朝、スマートフォンからけたたましい音がするから何かと思ったら、唐津市で土砂災害危険警報とある。
キキクルを見ると宿の場所ではないのでとりあえずは問題ないのだが、
唐津城あたりの土砂災害リスクを言っているそうで大丈夫かよと。まぁ雨はだんだん止んでいくようだし。
その後、宿を出る頃には雨はすっかり止んでいた。カバーはびしょ濡れだったけど。
唐津城あたりの土砂災害リスクも減ったか、この頃には注意報に下がっていた。
ただ、雨量規制のため列車が運休と出ている。雨は止んだからそのうち復帰しそうだが……
というわけで唐津城にやってきた。
松浦川の河口の高台にある城ということで遠くからでもものすごく目立つ。
もっともこの天守閣は1966年に作られたもの。もともと天守台はあったが天守閣はなかったらしい。
エレベータがあるようだけど有料と書かれている。100円徴収する人件費がどうなのかは気になるが。
しかし、こういうのは歩いて行く方が見所は多いわけで。まぁ雨上がりなので注意は必要だが。
天守閣は後付けだが、石垣は昔からあるもの。少し前に石垣の修理が行われたそう。
けっこういろいろな石垣を修理する必要があったようで、あわせて発掘調査も行われた。
これで判明したこともいろいろあったようで、そのことは天守閣内の展示で紹介されていた。
元はもっとコンパクトな城だったが、山の下が二の丸・三の丸となるように拡張されたということですね。
天守閣内は博物館で唐津藩の藩主は目まぐるしく入れ替わったとか、唐津焼のこととか展示されていた。
展望フロアから虹の松原を見ると美しい景色で、これは上から見るのが正解だったのかと。
海ではヨットの練習をするグループなど見られた。
観光マップをもらって見ると、近くに旧高取家住宅というのがあるよう。
玄関を見ると和風とも洋風とも言えるような、ちょっと不思議な見た目である。
入ると案内しましょうかと1人のために一周歩いて説明してくれたが、豪邸ですね。
この家は炭鉱を経営して「肥前の炭鉱王」と呼ばれた高取伊好が作った家だそう。
後から見て思ったけど居宅部分は案外質素である。特に主人の寝室・書斎というのは北側であまり日当たりが良くない。
読書などに没頭するにはいい空間だったのかもしれないけど。畳の部屋に輸入品の暖炉というのは不思議な見た目だが。
どちらかというと重視されたのは客を迎えるための機能でこのために相当な面積を使っている。
中庭に面して茶室があり、客用の茶室とプライベートな茶室をそれぞれ備えている。
客を迎える大広間は2階建てで一体なんぼほど人を呼んだのかという感じだが……
1階の大広間は畳を外すと能舞台として使えるように作り込まれているというトンデモ構造なのだという。
しかも実際年1回ぐらいは能楽は行われていたというから驚きである。炭鉱で働く人たちに芸能に触れさせる意味もあったのではと。
展示に当たっては能舞台としての機能が感じられるような形で再現されている。
この住宅、1997年に唐津市に寄贈され、修理が行われて現在の形になったそうである。
そのきっかけには台風による被災があったようで、そこまでは住宅として使われていたようである。
そこからまた少し行くと旧唐津銀行本店というのがある。
唐津銀行は現在の佐賀銀行の源流となった銀行で、佐賀銀行唐津支店だった時代の表札などが残されている。
ちなみに佐賀銀行唐津支店の現在の店舗はここより少し唐津駅寄りの場所にあるそう。
この建物が保存されている大きな理由が唐津出身の辰野金吾の弟子が設計した建物だから。
辰野金吾というのは東京駅丸の内駅舎や日本銀行本店などを設計した建築家である。
この時代にありがちな銀行建築とも思えるけど、それは辰野金吾が作ったスタイルだったと。
暖炉が据え付けられているのは近隣に炭鉱が多々あった唐津だからこそか。
記念撮影用の一万円札の見本が置かれていてなんで? と思ったのだが、
現在の一万円札には東京駅丸の内駅舎が描かれており、この縁で唐津市には新紙幣発行時に日本銀行から一万円札が寄贈されている。
渋沢栄一の出身地の深谷市に寄贈されていたことは知っていたが、もう1つの縁故地が辰野金吾の出身地の唐津市だったんですね。
さて、唐津駅にやってきたわけだが、当初想定していたルートは動いてなさそうなんだよな。
ここから次に向かいたいのは武雄温泉駅である。
当初はここから筑肥線で桃川駅に行き、そこからバイクで14kmぐらい走って行くつもりだった。
ただ、筑肥線は本数が思っていたより少なく、さらに雨量規制で運休のように見える。
