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のんびり帰ってくる

天童駅にはICカード用の改札機があるように見えるのだが、

実はこれはモバイルSuica特急券用のもので、山形や仙台に普通列車で行く場合には使えない。

山形県内では山形・山寺の2駅がSuica対応で、仙台方面への利用に特化している。(一応、福島方面に普通列車で行く場合も使えるようだが)

つばさ号停車駅にはICカード用の改札機があるんだし、山形県内の移動でもSuica使えるとそれなりに便利なのでは? と思うんだけどね。

ただ、モバイルSuica特急券用と普通列車用で別々の装置が必要そうだし、そんなに簡単なもんでもないんだろう。


山形行きの電車に乗り、羽前千歳駅で降りる。ここで仙台行きの電車に乗り換えるのだ。

羽前千歳駅はホームの片側が山形線、片側が仙山線、方向によらず路線ごとに使い分けるらしい。

理論上は両方に同時に山形行きの電車が停まることも考えられるが、さすがにそんなことは……ないよね。

とりあえず同じホームで待ってれば向かい側に仙台行きの電車が来るってこと。しばらく待つとやってきた。

仙山線はけわしい山の中を進む。面白山高原駅なんて滝まで見えるぐらい。けど、都市圏路線の雰囲気はある。

山形まで来るのは1時間に1~2本ぐらいなんだけど、山越え区間なんてどこもそんなもんか。


なんか仙台駅にはたびたび来てる気がする。

今回は東京行きのバスに乗り換えるだけなんだけど。

仙台から東京までのバスは6時間ほど、意外とかかるな。

バスはガラガラだったが、のんびりと乗ってれば着くので、こういうときにはちょうどいい。


家に帰ってきたら、クソ暑い。気温を見たら35℃とかとんでもないことになっていた。夕方なんだけどね。

換気して、冷房付けてとやったけど、部屋全体が暖まりすぎて、冷えるのにすごく時間がかかった。

別に涼しいところに出かけてたわけではないけど、やっぱりこのあたりはひどいよなぁ。

なんてことを帰ってきて思ったのだった。夏にでかけるといつもそう思ってるけど。

旅行中にためこんだ洗濯物もすぐ乾くというのはいいことかもしれないが。


Author : hidemaro
Date : 2017/07/14(Fri) 22:52
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内陸の山形県

わりとよく知られた話だが、福島県の郡山駅はきっぷでは「(北)郡山」と表記される。
山形までの特急券にはこの表記で書かれていた。
これは奈良県の郡山駅との区別のためで、こちらは「(関)郡山」と表記される。
もっとも奈良県で単に郡山駅といえば、近鉄郡山駅のことを指すような気はするんだけどね。
どっちも特急もとまらないような駅なんですけどね。(JRの大和路線は特急が走ってないだけだが)
それにたいしてこちらの郡山駅は新幹線も停車する立派な駅だ。
長い新幹線ホームを端まで歩き つばさ号自由席 の乗り口まで行き、列車が来たら乗り込んだ。
つばさ号というと銀と緑のイメージだったが、いつのまにやら塗装が変わってたようで。
次の福島駅で新幹線からはずれ、在来線区間に入り、深い山の中を走っていく。
トンネルもあるけど、もともと在来線だから山の中を進んでいる実感が強い。
福島県・山形県の県境区間は普通列車の本数がすごく少ないらしい。
つばさ号は1時間に1本以上走ってるから便利なんですけどね。
そして山形駅に到着、山形駅はつばさ号専用ホームがあるんだね。
山形駅付近の地図を見ると、近くに城跡が見える。
近そうだと思って歩いていくんだが、外堀の都合でそんなに近くはない。
霞城公園に入ると発掘調査してたり草刈りしてたり、わりと荒っぽいことをしている。
その中に山形市郷土館というのがある。
郷土館とはいうのだが、実はこの建物、済生館という元病院の建物を移設したもので、
展示内容も山形市の郷土というよりは病院にまつわる展示が多かった。
済生館の名前は山形市立病院に引き継がれているとのこと。
中庭から日差しが差し込む構造で、こういう暖かい雰囲気の病院というのはいいなと思った。
それにしても霞城公園の周りはあまり市街地が発達していないように思えた。
そこから東に歩いていくと、商業施設や役所が建ち並ぶようになってきた。
このあたりが山形市の中心市街地なのだが、なんで城のあたりと断絶があるのだろうか。
この理由は旧山形県庁、山形県郷土館「文翔館」の展示を見始めて、少ししたらわかった。
実は山形城とその周辺の武家地というのは、江戸時代中期ごろにかなり衰退してしまったらしく、
その結果、町人地だけが残されたような形となり、これが現在の山形市の中心市街地になっている。
官庁街としても使われなかったようで、結果として市街地の周りに城跡があるような形になったそう。
文翔館は旧山形県庁の建物を徹底的に修復したようで、当時の気合いの入りようがよくわかる。
古い設計ではあるが、機能的な作りではあるような気がした。業務量の増加には耐えられなかっただろうけど。
山形県各地の展示を見て初めて知ったんだけど、山形県って最上川流域というつながりで成立した県だったんだね。
山形県内陸部を流れる最上川は最終的に酒田で日本海に注いでいると。
知ってれば当たり前なんだろうけど、あまり意識することはないから、ちょっと驚いた。
ただ、日本海側の庄内地方とそれ以外の内陸部ではやはり往来は少ないのが実状らしい。
もともと庄内地方は日本海沿いの交易で栄えた地域で、今も秋田県沿岸部との交流が深い。
一方で内陸部では、山形と仙台の行き来が激しいことを代表例に、太平洋側との交流が深い。
今となっては東京との直接の行き来も多いが、陸路なら庄内は新潟経由、それ以外は福島経由(山形新幹線ルート)と全く違う。
最上川でつながってるって言ったところで、本当につながりを感じているかというとそうでもないって話。
昼ご飯を食べたあたりで、電車に乗り込み、天童を目指す。
山形駅のホームで線路を見ると、線路の幅が違う路線があることに気づく。
つばさ号の走る区間は新幹線と同じ標準軌、仙山線・左沢線はJRでは標準的な狭軌になっている。
左沢線・仙山線とはしばらく併走するのだが、実はそれぞれ個別に線路を引いている。
新庄・天童~東京の直通運転も、山形~仙台の直通運転もというとこういう形になるんだよね。
山形~天童はそんなに遠くはない。隣の市だしね。
さて、天童というと将棋駒で有名なところで、駅を降りると早速、将棋にまつわるものがいろいろある。
しかし、クソ暑い。山形にいたときは曇り空で時々雨も降ってたのにいきなりだ。
その上、なんとなく舞鶴山に上ってしまったばかりに、汗ダクダクだった。
駅でもらってきた地図をみると、舞鶴山の上に「人間将棋盤」という怪しげなことが書かれている。
何だと思って見に行くと、9x9の将棋盤の大きいのがあった。
近くにある看板を見てみると、春の桜まつりで人間将棋を行うためにある将棋盤だったらしい。
かなり長い歴史を持つ行事のようで、プロ棋士なんかも呼んでやってるらしい。
春とはいえ、将棋の駒のみなさんはけっこうな重装備で大変そうだなと思ったが、実際どうなんだろうね。
ところでなんで天童で将棋の駒を作ってるんだろう?
天童駅舎にある将棋資料館には将棋にまつわるいろいろな展示がある。
やたらと駒の多い将棋を実際に並べて見せてあったが、実は実際に勝負した記録がなくて、
ゲームとして成立していた将棋というのは中将棋ぐらいとも書いてあったが。
それに続き将棋駒の展示に入るわけだが、実は天童の将棋駒ってもともと書き駒という字を筆で書いた駒なんだよね。
伝統的にはそうなのだが、その一方で現在は彫り駒なども作っている。
このあたりの真相は展示の中に書かれていたのだが、もともと天童の将棋駒って安い価格帯に特化してたのよね。
なにしろ小学生がこづかい稼ぎに将棋駒を書くこともあったっていうんだから。
将棋駒の需要が伸びたとき、天童では機械化により大量生産に対応した。
兵隊さんに持たせる将棋駒を作るときとか、特に生産量が伸びたようだ。
ところが需要がしぼんでくると大阪などほかの生産地での生産が取りやめられた。
その結果、天童に将棋駒の生産が集中するようになり、高級品から普及品まで天童で作るようになったんだという。
そんな経緯もあり天童ではいろんな種類の将棋駒を作っている。
メインは彫り駒だけど、伝統的な書き駒も残ってるし、最高級品の盛り上げ駒も作っている。
気づいてみれば将棋駒の生産をほとんど独占し、将棋ゆかりの地になってしまった天童、
市内のホテル・旅館がタイトル戦の舞台になることもしばしば。
電柱には詰め将棋が書かれていたり、橋に将棋の駒の名前が付いていたり、不思議な雰囲気がある。
ただ、それを除けば普通に生活感のある都市なのかなというのが、天童を歩き回っての感想かな。
明日はほとんど家に戻るだけ。
当初、このまま秋田県まで進もうかと思ったのだが(日数的にはそれぐらいが収まりがよかった)、
前も困ったんだけど、秋田県は公共交通、特にバスが貧弱で、自動車なしではろくに観光もできない。
田沢湖はなんとかなったんだけど、なかなか思うように動ける地域は限られてる。
ほかの地域では妥協と工夫でなんとかなってるんだが、秋田県だけは厳しい。それでやめたんだ。
まぁここまででもけっこう楽しめたので、それはそれでいいんだけどさ。
Author : hidemaro
Date : 2017/07/13(Thu) 23:12
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山越えて会津へ

