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何が悪しき事例だったのか

「表現の自由」ということが話題になることはしばしばあるが、

朝日新聞デジタルが「あいちトレエンターレ2019」の一環で行われていた、

「表現の不自由展・その後」の中止についての記事で埋まっていて驚いた。

津田大介氏「電話で文化潰す悪しき事例作ってしまった」 (朝日新聞デジタル)


8月1日の開幕以降、政治家から公然と抗議されるような展示内容だったようだ。

少女像展示「中止を」 河村市長が知事に申し入れへ (朝日新聞デジタル)

とはいえ、愛知県知事が「個々の作品には何も口を出さない」ということで後ろ盾になってくれていたのも確からしい。

ところが問題となったのは、各所からかかってくる大量の電話だったそうで、

事務局の電話が常に鳴っている状況。一昼夜続いた。そこがパンクするとどうなるのか。つながらないとなると、つながるところはどこだ(と探した人が)、県立美術館や文化センターにかけ、激高した人の電話に対応しないといけない。(職員は)そういう電話が回されることも知らない。パンクするとそうなる、というマニュアルがありえたのかもしれない。正直、そういう想定を超えた抗議の苛烈(かれつ)さがあった。

このような疲弊を鑑みて、トレエンターレの監督の判断で中止することを決断したと。

出展していた作家の了承を得たわけでもないが、そんなことも言ってられない状況だったことが読み取れる。


いっそ中止するというのは潔い決断だったのかなと思った。

というのも、抗議が相次いだのは展示されていた作品のうちわずか2つほどという。

その2つを取り除けば、それなりに平穏に展示を続けられたかもしれない。

ただ、そうやって中途半端な状態で展示を続けても、表現の自由とはなんだったのかとなりかねない。

巻き添えを食らった作家にはたまったもんではないかもしれないが、そういう展示に参加した以上は一蓮托生か。


表現の自由ということで、わいせつ物頒布罪 など法令で明確に制約があって、そういうものは公的機関が動くこともある。

ただ、そういう作品でなくても、不快に思う人が大挙して抗議されるような作品は、扱いづらいということで追いやられてしまうというのが実情だよね。

ちょっと前に大手コンビニがそろって成人向け雑誌の取扱をやめたことが話題になった。

コンビニで扱われる成人向け雑誌と呼ばれているものは、その手の雑誌の中ではマイルドな方らしい。

ただ、それでもコンビニで多くの人の目に触れる場所に陳列されることへの抵抗はけっこうあった。

それでも、かつては売れていたからコンビニも取り扱ってたが、今では取扱が面倒な割に売れないものになっていたようで、

成人向け雑誌の販売停止は、単なるビジネス上の決断だろうということだ。

出版側にとっても、これでコンビニでの販売を前提として雑誌を作る必要がなくなったという見方もありますがね。


もうちょっと採算を度外視できるような展覧会でも、作品にスポンサーからケチが付くようなことがあるようだ。

スポンサーに抗議がやってくるのは避けたいということだろう。

そうなってくると、もはや民間団体にはもはや手が付けがたいような作品もあったのだろう。

そこで、県知事が後ろ盾になってくれている公的な芸術祭でやるというのは、理にかなった話だと思った。

ところが、それがかえって大きな抗議を生み出してしまったのが実情だったと。

名古屋市長の批判も、愛知県・名古屋市・国がお金をだしている芸術祭であるということが理由の1つだった。


最初に書いた記事のタイトルに「電話で文化潰す悪しき事例作ってしまった」とあるが、

警備を増強するとか、電話の抗議も想定して回線を強化するなどの対策をしてきた。

作品が断片的にSNSに拡散されることを防ぐために、個人使用のための撮影は認めるが、SNSへの掲載はしないようにと呼びかけていたそうだ。

「表現の不自由展」、写真投稿ダメ 「炎上」の波及懸念 (朝日新聞デジタル)

SNSに通じて作品を広がることに期待していたからか、これに納得しない作家もいたようだ。

こういう対策も功を奏しなかったのは、想定外のところに大量の電話がかかってきたからということで、

そういう攻撃が効果的なことを証明してしまったのが、悪しき前例ということか。


近隣諸国に比べれば、日本はタブーとされる表現は少ないという話もある。

不快に思う人がいるだろうという作品も、一定のわきまえがあれば展示・販売などできているように思う。

真に自由なわけではないが、社会で共存してやっていくには必要なこととも言える。

バランスを取りながら、うまくやってきた作品というのも世の中たくさんあるんじゃないだろうか。

ただ、それすらも通用しないような作品があるということなんだろうかね。


そんな作品を展示する意味って何だろう? と思ってしまうが、このことについて監督の津田さんはこう語っていた。

感情を揺さぶるのが芸術なのに、「誰かの感情を害する」という理由で、自由な表現が制限されるケースが増えている。

人を不快に思わせてナンボという作品も、世の中にはあってよいはずだということなんだろう。

美術館内での展示ということで、見たい人だけが見れば良いというのは前提でしょうけどね。

もっと観覧のハードルを高くすることはできたかもしれないが、それで解決した問題でもなさそうなだけに根が深い。


Author : hidemaro
Date : 2019/08/03(Sat) 23:57
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