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史跡の上の国営公園

先日、奈良に行ったときにこんなことを書いた。

平城宮跡は特別史跡であるとともに国営平城宮跡歴史公園でもある。

大極殿復原というのは国営公園事業によるものなので、発注者は国土交通省になっている。

(奈良で山登り)

国営公園という言葉になじみがある人ってどんなもんだろう。


「国○公園」というものはいくつかあるが、それぞれ意味が異なる。

  • 国立公園 : 環境省が管理する自然公園 (ex.小笠原国立公園)
  • 国定公園 : 国が指定して、都道府県が管理する自然公園 (ex.明治の森高尾国定公園)
  • 国営公園 : 国土交通省が管理する都市公園 (ex.国営昭和記念公園)
  • 国民公園 : 環境省が管理する旧皇室苑地 (ex.皇居外苑)

東京都には全部あるんですね。

これを見てもわかるが国営公園というのは、そこら辺にある市町村管理の公園と同じく都市公園で、その管理者が国というだけのこと。

ただ、わざわざ国が管理する公園というのはそれだけの意味がある。


わざわざ国がやる理由としては、広域の公園であるか、国家的事業を記念するか、文化財の保存・活用のためか。

広域の公園の例としては木曽三川公園、愛知県・岐阜県・三重県にまたがる、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の下流域にある公園である。

実態としては河川敷を使った公園の集合体で、上流では各務原市あたりまで広がっている。

単純に広いだけの公園もあって、ひたち海浜公園は一連の敷地で350haある。もともと軍用地だったのを転用したそうで。

国家的事業の記念というと、まさに昭和記念公園、これは昭和天皇御在位50年記念で立川飛行場跡地に作られた。

ひたち海浜公園も昭和記念公園も有料公園で、公園に入ること自体に料金がかかる。


そして文化財の保存・活用というと、やはり 飛鳥・平城宮跡歴史公園 でしょうと。

通常は飛鳥歴史公園と平城宮跡歴史公園という2つの公園で呼ばれているが、制度上は2つあわせて1つの国営公園らしい。

飛鳥歴史公園は明日香村に点在する史跡を含む区域に整備された公園で、いくつかの地区に分かれている。

史跡の保全が大きな目的であったり、村内各地に点在していて、石舞台古墳などの有料施設以外は無料なので、自然公園的なところもある。

平城宮跡歴史公園は最初に書いたように平城宮跡を公園にしたもので、遺構展示と復原建物により、在りし日の平城宮跡を感じられるようにしてある。

2007年に事業化された比較的新しい国営公園だが、それ以前から国の事業で朱雀門などが復原されてきたそうだ。


ところで、史跡の上に新しく建物を建てるといわれて、そんなことできるのかと思った人もいるかもしれない。

史跡もいろいろで、史跡指定の時点ですでに他の用途に使われてしまっているようなことも珍しくはない。

そういうところだと、遺跡を壊さない限りは許可を受けて改築などできるようだ。

見学者の便宜のために休憩所などを設けている史跡もよくありますよね。遺跡の保護や景観に問題がなければできるんじゃないか。

ただ、かつてあった建物を復原するとなると、けっこうハードルが高いようで、建物についての確からしい情報がなければならない。

建物の外観だけでなく、内装や工法もかつての建物と同じようにする必要があるからだ。

かつてはもう少しゆるやかだったので、鉄筋コンクリート造の博物館「大阪城天守閣」みたいなのも作れたんだけどね。

一方で、太平洋戦争を乗り越えた「大阪城天守閣」は登録有形文化財に登録されてるんだから、作ったもん勝ちですよね。


史跡の上にかつてあった建物を復原すること自体は、各地で行われているが、

平城宮跡のように国営公園事業で行ったところには、吉野ヶ里歴史公園と首里城公園(沖縄記念公園首里城地区)がある。

先日、複数の建物が焼けてしまった首里城公園もそうだったんですね。

首里城公園での火災の消火が難しかった要因の1つが、伝統工法に従って、木に漆塗りをしていたことかもしれないという。

木造、高台、漆塗り…首里城の消火を妨げたもの (朝日新聞デジタル)

国営公園事業でなければ、ここまで忠実な再現はできなかっただろうと思いつつも、それが裏目に出た可能性はあろうと。


さっき、大阪城天守閣のことを書いたけど、似たようなところで四天王寺の中心伽藍というのがある。

飛鳥時代に聖徳太子の命で作られたという四天王寺だが、太平洋戦争で中心伽藍が燃えてしまった。

戦後の再建にあたっては鉄筋コンクリート造で、飛鳥時代の伽藍を忠実に再現したとされている。

四天王寺について言えば、敷地自体は史跡でもなんでもないので、寺の判断で建ててよい。

現役の寺だからこそ、耐火性の高い鉄筋コンクリート造で再建するんだという選択もできたんじゃないか。


失われた建物を伝統工法での再建を目指す寺社もあるが、建物によってはかなり大変である。

巨木確保 アフリカまで よみがえる興福寺中金堂(4)  (日本経済新聞)

巨大な興福寺中金堂を伝統工法で再建するには、とてつもなく巨大な木が必要だったという。

アフリカから輸入したが、もう同様の方法では輸入できないという。

これほどの巨木を人工林から入手することはできず、持続可能性はないということだろうと。

伝統工法にこだわらなければ手もあるんだろうが、興福寺の敷地は史跡指定されているし、これが唯一の手だったかもしれない。


平城宮跡にしても、首里城にしても、その機能はもはや失われている。

そう考えると、儀式のために必要だからとりあえず再建させてくれというのは道理に合わんのだろう。

歴史に触れるのが再建の目的なら、本物らしく再建しないといけないということ。

もっとも再建した建物を何に使うんだという出口を考えると、歴史博物館として再建することを選んだ大阪城天守閣もわかりますけどね。

忠実に再現すると、それはそれなりの使い方もあるし、これらの国営公園は1つ2つの建物の再建に留まらないもっと大規模な事業ですからね。


Author : hidemaro
Date : 2019/11/06(Wed) 22:52
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