今市で晩ご飯を食べてから鬼怒川温泉に行ったから、着いたときは景色なんて見えなかったんだけど、
明るくなってみると鬼怒川というのはずいぶん下を流れてるんだなと気づく。景色はいいな。
駅まで歩いていく途中、東武と古河電工の保養所があるのをみた。
今時、直営の保養所なんて割に合うのかね。まぁどちらもこのあたりに事業所を有する会社ではあるけど。
鬼怒川温泉が寂れて見えるのは、空き家が目立つからだろうか。
もしかしたらこれもある会社の保養所だった時代があるのかも。そんな見た目の建物がけっこうある。
昨日、日光駅で西若松までのきっぷを買って、途中下車しているが、
実は東武の自動改札機は途中下車に対応していなくて、問答無用で回収されてしまう。
駅員に見せて途中下車だと言えばなにもないんだけど。そう下今市駅で失敗したんだ。駅員に言ったら取り返せたが。
それで鬼怒川温泉駅から会津若松行きと示したディーゼルカーがやってきた。
えっ、東武の駅にディーゼルカーやってくるの?って驚くけど、会津から4往復やってくる。
運賃だけで乗れる快速列車だが、リクライニングシートを装備してたり、特急並みの扱いだ。
乗り込んでしばらくしたら東京からの特急がやってきて、乗り換えを待って会津に向けて出発した。
ところで、今市経由で会津というのはあまりイメージが沸かない人もいるかもしれない。
東武は鬼怒川温泉の2つ先の新藤原駅までだが、そこから先、福島県に入るまでの区間は野岩鉄道の路線になっている。
この野岩鉄道の運行形態は東武と一体化されていて、基本的に普通電車は下今市発着で走っている。
だから会社またぎという気はあまりしない。そもそもここで乗ってる車両は会津鉄道所有の車両だし。
野岩鉄道はトンネル続き、けわしい山なんで温泉ぐらいしか目印がないのか、温泉にちなんだ駅名がやたら多い。
福島県に入って会津高原尾瀬口駅からは会津鉄道になるが、会津鉄道は国鉄時代から走っていた路線らしい。
野岩鉄道は東武と会津鉄道の間を結ぶ新路線を作り、東京~今市~会津のルートを完成させたと。そういうわけ。
会津鉄道は会津高原尾瀬口~会津田島が電化されていて、東京からの直通特急も入る。
会津田島~西若松(~会津若松)は非電化だからディーゼルカーしか走らない。
会津鉄道はもともと非電化だったのだが、野岩鉄道(当初から電化)に東京からの直通列車が来るようになって、
さらに会津鉄道内にも、と考えて電化の難易度の低い区間だけ電化して、直通列車の入れる区間をのばしたというのが真相らしい。
だから会津内の移動としては重要性が高そうな若松側の区間はディーゼルカーしか走れないんだと。
なので東京(浅草・北千住)~会津若松では1回は乗り換えが必要となる。その乗換駅は場合によりけりだが。
西若松駅で列車を降りた。地図で見るとここが鶴ヶ城の最寄り駅に見えたから。
確かにそうなんだけど、たぶん、隣の七日町駅あたりが中心市街地なので、ここを起点にするべきだったんだよね。
会津若松駅まで乗ってしまうと市街地の北端あたりになってしまうのでかえって都合が悪そう。
だまされたと思いながら、幹線道路を歩いていくと、鶴ヶ城入口とあったので、ちゃんと到達できた。
鶴ヶ城のあたりは官庁街になっていていろんな役所がある。
地図で見ると「大熊町役場会津若松出張所」という不思議な役所がある。
会津若松市役所の一部を間借りしているようだが、なんと浜通りの大熊町の行政機能が会津に避難しているのだという。
比較的多くの住民が避難してきたということでこういうことになったようだが、大変なことだ。
そもそも生活圏も大きく異なるわけで、ここに避難するというのは重い選択だろうし、まだ近くのいわきとか郡山とかに避難している住民も多いでしょうし。
ほかの地域に住む避難住民のためのサービスも一定やらんとならんし、なかなか大変な役所だと思うよ。
ちょうど法務局の近くに測量点があって、2011年の地震の前後でどれぐらい動いたか書いてあったのだが、
水平方向で1m以上、垂直方向では8cmほど沈下したということで、比較的震央から遠いイメージのある会津でもけっこう影響があったようで。
わりあい被害の少ない地域だったからこそ避難者を受け入れられたんだけど、それでも数字を見ると驚く。
若松の市街地を散歩していると野口英世博士の名前をぽつぽつみる。
どうも野口さんが医者を志し、まず勉強したのがこの会津若松だったらしい。
それにちなんで野口英世青春通りなんてのがあったり、野口英世青春館なんてのもある。
なんで青春をアピールするのか?生まれたのは猪苗代で、ここに野口英世記念館などがあることへの配慮だろう。
過ごした期間は短いが、彼にとって重要な土地だったということがポイントというわけ。
知っての通り、野口英世博士は千円札の肖像になっていて、採用されたときには若松の人もずいぶん喜んだようだ。
ゆかりの地というのはいろいろあって、生まれの猪苗代もそうだし、黄熱の研究をしていた南アメリカ・アフリカもそうなんだけどね。
鶴ヶ城に戻ってきて、天守閣の中に入る。
入ると涼しいと思ったのだが、地下階部分は籠城用の食料を保存する倉庫として実際に活躍したそうだ。
というわりには中は博物館建築になっているし、展示の中で鶴ヶ城は取り壊されたとある。
そう、これは現代になって再建されたものだ。だいたい知ってたんだけどね。
実は会津藩は幕末に新政府軍にこてんぱんにやられてしまい、その後、無主の城となったときに壊されちゃったのよね。
籠城と書いたのはこの新政府軍との戦いのことを言っていて、1ヶ月は耐えたそうだ。でもダメだったと。
再び西若松駅、この駅は一見JRの駅なのだが、実態は会津鉄道の駅だ。
というのも窓口の人って会津鉄道の人だそうで、平然と浅草までのきっぷも売っている。
列車もJRよりも会津鉄道の方が本数が多い。西若松~会津若松はJRだが、会津鉄道からの乗り入れの方が多い。
東武・野岩鉄道・会津鉄道は連帯して各社相互ほとんど自由にきっぷを買えるが、JRを含むきっぷというのは買いにくい。
僕は西若松からのJRのきっぷは別途手配しておいたけど、そうでなければ東武方面からはJR分は会津若松駅で精算かね。
会津若松駅まで会津鉄道の汽車で来て、そこから郡山行きの電車に乗り換え。
今日の宿は郡山だったのだ。
郡山駅というと以前、新幹線と在来線の乗り換えで通っているので、見覚えはあった。
ただ、外に出るのは初めてで、やはり福島と県庁所在地を争うだけの大都市に見えた。
もっとも宿まで少し歩いていくとすぐに住宅地になっちゃうんだけどね。
明日は山形県に行く。
郡山に泊まったのも、山形まで新幹線1本だからって話。
山形県は日本海側の庄内地方は行ったんだが、内陸の方に行くのは初めて。
福島県もそうだよね。浜通りにはたびたび行ってるが、会津に行くのは全く初めて。
東北の各県、どれもこれも広いから、地域ごとの差が大きいんだよね。そんなことも意識している。
Author : hidemaro
Date : 2017/07/12(Wed) 22:26
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寂れたかつての銅山

