飛鳥・藤原の宮都の姿を想像する
今日は飛鳥にお散歩に。
過去に雨で中止になってしまったハイキングのリベンジもできてなかなかみどころが多かった。
このお出かけには実はいろいろ事情があるのだけど、そのことは置いておいて。
以前も話題にしたが、世界遺産暫定リストに「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」というのが登録されている。
既に奈良県には 法隆寺地域の仏教建造物(1993年登録)・古都奈良の文化財(1998年登録)・紀伊山地の霊場と参詣道(2004年登録)の3つの世界遺産が登録されている。
広島県も原爆ドームと厳島神社の2つが登録されているが、奈良県はそれを上回る3つが登録されている。
これだけでも化け物じみているが、それに続く4つ目の世界遺産になるかも知れないものが「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」ですね。
今日歩いてたコース上にも「『飛鳥・藤原』を世界遺産に」と書かれた旗が随所にあった。
対象となる遺産だが、日本という国のおこりに関わるものが多い。
古くには飛鳥の地に天皇のすみかである多数の宮が置かれた。それは作ってはつぶしといった調子だった。
その時代の宮の跡地である伝飛鳥板蓋宮跡は対象に入っている。この頃には数代にわたって宮を使うようになっていたようだ。
そして近隣にあった計時のための施設の跡である飛鳥水落遺跡、富本銭を作った工場の跡である飛鳥池工房遺跡なども対象となっている。
水時計の技術も金属加工技術も渡来人が伝えた技術で、その時代の国際交流を表す遺跡でもある。
石舞台古墳・キトラ古墳・高松塚古墳などこの時代の古墳も対象になっている。
キトラ古墳に描かれた天文図は東アジアで現存するものでは一番古いものなのだとか。
時代は進み、宮のまわりに条坊制の都を作ることになった。それが藤原京ですね。
まわりを天香久山・畝傍山・耳成山の大和三山に囲まれたところに作られたわけだけど、大和三山も対象になっている。
もちろん、藤原京の中枢である藤原宮跡、朱雀大路跡も対象となっている。
そして710年に平城京に遷都したわけだが、その平城京はもちろん藤原京をもとにしていて、使い勝手の悪かったところは改良されている。
平城京への遷都の後も寺院は残ってたのだが、時代が進むにつれ衰退してしまった。
山田寺跡とか本薬師寺跡とか、その時代の寺院の跡も対象になっている。
平城京も平安京への遷都の後にずいぶん衰退したものだけど、それでも興福寺など寺院は残っていた。だからなんとか奈良時代の姿もわかる。
藤原京や飛鳥の地というのはそれよりさらに衰退が激しく、今の姿からはかつての栄えていた姿はなかなか見えてこない。
たださっきも書いたように国のおこりに関わる重要な施設があったことはわかっている。
そういうところから想像を働かせてみれば、栄えていた時代の姿も見えてくるかも知れない。
歩いてる途中で飛鳥水落遺跡の姿を見ながら紹介を見ていたのだが、
かつてこの地で標準時を刻み、鐘の音を鳴らしていたのだと思えば、少しは飛鳥時代のこともわかった気になれる。
そんなものが世界遺産候補になってるわけですが、どうでしょうか? 登録されるでしょうか?
Author : Hidemaro
Date : 2012/09/29(Sat) 23:39
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