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歴史ある上町台地を巡る

今日は忘年会というべきか、大阪で友人らと集まるために大阪へ。

今日は土曜日でそれならエンジョイエコカード買うしかないだろ、と今日も600円払って買った。

まぁけど今日の使い方はあまり派手ではなくて、なんとか元を取ったかなという程度。

今回の周遊のテーマは上町台地、ということにしておこう。


今日のスタート地点は森ノ宮駅、中央線でやってきた。

ところでいつも迷うんだけど、森ノ宮、森之宮、どちらが正しいんでしょうね?

ちょうどこのへんでは環状線の西側が中央区、東側が城東区なんだけど、

西側の町名が中央区森ノ宮中央一丁目・二丁目で、東側の町名が城東区森之宮一丁目・二丁目なんですよね。

この森之宮という地名の由来は鵲森宮の通称、森之宮神社に由来するものらしく、神社はWebサイトに森之宮神社と書いている。

けどその森之宮神社の所在地は中央区森ノ宮中央一丁目だしようわからん。

ちなみに駅名は地下鉄もJRも森ノ宮駅ですが、JRも地下鉄も城東区森之宮一丁目に車庫がある。砲兵工場の跡地だったかな。

その車庫の名前が、JRは駅名と一緒で森ノ宮電車区なんだけど、地下鉄は町名に合わせたのか森之宮検車区、なんやねんこれ。


で、なんのために森之宮にやってきたのかというと、駅東側に大阪府赤十字血液センターがあるんですよね。

ここで成分献血しようと。繁華街の献血ルームだとやたら混むのでここならどうかなって。

他の献血ルームが10:00からなのと違ってここは9:00から受け付け開始なので、朝の時間でと思う人にはおすすめ。

というわけで駅から歩いていくと、献血バスが中央大通を走っていた。もしかしたら梅田の路上に行くのかも知れない。

さらに血液センターに近づくと「ウォーーン」とサイレンが、パトカーかとおもったらなんか違う。

これは血液運搬車ですね。血液センターなどで作った血液製剤を医療機関に運ぶ車で、普段は別にサイレンは鳴らさない。

けど緊急で血液製剤を送ってきて欲しいとなることがある。そんなときはサイレンを鳴らして走っていく。緊急自動車として認められている。

それで献血ルームは2階にあって、予想通り空いてて休憩も入れて1時間半ほどで終わった。これで10時半。


森ノ宮駅の西側になにがあるか? 環状線に乗ったことある人ならご存じですよね。大阪城公園がある。

というわけで環状線を越えて大阪城公園へ。きれいな公園で驚いた。

大阪城公園の周りを見ると、北にはOBPのオフィスビルが、東と南は都心に立地するマンションなどが建ち並び、西は官庁街のビルが見える。

そんな中、鳥たちが集う緑に囲まれた大きな大きな公園があるというのはなかなか不思議な光景である。

まさに都心のオアシスとでも言うべきものである。

お堀の周りを歩いて行く。すると堀になんか変なもんが浮かんでいる。なんやねんとおもったら水質浄化ロボットらしい。
(参考 : 「太陽光発電 水浄化システム」(ソーラーUFO)の運用を支援します (大阪市))

そして大阪城公園を離れて歩道橋で中央大通・阪神高速を渡る。すると原っぱが広がっているのが見える。これが難波宮跡である。

まぁただの原っぱだといえばそうなのだが、発掘の結果分かったことはなかなか多いらしい。

この難波宮跡はかなり広くて、NHK大阪放送局の横にある大阪歴史博物館の地下にその遺構が残されていて展示されている。以前見たことがある。

この難波宮跡から北を見てみると大阪城がよく見える。

中央大通はほぼ全区間にわたって阪神高速が上空を走っている。ところがこの難波宮跡にかかる部分は地平走行になっている。

都市高速でこう言う風に地平走行というのは珍しいように思うが、難波宮の遺跡保護と大阪城への景観確保のためにこうなっている。

その後、日本橋へ行って電気街を昼過ぎまでうろちょろしていた。


電気街を見終わった後、東へとことこ歩いて松屋町筋へ。やたら自動車関係の店が多い。

堺筋は日本橋3南まで北行一方通行だが、松屋町筋はその区間で南行一方通行になっていて、都心部ではセットで1つの道路といった感じ。

なんで松屋町筋に来たのかというと、この辺が上町台地の西の端にあたるところなんですよね。

なので東側を見ると急な坂が並んでいる。そんな中で石段が見えた。大江神社の入口らしい。

ずいぶん長い石段である。上がった先で西を見てみると、日本橋の電気街などがはるか下に見える。

この石段を登り切ったところの町名は天王寺区夕陽丘町なのだが、実はこれかなりいわれのある地名である。

夕陽丘町 (わがまち大江)