東武に乗るので、まずは北千住駅を目指して進む。
路線検索でもどうしても北千住駅に誘導されるのでなんでだろ?
って思ったら北千住始発の電車だったらしい。浅草でも押上でもだめなんだと。
目的地は栃木県のはずだけど、まずは群馬県の館林を目指す。
東武伊勢崎線系統は運行形態が複雑で、路線も複雑だし、乗換駅も場合によりけり。
今回は館林・太田で乗り換えて桐生方面へ向かう。
館林から先は短いワンマンカーで、なおかつ行き違い待ちをしつつ進んでいく。
実は特急だと乗り換えなしなのだが、特急を使ってもあんまりメリットが出なかったんだよね。
なぜか。この次に乗り換えるわたらせ渓谷鉄道の列車の本数が少なくて、特急との接続より一般列車との接続重視に見えるから。
わたらせ渓谷鉄道、略して「わ鉄」・・・・・・なんだその略称。
桐生から足尾まで渡良瀬川沿いに進む路線で、トロッコ列車が有名。
けどトロッコ列車は臨時列車で夏休み期間は平日の運行もあるが、まだそういう時期ではない。
東武との乗り換えは相老駅でおこなう。一旦改札を出てきっぷを買い直した。
ホーム上のICカードリーダーにタッチして、車内にいるきっぷ売りの人から買ってもOKだったらしいけど。
渡良瀬川沿いを進んでいくが、上流に行くほど岩がごろごろしたような景色になっていく。
そうこう言っているうちに足尾銅山の玄関口、通洞駅に到着した。
ここは栃木県日光市、さっきまで群馬県にいたのになぁ。
駅近くに止まっている車を見るとナンバープレートに「宇都宮」と書いてあるのがすさまじい違和感。
今は緑に囲まれた平和な村だが、かつては銅山の町としていろいろあったところだった。
そんな銅山のテーマパークが「足尾銅山観光」である。
ちょうど昼ごろに着いたので、昼ご飯を食べようと思いレストハウスへ。
これは廃墟なのでは、という見た目だったが、中では細々と営業している店がある。
客も店員も見えんが、呼び出すと店員が出てきた。
平日で客が少ない観光地でも、ここまで寂れたところは初めて見たような気がする。
銅山に入るトロッコも1人だけで乗り込んで入るのだった。
足尾銅山は古河が開発した銅山の印象があったが、実は江戸時代には幕府直営で銅を掘っていた。
ただ、江戸時代のうちに一度衰退してしまったのだという。
これを再興させたのが古河で、機械の導入などの近代化を図り、大量の銅を掘り出したのだった。
足尾銅山観光の展示は、実際の坑道を使って、時代ごとの鉱山で働く人々の姿を表す内容になっている。
江戸時代には手掘りで、明治以降、掘削機が導入され、レールが敷かれ、ダイナマイト発破が導入され、そんな姿がよくわかる。
あと、地下水からも銅を取り出すことが行われていて、地下水中の硫化銅を沈殿させてトラップするということをやっていたらしい。
ところでトロッコにも書かれていたのだが「安全専一」という言葉がいろんなところにある。
これ、今で言うところの「安全第一」のことなのだが、当初こういう表現をしていたようで。
これに引き続き選鉱、精錬についての展示があった。
選鉱というのは掘り出した石から銅の多い部分を選別する作業で、昔は目視だったんだろう。
その後、浮遊選鉱という方式が導入され、効率よく選鉱できるようになったそうで。
鉱山で選鉱までやって、これを精錬所に運ぶ。
精錬所では鉱石を焼いて、銅を還元して溶かして、比重の違いで銅だけを抽出する。
精錬所で最終的にできるものは銅アノードという電極状のもの。
足尾では銅カソードを作るところまでやり、これを日光に運んで水力発電の電気をつかい電気精錬を行っていた。
硫酸銅の中に銅カソードを入れてマイナス極、ステンレス板などをプラス極にして電気を流すと、
ステンレス板に純度の高い銅(電気銅)がつく。これを電線などに加工していた。
これが古河が足尾銅山を使ってやっていた一連のビジネスだったと。そういうことが紹介されている。
とはいえ、足尾銅山はいろんなトラブルを起こしている。
その中でも環境問題というのは相当のものだった。
近くにある足尾歴史館ではこのあたりの経緯がいろいろと紹介されていたが、
今は緑豊かな足尾もかつてははげ山だった。
というのも鉱山では支えに木材を使い、昔は精錬のための燃料に木を使い、とにかく木の伐採がひどかった。
そこで土砂崩れはおきるわ、さらには精錬時に有害なガスが出て、とにかくひどい有様だった。
一応、古河も当時の水準では高いレベルの対策を行っていたらしい。
有害な排水は中和し、排ガスからは可能な範囲で有害物質を取り除き、とやっていた。
とはいえ、対策以上に鉱山の規模拡大の方が大きく、なかなか根本解決にはならなかったそうだ。
あとはげ山については緑化も進められ、銅山がなくなってかなり経った今となっては緑が広がっているが、そうではない時期が長かったと。
ちなみにかつて日本各地には多数の鉱山が存在していた。
その中でも銅山というのは非常に多かったそうだ。ところが現在はすべて閉鎖されている。
閉鎖されたあとの鉱山は、そのままなくなってしまったところもあるし、
輸入鉱石での精錬を続けているところもあるし、リサイクルにその技術を活用しているところもある。
足尾の場合は、しばらくは輸入鉱石での精錬を続けたそうだが、もうそれもやめている。
なので精錬所はすでに閉鎖されたということだろうと。あまり明確には書かれていないけど。
あと日光での電気精錬ももうやめていて、銅の加工などの事業だけが継続している。
さて、足尾から日光駅までは日光市のバスがある。1日6往復だけど。
そんなわけでバス停で待っているとバスがやってきた。
そのバスを見てびっくりしたのはナンバープレートが白かったこと。
お客さんからお金をもらって人を乗せたりものを運ぶ、営業用の車両はナンバープレートが緑色だ。
白色のナンバープレートの自家用車でそういうことをやると違法で、よく白タクは違法といっているのはそのこと。
ただ例外もあって、日光市はその例外で有料のバスを自家用車で走らせている。
コミュニティバスではそういう選択肢があるのだが、たいていはバス会社に委託しているのでそれだと緑色になるから、これは珍しいと思う。
日光駅までのバスは1時間ほど、運賃は1180円、って市内の移動の割にはけっこうするな。
ただしとんでもない山道を走るわけではなく、トンネルがよく整備された道なので。かつて銅カソードを運んだ道だろう。
日光駅で西若松までのきっぷを買う。
このきっぷで途中下車できるようなので、通しでかっておいた。
下今市で買い物と夕食のために途中下車して、鬼怒川温泉で宿にいくため途中下車して、
しかし、鬼怒川温泉、温泉街にしては静かというかなんというか。
僕が泊まった宿に至っては、温泉に入りに行っても人が誰もいないという。
なんにもない平日だとこんなもんなんですかね。
安かったし、のんびりと温泉に入れたし、よかったんだけど、いいのかな。
まぁそのために夏休みをずらしたんだし、目論見通りではあるんだが。
Author : hidemaro
Date : 2017/07/11(Tue) 23:36
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欲張りな徳島

