる。

久美浜湾のシンボルでもある 兜山が見えてきた。この兜山には展望台があるらしい。

というのでいろいろ迷いながら かぶと山公園に到着。

ここから歩いて登れるようだ。というわけで登るのだがけっこう大変だった。

というのも標高191.7mでスタート地点の標高が30mほどなので、そりゃけっこう急なわけだ。

しかし登り切ると久美浜湾が一望できる。カヌーの人たちはスタート地点のカヌーセンターからけっこう遠くに行っていた。

この兜山は硬い岩石のため削られずにこうして残ったようで、久美浜湾を一望するに適しているわけである。

ところでこの入口の横に「NORTH FACE」「Bshop」と書いた建物があり、

なんだこれ? と思ったら普通に店舗だった。キャンプ場の近くなのでコンビニ的な意味もあるのかと思ったがそうではなさそう。

京都・久美浜の複合施設〈HOLIDAY HOME〉に〈THE NORTH FACE 京丹後〉が生まれた理由 (BRUTUS)

もともとBshopの倉庫だったところを転用していて、それはそもそもBshopの創業者の故郷が久美浜だったかららしい。


そんなこんなで久美浜湾を一周して久美浜駅でゴールである。

今度はVisaタッチで乗車できる汽車だったので、駅の改札でタッチして乗り込む。

J-WESTカードがタッチ対応なのでそれを使った。

エレベーターもない跨線橋を担いで運ぶのはけっこう大変である。

ちなみに丹鉄にはサイクルトレインがあるが、1日1往復の指定列車のみ期間限定で予約制、

乗降できる駅は限られており、久美浜駅は該当しない。そもそも原付は持ち込めない。

というわけで袋に入れて運ぶしかこのルートはどうにもならない。

豊岡までの汽車は案外人は乗っていた。JR乗換の人も多く、宮津方面から豊岡経由で各地というのはあるようだ。

朝は駅員がいなかったが、この時間は駅員がいるようで改札でタッチと。

これなら別に特急でもVisaタッチ使えてよさそうだけど、豊岡でも無人時間帯だと車内対応だしね。


山陰海岸ジオパークの主なところは兵庫県但馬地域ではあるが、

東側は京丹後市まで伸びていて、その中でも面白そうだった久美浜湾を訪れてみた。

ここからはしばらくまた兵庫県内を周遊することになるが、

豊岡滞在は今日まで。明日は次の宿まで動きながら周遊していく。

荷物を運びながらというのが難点なんだけど、まぁそこはなんとかなんとか。