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東野田だけあるのはなぜ?

大阪の京橋駅付近の地名に東野田というのがある。

そもそも京橋というのは京街道の大阪側の起点だった橋の名前なので、

京街道に沿って走る京阪電車の駅があるというのは納得できそうな話なのだが、

実はその京橋があるのは天満橋駅のすぐそばなので、どこが京橋なのかという話ではある。


そう考えると、本来のこの地の地名である東野田の重要性が分かるのだが、

不思議なのはこの付近には東野田はあるが、他に野田と付く町名はない。

なのに東野田だけ存在しているってどういうことよ。

前々から気になっていたことなのだが、最近になってその答えがわかった。


なぜ東野田だけ存在したか? それは大阪市内に他にある野田との区別のためだったらしい。

そもそも東野田は1897年以前の東成郡野田町に由来する。

1897年に大阪市に編入され、当時の北区に属し、後に都島区になっている。

1897年には大阪市は第一次市域拡張ということで多くの周辺町村を編入している。

このとき編入した町村の中に 西成郡野田村 があって、しかもよりによってこっちも北区に属することになった。

そこでこの2つの野田を区別する必要があり、それぞれ東成野田と西成野田と区別するようにした。

まもなく東成野田は東野田、西成野田は西野田と表記されるようになった。


ここで気になったのは西野田ってどこだ? という話。

今、大阪市に西野田なんて町名はないのだが、さてはてどこだったのだろう。

西野田は北区から福島区・此花区の所属になったそうだが、どこら辺だろ。

と地図を開いてそのあたりを調べてみると西野田の名残がすぐ見つかった。野田阪神とJR野田駅だ。

同じ野田駅と名乗りながら離れている2つの野田駅だが、これこそまさに西野田の名残だ。

今は西野田だった地域をさらに細分化した町名になっているので、西野田の名前は残っていないが歴史的には間違いなくそうだ。


よりによって2つの野田がどちらも北区だったというのも、これで納得ですね。

1898年時点では北区・東区・南区・西区の4区しかなかったし、周辺地域だけの区を作るほどの拡張はしていない。

このときの市域拡張は大阪市と周辺町村で錯綜していた市界を整理するような意味合いが強かったんじゃないのかな。

北区だと曽根崎村とかこのときに大阪市編入だったらしいから、すなわち今の梅田界隈も大阪市ではない地域がけっこうあったわけだ。

その流れで北区に編入された地域に2つの野田があったので、東野田と西野田と言い分けるしかなかったわけですね。

これで区が違えば、その段階ではとりあえず棚上げできたんだろうけど。


同じ市町村の中で同じ名前の町村があったりするのを区別するために方角を付けるということはそれなりにあるようだ。

八王子市の多摩ニュータウンにある南大沢というのもそんな地名の1つらしい。

町村制施行前に2つの大沢村が存在して、町村制施行後はそれぞれ 加住村北大沢 と 由木村南大沢 となり、この2つの村はいずれも八王子市となったのだった。

北大沢については現在は加住町の一部に含まれたので、現在は町名には残っていない。

一方で南大沢についてはニュータウン開発されて、なおも残り続け、駅名や警察署の名前にまで採用されるに至った。

今になってみれば、なんで南大沢だけあるんだよって感じはあるけど、そういう経緯があったと。

けっこう長続きしないもんなのかな。


Author : hidemaro
Date : 2018/03/10(Sat) 23:58
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