マチ★アソビの時期は宿の確保に難儀するんだけど、
今回は徳島市内に宿が取れた。けっこう鳴門になることが多いんだけど。
新町川沿いをぶらぶらと歩いていくと、各会場近くにいけるから便利だよね。
朝は人数限定のイベントの整理券を配ったりしている。
どれがなにの行列なのかは一見してわからないけどね。
そんな中で僕は朝一番からステージをみようと思ってたんだけど、ステージは準備中のよう。
そのステージの横の貼り紙をみると、3箇所に散らして整列してるとある。
抽選により3箇所のどこからステージに誘導するか順番を決めるということ。
1番目に誘導される列の最後尾に続いて、2番目に誘導される列の頭の人が入ると言うことで、
列に早く並んだとしてもメリットがあるとは限らないという仕組みになっている。
残念ながら一番最後に誘導される列を引いてしまったのだけどね。
こういう方式はどこぞの展示会でやってると教えてもらったことがある。
このときは6列ぐらいに分けて並ばせて、どの列から入るか、さらに頭からかお尻からかも抽選だって言ってたっけ。
所定時刻ギリギリに来て、列の最後に並んだ人が一番最初になる可能性もあるって話。
これにより過度に早い来場を抑制しようとしていたようだ。
マチ★アソビでそういう方式を取り入れていたのも同じような事情があると思う。
ただ、市街地の中で単純にまとまって並ぶスペースがとれないので、
川沿いのスペースに適宜分散させて収めているという事情もあったのではないかと思う。
ステージの準備ができて開放されればそれだけ収まるって話だけど、それまで待たせる場所はまとまってとれないよって話だね。
広い眉山山頂のときは確かやり方が違うんだったような。忘れたけど。
そんなこんなであれこれと楽しんだ後に、フェリーで徳島を去るために南海フェリー行きのバス乗り場へ。
バス混むかなぁと思ったら、南海フェリー行きのバスが2台連なってやってきた。
混雑することを見越して、時刻表上は1便のところに2台のバスを用意したよう。
徳島港に到着したら、好きっぷを買うわけでだけど、窓口で「難波1枚」とか言うとすぐ出てきた。
自動券売機は使えないけど、あらかじめきっぷを出してすぐに出せるように準備してたらしい。
徒歩客のほとんどが買うきっぷですからね。
徳島→和歌山の向きで船に乗るのは初めてだったんだけど、
この向きだと徳島港を尻から出て、和歌山港にお尻から入ることになるんだね。
和歌山港を頭から出て、徳島港に頭から入るんだから、その逆はお尻から出てお尻から入るになると。
商店街のスーパーで買ってきた晩ご飯を食べて、寝てたら和歌山港に到着、真っ暗だけど。
バスの方が時刻表上は早いけど、常に渋滞は心配だからね。その心配がないのは気楽。
これでも徳島市内に17時半ごろまでは滞在できるから十分だね。
見ていたステージ、通りかかったときにちらっとみたステージ、いろいろあるけど、
同じ人がいろんなステージに代わる代わる出ているのを見ると、なんかすごいなぁって。
せっかく徳島に来たんだから、こっちの作品のステージも出てとか、こっちの企画にも出てよとかしてるんだろうな。
観客として参加する人も欲張りだが、出演者として参加する人もけっこう欲張ってるって話だね。
出演者なんてほぼ全員が徳島以外からつれてきてるわけで、それだけに滞在時間の問題がある。
そんな限られた時間で、あれこれと話したりサインしたり歌ったり詰め込んでるってことだ。
それにしても欲張りすぎなのでは?と思う人もちらほらいたけどね。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/06(Sat) 22:23
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「オタクは徳島へ行く」と言われた

