ウソをつかない山と北海道の玄関口

朝から洞爺湖畔を散歩していたが、本当に不思議な地形だ、
大きな湖の中に島があるという地形は火山活動によって形作られたものだ。
その火山というのが洞爺湖温泉の背後にある有珠山である。
最近では2000年に噴火しており、日本でも活動が活発な火山の1つだ。
いくら景色がよくて温泉が出るといっても、よくこんなところで観光業をやっているなという気もするが、
そこは噴火を繰り返してきた山だからこその自信もある。


2000年の噴火で熱泥流にやられた地域を災害遺構散策路という形で残してある。
川の規模の割にあまりに大きな砂防ダムを乗り越えた先にあるのだが、
建物に火山灰が流れ込み、特に桜ヶ丘団地は1階が完全に埋まっている部分もあり、2階もボロボロ。
このあたりは災害遺構であるとともに、次以降の噴火時に火山灰の泥が流れ込んだときにに引き受ける、遊泥地でもある。
川の規模の割に大きすぎる砂防ダムは、万が一のときに泥をせき止め、災害遺構を含む一帯に流れ込ませるためのものだそう。
そこから15分程度歩けば、そのときの火口も観察できる。火口はくぼんでおり、水がたまっていた。
洞爺湖もこのように火口にできた湖なのだが、相応の大噴火が遠い遠い昔に起きたということだ。
ところでこの遊歩道、ぬかるんでいる部分があるが、すごく滑る。火山灰の泥だからだろう。
それで下り道ですってんと転んでしまった。おかげでズボンがどろどろになってしまった。


この有珠山については火山科学館でくわしく紹介されている。
実は2000年の噴火、とんでもない被害を出したが、実は人的被害は全くなかった。
え?と思ったのだが、実は有珠山は世界で初めて噴火を予測して避難に成功した火山なのだ。
というのも有珠山の噴火時には火山性地震という前兆がある。
火山性地震が起きれば、いつかわからないけど噴火が起きることだけは確実なのだ。
初めて避難に成功したのは1910年の噴火のときの話で、ただならぬ状況に警察署長が避難指示を出したのだった。
現在は気象庁・大学などが継続的に観察を行っており、噴火が多いだけにデータも多く蓄積されている。
2000年の噴火では、未明に火山性地震を観測すれば、その日のうちに洞爺湖温泉付近を含む一帯で全員避難、
噴火する時期も、被害範囲もわからない、それでも避難を行ったのだ。
結果的に4日後に噴火して、火山活動の収束まで5ヶ月の避難をしいられたのだった。
ひとたび噴火となれば被害は甚大だが、早期に避難できれば助かる。このことを科学館では「ウソをつかない山」「やさしい山」と書いてあった。


バスに乗り洞爺駅へ。有珠山一帯を挟んで少しのところがもう海なんだよね。
室蘭本線も有珠山噴火で被害を受けており、北海道の輸送に大きな影響を与えてきた。
北海道新幹線は倶知安・小樽経由の函館本線ルートで建設される予定だが、
その要因の1つが有珠山噴火時の代替ルート確保のためというのもあるらしい。
今はこの函館本線が土砂災害でやられてるんだけどね。
新幹線はトンネルが多いし、在来線に比べれば災害に強いだろうけど。
そして、スーパー北斗号で函館まで乗ったのだが、途中、全く車内改札がないってどういうこっちゃ。
自由席だからチェックしないとなにもわからないはずなんだけど。


函館駅は連絡船時代の名残かえらく広い。
市電に乗ろうかとおもったが、えらく混んでるので、海沿いを散歩することにした。
すると、すぐに保存されている連絡船が見えてきた。博物館になっているようだ。
青函連絡船は本州・北海道を結ぶメインルートだった時代が長く続いた。
末期は飛行機の普及で利用者は減っていたが、貨車の輸送では引き続き重要な役割を担った。
この青函連絡船、なんと港の停泊時間が55分しかなく、この時間で客や貨車の入れ替えをしてたのだという。
なぜそんなに急ぐ?と思ったけど、3時間50分+55分って1隻の船で1日5便運航できるってことなのよね。
青函連絡船は接岸を早く行うため、特殊な工夫がされており、さらにタグボートも併用していたとのこと。
津軽丸形の連絡船は「海の新幹線」とも呼ばれたようだが、両岸を短時間で結ぶ工夫が随所に見られる。
船内は椅子席もあったがカーペット席の方が多く、なんとカーペット敷きのグリーン座席なんてのもあったようだ。
というわけで、カーフェリーとは異なる点も多く、鉄道連絡船らしさが実感できた。


函館山を見てみると雲がかかっている。小雨がパラパラ、散策する分にはそこまで問題はないが、またしても夜景どころではない。
その函館山の麓の高台には、歴史的な建物もいろいろあるが、旧函館区公会堂もその1つ。
高台の上にあり、バルコニーからの眺めはなかなかのものとのことで、
視界はよくないが、函館湾沿いを中心にあれこれと観察していた。
かつて皇族が来られたときに宿泊場所として使われたこともあり、そのことも紹介されていた。


函館は開港地ということで、それに応じていろいろ施設があったわけだけど、
外国人墓地というのも開港地ならではのものである。
その向こうに旧函館消毒所の建物がある。とんでもない名前の役所だが、今の検疫所のこと。
感染症予防という役割は同じで、感染症患者の隔離・治療を行ってきた。なので墓地のある町外れにあったわけ。
函館検疫所は小樽検疫所に集約されている。その小樽検疫所も今の最前線は新千歳空港でしょうけど。


そこから宿へ行くために市電に、乗り込んだのは函館どつく駅。
なんとなくわかるけど違和感があるが、これで はこだてドック と読む。造船所ですね。
市電に端まで乗ってたどりついたのが湯の川温泉だ。
ところでこのあたりは函館空港の近くなので、飛行機が通ると大きな音がする。
驚いたけど地図を見れば当然のこと。
湯の川温泉を歩いていて思ったけど、函館って北海道では特異な生い立ちの街なのよね。
江戸時代から松前藩の城下町でしたから。
それだけに街の雰囲気も他の北海道とは違って、むしろ本州の方に近いのかなと。
後の時代になっても、本州との行き来がひときわ多かったというし、北海道らしくないって話なのかもしれない。
そんな函館だが、明日もゆっくり回れるので、じっくり見ていこうと思う。