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献血でもっとも大切なことがある

今週、職場で献血をやっていた。

台風の影響で献血が必要

呼びかけの成果もあってか、目標より1割多い協力が得られたようだ。

普段より受付時間を延長して対応していたようだが、それに見合った成果があったようだ。

1割といっても本数にすると大した数ではないが、その積み重ねが血液製剤の安定供給につながるのだと信じている。


それはそうとして、その報告には、受付人数と協力者数がそれぞれ書かれていた。

献血にやってきても、問診や検査で協力できないことはある。

そこが受付人数と協力者数の乖離に現れるわけだが、

計算してみると受付にやってきた15%の人が何らかの理由で献血に協力できなかったようだ。

ちょっと多いと思ったが、案外こんなものかもしれない。


今まで端で見てきた献血できなかった理由だが、

  • 血の濃さ(血色素量)が足りない
  • 針を刺す血管が見あたらない
  • 服用している薬が不可
  • 傷口がある
  • 血圧が高すぎる

最初2つは安全な献血の前提条件ですよね。

継続的に献血に協力している人も、日によってできたりできなかったりということもあるようで。

薬の基準は緩和されつつあるが、やはりダメな薬は一定ある。

傷口というのはここ1年ぐらいで厳しく言われるようになった気がする。口内炎もダメらしいですね。

血圧が高すぎるは珍しい理由だと思ったが、上限値もあるらしい。


あらかじめダメだろうということで献血を回避した人もいるだろう。

職場の人も、服用してる薬がダメなことがわかったから行かなかったとかなんとか。

そう考えると、潜在的な献血に協力しようとした人のうち、どれだけが条件を満たさないか。

とはいえ、やはり問診に行かないとわからないところがあるので、まずは来て欲しいとは言ってますが。


先日、日本赤十字社の血液事業の歴史を読んでいて、献血が今の形になるまでの経緯がいろいろ書いてあった。

血液事業の歴史 (大阪府赤十字血液センター)

昔の人は「輸血を受けるためには献血に協力することが必要だった」なんて言ってるけど、

これは献血手帳(当時)に「供給欄」があった1965年~1982年の間のことである。

実は赤十字社が血液事業を始めた1952年にはなかったもので、後の時代に生まれ、今はまた消えたものである。

なぜ、こういうものが必要だったかというと、民間の血液銀行に対抗しなければ血液を集められなかったからだという。

民間の血液銀行で採血して「預ける」と「預血証書」が渡され、これと引換に無償で輸血が受けられるなんてことになっているが、

この「預血証書」は売ることができたので、実質的に血を売れるということで、赤十字社の献血には見向きもされなかったと。

とはいえ、当時は感染症の検査も不十分で、民間の血液銀行は血液製剤の品質面の問題も多く、

これはダメだと輸血用血液製剤は献血でまかなうべしとなった。これが1964年のこと。


それを実現するために、献血は無償だけど、献血に協力すると輸血が受けられるという見返りを与えざるを得なかったということらしい。

行政と連帯して赤十字社は献血の普及に取り組み、1968年には民間の血液銀行はいなくなったという。

(ただし、血漿分画製剤の原料用血漿はもうちょっと後まで有償採血が残ってたとか)

ただ、1980年代になって、献血の預血的運用による問題がいろいろ出てきたので、

献血手帳の「供給欄」は削除され、献血をすることと輸血を受けることは無関係になった。

ちなみに韓国の赤十字社では、今も献血の預血的運用が残っているらしく、献血証を提出すると血液製剤が無償提供されるそう。

ただし、提出しなくても輸血は受けられるし、実際に使用される献血証はそこまで多くないらしい。


以前も「協力できる人がやるしかないのが献血だと思う」なんて書いたが、

受付に来た15%の人は協力できなかったことからわかる通りで、献血の基準はなかなか厳しいものである。

職場で働いている人だから、これらの人は通常の健康状態であるにも関わらず、これである。

もっとも大切なのは献血者の健康、これが脅かされるのでは献血は成り立たない。

その次に大切なのは患者の安全、輸血が原因で感染症にかかることなどはできるだけ避けたい。

これは赤十字社が明示的に言っていることではないけど、この理解は決して間違えていないと思う。

献血に協力できず歯がゆい思いをしている人もいるかもしれないが、協力できる人はそんな人たちの分まで協力して欲しいということ。


Author : Hidemaro
Date : 2019/10/25(Fri) 23:57
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