朝早く起きて、徳島へ行くためにまずは大阪へ。
そして南海難波駅で「とくしま好きっぷ」を買うのだけど、今は券売機で買えるんだね。
というわけでSuicaつっこんで買ったんだけど、出てきたのは小さいきっぷ1枚だけ。
今まで窓口で買ってたときは電車と船で大きなきっぷ2枚、あと特に使わない総括券とあわせて3枚出ていた。
それが同じで小さなきっぷ1枚ってのはかなり驚いた。
けど、昔から券売機で定価で徳島港までのきっぷは買えたらしいから、それが割引きっぷになったってだけの話だ。
今回の徳島行きは例によって南海フェリー、実は帰りも南海フェリー、
船は時間もあまり自由に選べないし、時刻表上の所要時間も不利なのだが、
値段が安くて、渋滞とは無縁ということで、フェリーを選んでいる。
フェリーはすさまじい混雑だったが、椅子席を確保できたのでよかった。
難民船のようになるかと思ったが、晴れてたから外のベンチ席も使えたから、なんとかなってるようだった。
しかし、徒歩客の多いこと。このうちどの程度がマチ★アソビ目当ての人なんだろう。
徒歩客が多いと心配なのが徳島駅行きのバスだが、増発便の車両を待機させてくれていた。
以前は積み残しを出していたから(すぐに続行便をよこすとは言ってたが)、今日は万全のようだ。
増発便は時刻表よりも早く出てくれたのかな。思っていたよりちょっと早く徳島市街地に到着した。
意外と開会式の前に到着するという。
ところで、昨日のバーベキューで出会ったかつてのクラスメイトの1人が徳島に行くと言っていた。
彼はお知り合いといっしょに車で昨日の夜から徳島入りしてると言ってた。
「そんな前乗りするほど入れ込んでるイベントがあるのか?」と聞くと「俺は特にない」とのこと。
お仲間の方の都合もあったのかもしれないし、よくわからないうちに計画を立てたのかもしれない。
しかし、こうやって集った数人のクラスメイトで2人も徳島に行くのだから、
ほかの人に「オタクはすぐ徳島に行きたがる」と言われたのだった。
誰もが行きたがるわけではなく、ある種のマニアが・・・・・・という話ではあるんだけど。
まぁ彼とは偶然に趣味が合ってしまったようで。
2人こういう人がいると徳島というのは特別な土地なんだろうということはおのずと理解されるものだ。
ただ、なんで徳島なのか?というのは理解されないんだけど。
なにぶん特異な話で、理解できること、できないことがあるけど、
「オタクが金を使って回る経済というのはあるから」と言っている人がいた。
徳島においては本当にそうだなと思うんだけど、阿波踊りとマチ★アソビのときだけは観光客が多いって話だから。
それゆえに地域の人々もおおむね協力的なようである。
そんなことを思っていたら開会式で移動図書館車の贈呈式というのが行われていた。
この移動図書館は南三陸町に寄贈するために購入したものだという。
そしてその原資はというと、マチ★アソビで行われている「チャリティーオークション」での収益とのこと。
このチャリティーオークションというのは、あまり健全なものとは言えないような代物である。
なにをやってるってアニメなどにちなんだ記念品をオークションで売りさばいていくわけだけど、
この金額というのが信じられないような金額につり上がることが多くて、まさにオタクの欲望の満ちあふれたものである。
あまり健全とは言えないオークションでも、その売り上げが実際に社会貢献になる姿をみると、ちょっと見方が変わってくる。
寄贈される移動図書館車は商店街内で展示されていた。
徳島と書いた回送用のナンバープレートが取り付けられ、まだ無地の車両。
この車両にはマチ★アソビゆかりのキャラクタの絵などがかかれ、それから南三陸町まで回送されるとのこと。
今は無地なのは、会期中に関係者から許諾を得てからラッピングするからだそう。
新しい町作りにいそしむ南三陸町にとって、この移動図書館はきっと役立つに違いない。
移動図書館車はトラックを改造した特殊な車両なので、それなりに値が張るもののはずだ。
一部はスポンサー(ufotable?)が立て替えたようだが、それでもチャリティーオークションの売り上げがこういう形になったのだから驚く。
今日もマチ★アソビは盛況だった。
ひどい混雑だったのだが、それでも今日で一番楽しみにしてたステージは前の方で座って見られたからうれしかった。
あれは運がよかったな。ズリズリと動いていったらそこまで行ったんだけど。
今日だけでも徳島に来たかいはあったかなとは思ってるけど、明日もいろいろあるので。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/05(Fri) 23:20
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仏像は教えてくれた