このため改めて地図を見ると唐津線の多久駅から武雄温泉駅まで走るという方策がありそうで、これも14kmぐらいである。
唐津線の方が本数が多いのもあって、こっちの方がいいなと方針転換である。
福岡方面以外はICカードが使えないのでICカードの残高で紙のきっぷを買って乗り込む。
ところで路線図をまじまじ見る人がどれぐらいいるか知らないけど、筑肥線は唐津付近で2つの分断されている。
もとから分断されていたわけではなく、元々は博多~東唐津~伊万里を結ぶ路線だった。
しかし、博多~姪浜は地下鉄の乗り入れに変更され廃止、このときに唐津市内のルートも変更されている。
もともとは東唐津駅は松浦川の河口付近にあり、ここが唐津市の玄関口として機能していた。
筑肥線は博多~伊万里をショートカットルートで結ぶ路線という側面があったようだが、
東唐津駅は行き止まりでここで方向転換していたという。
これを唐津駅に向かうルートに付け替えたというのは、地下鉄乗り入れで博多~伊万里という運行がなくなるのも背景にはあったのだろう。
以来、唐津駅は名実共に唐津市の玄関口となり、福岡都心への直通電車が乗り入れることになった。
今は大概は筑前前原で乗換だし、天神や福岡空港まで乗換なしなのはよいが、各停では時間がかかる欠点はあるが。
もともと唐津線と筑肥線は山本駅で接続しており、伊万里方面との列車は唐津線への直通で代替。
実態としては、(旧)東唐津駅を唐津駅に集約し、東唐津~山本は唐津線で代替出来るので廃止ということである。
そんな唐津線と筑肥線だが、山本駅からしばらくは単線2本が並走する形で、そこで筑肥線側の列車と走りながらすれ違った。
ん? 筑肥線動いているのか? いろいろ不思議な路線である。
多久駅というのはいかにも多久市の玄関口、立派だが無人駅である。
少し雨宿りをするとしばらくは降らないようなので、バイクを組み立てながら少し待って……
武雄温泉駅まで走って行く。途中山越えがあって、少し上ってトンネルを越えていく。
武雄市に入ると電柱に「実績浸水高」というのが取り付けられている。
津波対策などで電柱に標高が書かれているのはよく見るが、ここは内水氾濫の浸水高そのものが書かれている。
もはやここまで水に浸かるリスクがあるとなると、生活できたものではないなと思う。
軍艦旗を掲げて救援活動
このときに紹介しているのだが、この地域は雨水を川に吐き出すポンプが多数整備されている。
平時はこれで対応できているが、ポンプの整備が進むごとに川の水位が上がっていき、堤防決壊のリスクが高まった。
このため川の水位が上がるとポンプの運転を止めるという対応を取っている。
これで発生する浸水は限定的といえればよかったのだが、とてもそうはいえない状況である。
そんなこんなで武雄温泉駅に到着、立派だが道路に駅舎が直接面しているの?
と思ったら新幹線の駅舎は反対側だったようで、バイクの運搬が楽なように反対まで自走して畳む。
西九州新幹線のとりあえずの起点、武雄温泉駅である。ここで福岡方面の特急と接続する。
諫早までの乗車券・自由席特急券をICカードの残高を使って買ってホームへ向かう。
で、新幹線を見て、そういえば荷物スペース付き座席じゃなくても大丈夫なんだっけ? と気になった。
確認すると、西九州新幹線も3辺170cm超の荷物の持込には特大荷物スペース付き座席が必要である。
ただ、折りたたみ自転車などは特大荷物スペース付き座席は必須ではない。
このため自由席の最後列に陣取って荷物を置くのはとりあえず問題ないようだ。この区間に限れば迷惑にもなりませんしね。
裏返せば巨大なスーツケースは自由席では持ち込めないということである。
ただ、荷物置き場もあるので、そこに整然と納められていれば車掌も何も言わない気はするけど。
新幹線は速くてまもなく諫早に到着、宿に入って、夕食は弁当など買って宿でのんびり食うかなんて出かけると、
店を出たら大雨で、距離はわずかだったがずぶ濡れになってしまった。横着して傘を持っていかなかったばかりに。
バイクでの移動は雨を回避できたのに、最後の最後にこれかよと。
さて、明日はとうとう天草に渡るわけだが、明日もどうも天気はよくないよう。
昨日・今日と大雨の心配をしていたが、なんやかんやと回避できていたが明日はどうだろうか。
今日、洗濯をしてうまくいけば、このまま洗濯無しで乗り切れると思っていたが、雨にやられてはどうだろうか。
ひどい雨にはならないとは見ていますが、天気はなかなか読めないところもあるので。