この夕陽丘という地名は藤原家隆の「契りあればなにはの里に宿りきて、波の入日を拝みつるかな」という歌に由来するもののよう。

昔、大阪湾は今よりも東に食い込んでた。ちょうど住吉大社のあたりに住吉の浜と呼ばれる砂浜があったらしい。

そんなわけだから、ちょうど夕陽丘のあたりというのは海に沈みゆく夕日がよく見えたのだろう。今でも夕日がきれいそうである。

大江神社の横には急な坂がある。愛染坂という名前がつけられてる。上町台地の端なので道路を引いてもこんな風に坂になってしまう。

このあたりにはそんな坂がいくつかあって、天王寺七坂と呼ばれている。(参考 : 天王寺七坂 (大阪市天王寺区))


なんのために夕陽丘のあたりに来たのかというと四天王寺に行くためですね。

谷町筋に出るとちょうど四天王寺前夕陽ヶ丘駅の入口があった。

この駅はできたときに四天王寺前駅としたら夕陽丘の人から大して四天王寺近くもないのに夕陽丘を駅名にしなかったと苦情が寄せられて、

いろいろあって最終的に四天王寺前夕陽ヶ丘駅という合成駅名で落ち着いたという経緯があるようで。まぁけど四天王寺の最寄り駅には違いない。

四天王寺は法隆寺とともに聖徳太子ゆかりの寺ですね。まぁ古い寺ですわ。

天王寺区やら天王寺駅やら、天王寺というのは四天王寺の略称ですね。

ただ、実は何度も焼けてて、今の中心伽藍は鉄筋コンクリート造で戦後に再建されたものらしい。まぁけどできるだけ飛鳥時代のデザインを取り入れているようで。

この中心伽藍、エンジョイエコカード持ってると100円引きで入れて、学生は200円だから、なんと100円で入れる。

そんなわけで中心伽藍に入ってお参りすることに。

五重塔だが、さすが戦後の再建というべきか、螺旋階段を延々と上がって上まで登れるようになっている。

塔の上にはお釈迦様の遺骨が納められていると言われる舎利塔が安置されていた。塔ってお釈迦様のシンボルなんですよ。

金堂の壁にはお釈迦様にまつわる絵が描かれていた。うまいこと説明してるなと思った。

燃えに燃えた四天王寺ですが、中心伽藍の北側、六時堂は空襲でも焼けずに残っていて、四天王寺の中では古い建物のよう。


忘年会の場所は天王寺駅だったのだけど、少し時間があるのでバスで上町台地を南下してみることにした。

62系統であべの筋を延々と下って住吉車庫まで行った。

あべの筋沿いにもいろいろといわれのあるものがある。

安倍晴明神社、北畠公園、万代池公園、あとちょっと離れているけど聖天山、帝塚山古墳、どちらも大阪の低山として有名ですね。

まぁ回ってる暇なんてないが。あべの橋~住吉車庫はバスの本数が多いのでなかなか便利である。

そうしてあべの橋に戻ってきたらちょうどいい時間だった。


その後、いろいろあって、終わったら17時すぎだった。

ちょうど17:59発の1号系統に乗ってJR平野駅で乗り換えたら近鉄八尾駅に行く9A号系統の終車に乗れるので、

ちょうどいいと思いと乗り継いで八尾から近鉄で帰ったとさ。エンジョイエコカードの有効利用である。

まぁしかし9A系統、利用者少ないわ。JR平野駅発着とか中途半端過ぎるのよね。

本数も少ないし、いつ廃止されても不思議ではないが、JR平野駅発着じゃなくて平野区役所発着にするぐらいのことはするべきだと。

あまりに使いにくいバスですわ。本当は往路にも使いたかったんだけどね。


Author : hidemaro
Date : 2011/12/24(Sat) 23:53
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