今日はなんとなく奈良にでかけていた。
まぁ近鉄で手軽に行けちゃうしね。
近鉄奈良駅で降りて奈良公園へ。
やはり人は多いけど、正倉院展のときよりはましな気がする。
それで目当ては奈良国立博物館でやってる特別展「快慶」ですね。
鎌倉時代に仏像を作っていた有名な人なのだが、実は謎が多いらしく、
その謎に迫るべく、快慶作の仏像はもちろん、関連する資料をあれこれと集めて展示したんだと言う。
謎は多いといいつつも、仏像を調べるといろんなことが見えてきたらしい。
1つは仏像にかかれた文字から探るという方法。
足の裏とか、中の空洞とかにかかれた文字なんかからわかることもあるらしい。
もう1つは仏像の胎内に入っていた文書などから探るという方法。
これがけっこう情報が多くて、願主とか、仏像作りに関わった人の情報とか、
そこから芋づる的にたどってなんていうのもあったらしい。
仏像の外に残っている情報は限定的で謎が多かったのだが、
実は弟子が作った仏像の中を調べてみると、亡くなった年もだいたい予想がついたなんてことも紹介されていた。
いろんな仏像を作られていたようだが、圧倒的に阿弥陀様が多かったようで。
鎌倉時代ということで浄土宗なんかが起こったころで、そういうニーズが多かったというのと、
あとは快慶本人も阿弥陀様を信仰していたようで、
その造形には相当なこだわりがあったということで、紹介されていた。
なんで似たようなものをたくさん展示してるんだ?ってなるけど、
そこには時系列に沿って快慶のこだわりを示すという意図もあったようだ。
奈良公園から去るときに、JR奈良駅に寄り道してきた。
JR奈良駅のバスターミナルの整備が完成したという話だったので見に行ったのだ。
以前は道路をわたったところから乗るバスもあったけど、東口から出るすべてのバスが道路をわたらずに乗れるようになった。
奈良公園方面のバス乗り場では奈良交通の職員が案内に立っていた。
近鉄で行くと奈良公園なんて歩けばすぐだけど、JRからだとバスに乗るメリットは大きい。
東口バスターミナルだけみるとすごくわかりやすくなったけど、
この工事の前に一部路線を西口に移転させて、それが戻ってないので、どっちから乗るの?って問題はある。
観光によく使われる路線だと平城宮跡や法華寺方面のバスが西口からだったかな。
奈良公園、西の京は東口でOKで、特に西の京方面のバスは道路をわたらなくてよくなったのでメリットが大きい。
西口は今でもがらんとした感じだけど、バスが移る前は本当にだれも通らないなと思ってたぐらい。
JR奈良駅付近に用事があると新大宮駅と歩いて行き来することも多かったから、わりとなじみはあったんだけど。
僕は近鉄でJR奈良駅付近に一番近いのは新大宮駅だと確信していたのでいつもこうしていた。
地図でみると近鉄奈良駅の一番近い出入口からの距離の方が近そうだが、駅構内で歩く距離を差し引くと、
きっと新大宮からの方が近いはずっていうことで。あんまりそう思う人は多くないみたいだけど。
ところで近鉄電車に乗って驚いたんだけどトンネルの中でも電波が通じる区間が増えてたな。
大阪市内の地下区間は以前からいけてたと思うのだが、
大阪線のトンネル区間は以前はさっぱりだったはず。奈良線はあまり覚えてないけど。
こういう山岳トンネルでも携帯電話を通じるように順次やってるようで。
タブレットで車内放送を流す範囲も増えてたし、ちょっとずつ変わって行ってるよね。
電車自体の使い勝手は良くも悪くもあまり変わらずだが、それを取り巻く環境はちょっとずつ変わってるって話だね。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/03(Wed) 21:54
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歩いて、登って天橋立

朝に福井を出て、特急で敦賀まで。
敦賀で小浜線乗り場に行くと、「東舞鶴」と表示した電車がいた。
これで舞鶴まで行けちゃうんだなぁ。
高校生らしきが降りた後は、今度は遠足の小学生が乗り込んできた。
こういう団体利用が根付いてるというのはちょっと驚き。
小浜線はおおむね日本海沿いに進むとは言え、海がよく見えるのは小浜を出てから。
このあたりから原子力関係の施設も車窓からよく見える。発電所そのものは見えないけど。
いい景色だなぁと思いながら、進んでいった。
東舞鶴って路線図でみると途中駅にしか見えないけど、小浜線と舞鶴線の分かれ目なので列車も乗り換えになる。
西舞鶴まで1区間だけのために乗換、っていうけどこの1区間ってかなり長いんだけどね。
西舞鶴で「京都丹後鉄道のりかえ口」とある方向に行って、きっぷを見せると、かなり悩んで確かにOKと理解したようだ。
ただ、「次の列車は必ず乗車整理券がいるんですよ」ということだった。
次の列車は観光列車「丹後あかまつ号」だったのだ。これって必ずお金かかるのね。
うーん、とおもったけど30分後に普通列車が来るので、これでもいいやって。
30分後に戻ってきて、普通列車に乗って、天橋立を目指す。
こっちもひたすら日本海沿いを進むから景色がよい区間も多い。
そんなこんなで福井を出て4時間ほど、天橋立に到着した。
天橋立駅で降りると「海の京都」という文字が目立つ。
これ、京都府のキャンペーンですね。確かに京都府なんだけどねぇ。
天橋立駅から歩いてすぐに恩智寺ということで文殊菩薩で有名な寺がある。
その恩智寺を越えると、すぐに天橋立が見えてきた。
船着場があったが、とりあえず往路は歩くことにしよう。
天橋立というのは砂州なのだが、駅からみると右側が宮津湾ということでそのまま日本海につながり、
左は阿蘇海ということで、狭い水路で外海とつながってるだけの非常に閉鎖的な海になっている。
その2つの海が左右にある砂州ということで、右も左も海というのは不思議な感じ。
けど、阿蘇海って海なんですかね?河川かもしれないと思ったから。
結論から言えば、阿蘇海については海だそうだ。ただし、川から淡水が入る一方、外海との行き来が限られるので、塩分濃度は多少低いとのこと。
似たような地形でも中海・宍道湖は河川扱いになるなど、どちらともとれるものである。
天橋立には多くの松がある。これがなかなかよい景色を作り出している。
歩くと50分ぐらいでけっこうかかるんだけど、片道は歩くと楽しいんじゃないかなぁ。
歩ききると、また船着場、砂州の両側を船で結んでるってわけ。
そして、ここから少し行くと、ケーブルカー・リフト乗り場がある。
これで天橋立を眺めるのに適した笠松公園まですぐにいける。
ケーブルカー往復+船片道というきっぷを買って、
ケーブルカーがでて間もなかったので、往路はリフトで行くことに。
リフトは待ちが短いし、開放的だけど、時間が合うならケーブルカーの方がいいかなって感想。
スキー場以外で乗ったのは初めてで、それはそれでいい体験だったけど。
登ってすぐに天橋立を俯瞰した景色に驚いた。確かにこれは本当に不思議な景色だ。
海を貫く姿、青々と生い茂る松と海の青、なかなかのものである。
ところで、天橋立はイグノーベル賞ゆかりの土地である。
このイグノーベル賞を受賞した研究というのが 股のぞき で奥行き感がなくなるということなどを示したもので、
そのきっかけというのは天橋立の股のぞきの風習なんだという。
確かに股のぞきで天橋立をみると、海だったものがなんとなく空のようにも見え、
空にかかる橋という理解ができるというのは、その話を聞いた上でやればなるほど納得のできることである。
なお、単に鏡で反転させるだけでは、そういう効果は得られないから「股のぞき鏡」というのがおかれていたけど、ああいうのは無意味だと。
どうも頭の上下が逆になるというのが本質的なことらしく、それを実験的に示したのがイグノーベル賞のポイントだったらしい。
帰りはケーブルカーで降りて、船に乗って戻る。
船からみた天橋立はそんなにおもしろいものでもない。歩いた方がずっと楽しい。
天橋立を巡る方法として、歩きと船は書いたとおりだが、ほかにもある。
陸路では自転車というのがあって、それなりに距離があることもあって人気がある。
海路ではモーターボートがあり、料金制度的には乗り合いタクシーのような感じ。
定期観光船に比べるとスピードが速くて、途中で抜かされた。
モーターボード業者がレンタサイクルをやってて、それをセット売りしているのをみた。
楽しみ方もいろいろあるって話だね。
そこからは福知山まで普通列車で行き、そこから特急で京都へ。
京都駅で降りたら、人だらけでちょっと驚いた。
この旅行では今のところ一番ゴミゴミしてたかも。
京都に来る人、京都を去る人、そして僕のようにただ通り抜ける人、いろんな人が入り交じっていた。
そこからは近鉄電車に揺られて2ヶ月ぶりぐらいのふるさとにやってきた。
実は比較的最近にも来ていたんだ。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/02(Tue) 23:55
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マグマが固まって越前海岸

