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社会で受け入れできる限界はあるか?

おとといのNHKラジオの19時ニュースで流れた話題なんだけど。

障害者殺傷事件 被告が手紙で取材に応じる 謝罪はなし (NHK)

去年、相模原市の障害者の入所施設であった殺人事件の容疑者に手紙を通じて取材したってニュース。

これ自体はNHK独自のニュースなのだろうが、こういう形での取材は他の報道機関もやっていたようで、

どういうわけか容疑者は取材に協力的なようだ。


手紙でのやりとりの全てを公開したわけではないので、ニュースで伝えられた内容はそのうちどれぐらいの内容だったのかは分からないが、

ニュースを聞いた率直な感想としては、できるだけ素直に手紙の内容を伝えたもんだなと思った。

ニュースで取り上げるには怖い内容もけっこう含まれていて、

「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだ」

「ニュースでは、過激派組織IS=イスラミックステートの活動と、トランプ大統領の選挙演説が放送されました。世界には不幸な人たちがたくさんいる、トランプ大統領は真実を話していると思いました」

公共放送がテロを扇動するのか、とも言わんばかりの内容だ。

もちろん、NHKはこれに反対の立場でニュースを読んでいるわけだが、視聴者が正しく理解してくれるかは定かではない。

それは承知の上で、それでも視聴者に考えて欲しいのだという意図なんだろうと思うんだけど。


このニュースを聞いていて僕が感じたことは、この容疑者は殺すべきと主張する障害者の範囲はかなり限定しているということだ。

ご存じの方も多いだろうし、この記事にも書かれているけど、容疑者はもともとこの施設で働いていた。

すなわち、障害者福祉の最前線にいた人で、きっと多くの障害者を見てきたはずだ。

そういう人がこういうことを決断したということは非常に重いメッセージだ。

ただ、その手紙をよく見てみると「意思疎通がとれない人間を」とか「重度・重複障害者を」とかかなり限定が入っていることに気づく。

事件時も、職員に言葉を話せないのは誰だと聞いたような話もありましたから、障害者全てというわけではないんだよね。

これがこの事件の本質なのでは? と僕は考えた。


そう考えてみると、こういう話題を取り上げても、この事件への反論にはならんわけですね。

「障害者はいたほうがいい」 一緒に生きるパン屋の日常 (朝日新聞)

考え方としては大切なんだけどね。

ただ、この人たちはいろんな人の助けも受けながら、社会の中で居場所を獲得している。

他の人よりお金も手間もかかってるかもしれないけど、それが割に合わないなんてことはないはず。

だから、先に書いた容疑者の主張の対象外なのではないかなと。


障害者であっても居場所を獲得できるようにすることは、社会的な使命だ。

実際、勤務先でも障害者らしき人はいるからねぇ。障害の種類・程度はいろいろだと思うけど。

まともに給料をもらって自立して生活できるに越したことはないし、

そこまで至らないにしても、社会の中ではいろんな居場所が想定されるのではないだろうか。

ところが、非常に重度の障害者については、社会で受け入れできない限界があるのではないかと問われるとどうだろう?

まだその限界が見えているかは定かではないけど、限界がある可能性というのはあるかもしれない。


今の日本で社会で受け入れられる障害者の限界を論じるのは早いかも知れないが、

一応、この事件の背景としては、重度の障害者を受け入れられる施設が限られてきていると言う事情があるとされている。

昔は障害者はすべからず入所施設に入りとやっていたから、入所施設の定員はかなり多かったらしい。

けど、時代が進むにつれて、施設に入所せずに、施設に通って支援を受けるような人が増えてきた。

そうなると入所施設の定員が減るわけだけど、その一方で重度の障害者を中心にニーズがなくなるわけではない。

すると数少ないところに重度の障害者ばかりが押し込められることになると。

実際の事情はそんなに単純ではないだろうが、傾向としてはそういうことがあるようだ。


とはいえ、もう1つ忘れてはいけないのは、明日は我が身かもしれないということ。

何があって、社会で受け入れ困難とされる状態になるかも知れない。

一番想定しやすいのは年老いることですかね。それ以外でも事故や病気というのもあるかもしれないけど。

そこに上で取り上げたような主張を当てはめたとき、どういう反論ができるか?

全てごもっともと納得できるわけはないだろうが、どうしても反論できない部分が残るような気がする。


ところで、「障害者を育てることは、ばく大なお金と時間を失う」という話で出ている、

「ばく大なお金」のうち公的な部分は、税金と年金保険料でまかなわれている。

障害者への給付のうち、代表的なものが 障害基礎年金、自立支援給付、生活保護 あたりですかね。

障害基礎年金は老齢基礎年金とともに20歳以上の人が納めている年金保険料で1/2と国の税金で1/2がまかなわれている。

20歳以前から障害がある場合(年金保険料を全く納めていない場合)でも、所得が多くない限りは支給される。

というわけで、十分な稼ぎが得られない障害者にとっては非常に重要な制度だ。

自立支援給付は、障害福祉サービスを自己負担1割・公費9割で受けられる制度。

自己負担1割というのは介護保険に似ている。制度的にもよく似ている。

1割負担といっても、自己負担には所得に応じて上限がある。住民税非課税だと上限0円だから、全額公費ってことだな。

公費というのは市町村1/4、都道府県1/4、国1/2ということで税金ですね。

最後に生活保護だが、いろんな制度を使っても対処できないとなれば、生活保護の出番ですかね。これも税金。


全額公費というわけではないけど、いろんな形で負担していると。

特に年金ですよね。老齢年金ばかり目が行くけど、障害年金ってのもあるんですよね。

すでにサラリーマンになってしまった人にとっては、老齢厚生年金ってのもあって、

老齢厚生年金が現役時代の給料(標準報酬額)の平均に応じて支給されるように、老齢厚生年金も現役時代の給料に応じて支給される。

なので、所得補償の意味合いも強い制度なんですね。もしものときの制度として理解しやすい。

基礎年金もそうなんだけど、保険料を全く納めてない人でも支給が受けられるという点では特徴的なので。

あとはもちろん税金ってのもあると。そういう理解でよろしいかと。


Author : hidemaro
Date : 2017/07/27(Thu) 23:38
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