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内陸の山形県

わりとよく知られた話だが、福島県の郡山駅はきっぷでは「(北)郡山」と表記される。
山形までの特急券にはこの表記で書かれていた。
これは奈良県の郡山駅との区別のためで、こちらは「(関)郡山」と表記される。
もっとも奈良県で単に郡山駅といえば、近鉄郡山駅のことを指すような気はするんだけどね。
どっちも特急もとまらないような駅なんですけどね。(JRの大和路線は特急が走ってないだけだが)
それにたいしてこちらの郡山駅は新幹線も停車する立派な駅だ。
長い新幹線ホームを端まで歩き つばさ号自由席 の乗り口まで行き、列車が来たら乗り込んだ。
つばさ号というと銀と緑のイメージだったが、いつのまにやら塗装が変わってたようで。
次の福島駅で新幹線からはずれ、在来線区間に入り、深い山の中を走っていく。
トンネルもあるけど、もともと在来線だから山の中を進んでいる実感が強い。
福島県・山形県の県境区間は普通列車の本数がすごく少ないらしい。
つばさ号は1時間に1本以上走ってるから便利なんですけどね。
そして山形駅に到着、山形駅はつばさ号専用ホームがあるんだね。
山形駅付近の地図を見ると、近くに城跡が見える。
近そうだと思って歩いていくんだが、外堀の都合でそんなに近くはない。
霞城公園に入ると発掘調査してたり草刈りしてたり、わりと荒っぽいことをしている。
その中に山形市郷土館というのがある。
郷土館とはいうのだが、実はこの建物、済生館という元病院の建物を移設したもので、
展示内容も山形市の郷土というよりは病院にまつわる展示が多かった。
済生館の名前は山形市立病院に引き継がれているとのこと。
中庭から日差しが差し込む構造で、こういう暖かい雰囲気の病院というのはいいなと思った。
それにしても霞城公園の周りはあまり市街地が発達していないように思えた。
そこから東に歩いていくと、商業施設や役所が建ち並ぶようになってきた。
このあたりが山形市の中心市街地なのだが、なんで城のあたりと断絶があるのだろうか。
この理由は旧山形県庁、山形県郷土館「文翔館」の展示を見始めて、少ししたらわかった。
実は山形城とその周辺の武家地というのは、江戸時代中期ごろにかなり衰退してしまったらしく、
その結果、町人地だけが残されたような形となり、これが現在の山形市の中心市街地になっている。
官庁街としても使われなかったようで、結果として市街地の周りに城跡があるような形になったそう。
文翔館は旧山形県庁の建物を徹底的に修復したようで、当時の気合いの入りようがよくわかる。
古い設計ではあるが、機能的な作りではあるような気がした。業務量の増加には耐えられなかっただろうけど。
山形県各地の展示を見て初めて知ったんだけど、山形県って最上川流域というつながりで成立した県だったんだね。
山形県内陸部を流れる最上川は最終的に酒田で日本海に注いでいると。
知ってれば当たり前なんだろうけど、あまり意識することはないから、ちょっと驚いた。
ただ、日本海側の庄内地方とそれ以外の内陸部ではやはり往来は少ないのが実状らしい。
もともと庄内地方は日本海沿いの交易で栄えた地域で、今も秋田県沿岸部との交流が深い。
一方で内陸部では、山形と仙台の行き来が激しいことを代表例に、太平洋側との交流が深い。
今となっては東京との直接の行き来も多いが、陸路なら庄内は新潟経由、それ以外は福島経由(山形新幹線ルート)と全く違う。
最上川でつながってるって言ったところで、本当につながりを感じているかというとそうでもないって話。
昼ご飯を食べたあたりで、電車に乗り込み、天童を目指す。
山形駅のホームで線路を見ると、線路の幅が違う路線があることに気づく。
つばさ号の走る区間は新幹線と同じ標準軌、仙山線・左沢線はJRでは標準的な狭軌になっている。
左沢線・仙山線とはしばらく併走するのだが、実はそれぞれ個別に線路を引いている。
新庄・天童~東京の直通運転も、山形~仙台の直通運転もというとこういう形になるんだよね。
山形~天童はそんなに遠くはない。隣の市だしね。
さて、天童というと将棋駒で有名なところで、駅を降りると早速、将棋にまつわるものがいろいろある。
しかし、クソ暑い。山形にいたときは曇り空で時々雨も降ってたのにいきなりだ。
その上、なんとなく舞鶴山に上ってしまったばかりに、汗ダクダクだった。
駅でもらってきた地図をみると、舞鶴山の上に「人間将棋盤」という怪しげなことが書かれている。
何だと思って見に行くと、9x9の将棋盤の大きいのがあった。
近くにある看板を見てみると、春の桜まつりで人間将棋を行うためにある将棋盤だったらしい。
かなり長い歴史を持つ行事のようで、プロ棋士なんかも呼んでやってるらしい。
春とはいえ、将棋の駒のみなさんはけっこうな重装備で大変そうだなと思ったが、実際どうなんだろうね。
ところでなんで天童で将棋の駒を作ってるんだろう?
天童駅舎にある将棋資料館には将棋にまつわるいろいろな展示がある。
やたらと駒の多い将棋を実際に並べて見せてあったが、実は実際に勝負した記録がなくて、
ゲームとして成立していた将棋というのは中将棋ぐらいとも書いてあったが。
それに続き将棋駒の展示に入るわけだが、実は天童の将棋駒ってもともと書き駒という字を筆で書いた駒なんだよね。
伝統的にはそうなのだが、その一方で現在は彫り駒なども作っている。
このあたりの真相は展示の中に書かれていたのだが、もともと天童の将棋駒って安い価格帯に特化してたのよね。
なにしろ小学生がこづかい稼ぎに将棋駒を書くこともあったっていうんだから。
将棋駒の需要が伸びたとき、天童では機械化により大量生産に対応した。
兵隊さんに持たせる将棋駒を作るときとか、特に生産量が伸びたようだ。
ところが需要がしぼんでくると大阪などほかの生産地での生産が取りやめられた。
その結果、天童に将棋駒の生産が集中するようになり、高級品から普及品まで天童で作るようになったんだという。
そんな経緯もあり天童ではいろんな種類の将棋駒を作っている。
メインは彫り駒だけど、伝統的な書き駒も残ってるし、最高級品の盛り上げ駒も作っている。
気づいてみれば将棋駒の生産をほとんど独占し、将棋ゆかりの地になってしまった天童、
市内のホテル・旅館がタイトル戦の舞台になることもしばしば。
電柱には詰め将棋が書かれていたり、橋に将棋の駒の名前が付いていたり、不思議な雰囲気がある。
ただ、それを除けば普通に生活感のある都市なのかなというのが、天童を歩き回っての感想かな。
明日はほとんど家に戻るだけ。
当初、このまま秋田県まで進もうかと思ったのだが(日数的にはそれぐらいが収まりがよかった)、
前も困ったんだけど、秋田県は公共交通、特にバスが貧弱で、自動車なしではろくに観光もできない。
田沢湖はなんとかなったんだけど、なかなか思うように動ける地域は限られてる。
ほかの地域では妥協と工夫でなんとかなってるんだが、秋田県だけは厳しい。それでやめたんだ。
まぁここまででもけっこう楽しめたので、それはそれでいいんだけどさ。
Author : hidemaro
Date : 2017/07/13(Thu) 23:12
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