平日に旅行すると朝のラッシュが気になるところだが、そこはわりと回避できた気がする。
もはや北の玄関口としておなじみとなった大宮駅から かがやき号 に乗り込んだ。
関東地方はこれから天気が悪くなるという中、長野県に入ったあたりで雲が暗くなってきたが、
天気の動く向きと逆に進んでいくので、富山県に入ったあたりで小康状態になったように見え、
金沢駅を降りたら地面は濡れてるが雨は降っていないから、うまく雨雲から逃げられた、
今まで金沢には何度か来たことはあるけど、東から来たのは初めて。
今日の目的地は福井だけど、どのみち新幹線と在来線特急の乗り継ぎのために降りるので、
武蔵ヶ辻あたりまでちょっと散歩してみることにした。
北陸新幹線が金沢まで到達して以来、観光客が増えたらしい金沢、
そこでにわかに観光客輸送に力を入れるのがJRバス、PiTaPaを導入したのもそのためか。
もちろん北鉄バスの方が本数多いんだけど、こっちはICaだから、外から来た観光客は現金にならざるを得ない。
なんてことをいいつつ、金沢駅から武蔵ヶ辻までだと大した距離じゃないから歩くんだけど。
散歩の最大の目的は昼ご飯、といってもちょっと早いから列車の中で食べられる弁当でも調達できればよかった。
そしたら、おいしそうな寿司が売ってたので、これだって言って買って、それで駅に戻ったのだった。
「兄ちゃん、なかなか目の付け所がいいね。下手な寿司屋よりうまいぜ」と店の人は自画自賛してたが。
新幹線が通じて、金沢駅の中はいろいろ変わった。外はあんまり変わらないけど。
もちろん新幹線の改札ができたっていうのもそうなんだけど、在来線の改札も自動改札になっている。
これは最近、ICOCA導入にあわせてこうなったんだけど、「特急券も見せて」と言われなくなるのだと思うとちょっと寂しい気もする。
北陸って特急の車内改札も徹底してるけど、駅の改札も厳しくて、時間などから特急っぽいと思われると特急券見せろと言われるのよね。
そんなこんなで特急で30分ほど乗って芦原温泉駅に到着した。
ここで降りてどうするのかというと、東尋坊に行くんだ。
東方面からJRで来る場合は芦原温泉駅が最寄り駅になる。ここからバスに乗るのだ。
駅前のバス停に「京福バス」と書いてあって、こんなところで「京福」というのを見るのは不思議な気がした。
京福電鉄というのは京都で嵐電を走らせている会社だが、今はもっぱら「嵐電」を使っているから社名ぐらいしかみない。
ただ、この会社はもともと福井でも鉄道事業をしていて、今はそれがえちぜん鉄道になっている。
京福バスは福井での鉄道事業の名残ということである。
それでやってきたバスをみると見覚えのあるデザイン。京都バスそっくりなんだよね。
それもそのはず。京都バスも京福傘下のバス会社だから。知ってる人にはなるほどとなる話。
芦原温泉駅というが温泉街が近くにあるわけではない。
実際に温泉があるのはえちぜん鉄道のあわら湯のまち駅付近、温泉街のアクセスにもこのバスが使える。
田んぼが広がる中にぽつんぽつんと温泉旅館が立ち並んでいる姿はちょっと不思議な気がした。
バスはまだまだ突き進み、そのうち海が見えてきた。
そこから海沿いに走るわけだけど、東尋坊より手前に雄島というのがあるらしいので、その近くで降りてみた。
雄島というのは海に浮かぶ岩の島である。
もとは砂州でつながってたらしいが、今は橋でわたることになる。
切り立った崖は柱状節理がよく観察でき、なにかとダイナミックな島である。
東尋坊とともに一見の価値ありだと思った。
東尋坊は海の向こう、そんなに遠くないところに見える。
そこまで海岸沿いの遊歩道「荒磯遊歩道」が延びているのでそこを歩いていく。
なかなかアップダウンが激しく、荒々しい遊歩道だが、なかなかみどころは多い。
というのも雄島と東尋坊の間は福良の浜という非常に浸食が激しいところで、
それゆえに複雑な地層が露わになっていたり、なかなかの絶景である。
ただし、浸食が激しいということは、雄島と東尋坊の直線距離に比べるとかなり遠回りということでもある。
まぁ遊歩道を歩こうが車で行こうが、海上を行かない限りは遠回りであることに違いはないのだが。
東尋坊にたどりつくとにわかに人が急増した。
海岸線沿いに越前海岸を楽しもうという人はあまり多くないらしい。
柱状節理の切り立った海岸が絶景ということで、雄島でみた景色をさらに大きく広げたような感じ。
この岩場の上を歩くこともでき、あんまり端まで行くと「落ちたら死ぬ」という話だが、節度を持って楽しめばより近くで絶景が楽しめる。
それにしても、なんでこんな景色が生まれたのだろうか?
説明によれば、東尋坊と雄島、あとさらに東にある松島はすべてマグマが急激に冷やされてできた安山岩・流紋岩でできている。
地中でマグマが吹き出て、その周りの岩に冷やされて固まったらしい。
その後、周りの岩に比べて硬い安山岩・流紋岩の部分が残ったのが東尋坊であり、雄島だったということだそう。
そういう硬い岩のなかった福良の浜あたりはガッツリ削られたわけである。
そこまではすぐに納得できたのだが、次に気になるのはなんで柱状に岩が剥がれるのだろうかということ。
説明には「六角形に」と書いてあるけど、言うほど規則正しいようには見えない。
実はこれ、マグマが急激に冷やされ、収縮する時にできた空隙に由来するものだったらしい。
だから冷え具合とかによって柱状節理の大きさはかなり違うんだと。
六角形というのは典型的な形のことであって、所々で違ったとしてもそれはそんなもんだということか。
景勝地として名高い東尋坊だが、自殺の名所という話がある。
本当にそんなにあるのかなぁとは思うんだけど、地域の人は警戒しているようだ。
というのも不自然に公衆電話があって、警察署の電話番号が大書きされた掲示物などがある。
公衆電話と電話番号だけでは電話かけられないかもと気を遣ってか、小銭が多少おかれている。
景色を楽しむ観光客にとってはかなり違和感のある代物で、多くの人は不思議だなぁと思ってみているようだった。
遊歩道を歩ききって、ちょっとだけバスに乗ってえちぜん鉄道の三国港駅へ。
福井方面から東尋坊へ行く場合は三国港駅からバスが便利だ。歩ける距離なので歩いてもよいが。
バスを降りると電車が止まってる。時刻表をみるともうすぐ出るみたい。
きっぷ売り場がないので、そのまま乗り込むと、アテンダンドが切符を売りに来た。
一応、ワンマンカーなのだがきっぷ売りの人が乗ってるということだ。
まさか今時、手書きのきっぷを買うことになるとは。
だんだんと乗客も増えて、福井駅に到着した。
なんかえらく立派な高架線だが、実は高架化工事中の仮線として新幹線用の高架橋を借りているのだ。
横にはえちぜん鉄道が本来使う高架橋が作られていて、こっちは分相応という感じ。
もっとも新幹線の福井駅はホーム1つだけという主要駅にしてはかなりコンパクトな形になるようだが。
福井駅前には恐竜がいるという話は聞いていたのだが、
それがまさか動いたり音を出したりするものだとは。
「恐竜王国福井」と書いてあったが、そう言われる理由は状態のよい化石が多数掘り出されたからということに尽きるそう。
福井県で発掘された化石から新種の恐竜が発見され、福井県にちなんで フクイなんとか と名付けられた恐竜も多い。
そんな福井県ゆかりの恐竜の姿を想像して、動いたり鳴いたりさせているということらしい。
あと、福井駅前には福井鉄道の路面電車も乗り入れている。
あんまり運行頻度は多くないんだけどさ。福井駅に入るのは一部便だけだからなおさら。
まだ日も高いから、ちょっと散歩してみることにした。
そしたらなんか小高い山が見えてくるので、そっちに向かって歩いていく。
足羽山というそうで、いくつか神社があったり、博物館があったり、遊園地があったり、電波塔があったり。
市街地の山にテレビ・ラジオの電波塔っていうのもあんまりなじみがなかったけど、
日本全国みると、徳島(眉山)、松山(城山)とかわりとあるもんだな。
ところで、ここで気づいた人がいるかどうか知らないけど、芦原温泉~福井はJRに乗っていない。
東尋坊は東からだと芦原温泉駅が最寄りだが、西からだと福井駅からえちぜん鉄道の方が好都合だからこうなる。
にもかかわらずきっぷはこの区間を含めて買っているんだよね。
これ、切った方が安くなるかと思って計算したら、むしろ高くつくから通しにしたんだ。
途中下車して同じ区間を2度通るのはNGだけど、逆に乗らないのは問題ないし、まぁいいかなと。
途中下車の旅というけど、こういうことも起きるんですね。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/01(Mon) 23:40
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南国に浮かぶ不思議な島

今日は旅行最終日ということで、天気は宿を出た時点で霧雨程度。

これなら最後の目的地も全く問題ないよね、と宮崎駅に向かって歩いて行った。

そして汽車に乗って青島に向かった。


青島というのは宮崎市を代表する観光地のようだ。

例によって列車よりもバスの本数が多いって話なんだけど、往路は列車の時間にあわせて駅に行けばよいだけのことである。

そうして青島駅に到着して、青島に向かって、海側に歩いて行く。

すると海に浮かぶ小さな島が見えてきた。これこそ青島である。


この島のどこがすごいのか? 橋を渡って近づくと、波打ち際の岩が妙な形をしている。

これは「鬼の洗濯板」と言われているのだが、確かに洗濯板のように波打っている。

この青島の生い立ちはこのようなことらしい。

  1. 砂岩と泥岩が交互に積み重なった地層ができる
  2. この地層が海底から傾いて隆起する
  3. 隆起した部分に貝殻が集まり、島になる
  4. この地層が波で浸食され、泥岩の層から削られ、波打った岩(鬼の洗濯板)になる

そういう生い立ちを知った上で海岸の砂を見てみると、多種多様な貝殻がきれいだった。(国定公園・天然記念物なので当然持ち出し禁止だが)

植生も特徴的だ。本来、熱帯・亜熱帯の植物が自生しているからだ。


青島には青島神社があるのだが、ヤシ類が茂っている中に神社とは不思議な景色だ。

これって日本の神社なのかなぁと思ってしまうけど、青島神社の神域はこうなのだ。

神社だから絵馬をかけてあるわけだけど、絵馬が納められた額があって、そこに「巨人軍」と書いてある。

宮崎県はプロ野球のキャンプ地として有名だが、その代表例が読売ジャイアンツである。

その選手・監督・コーチその他関係者が青島神社にお参りしたときに納めた絵馬だったらしい。

選手の書いた絵馬には「1軍で試合したい」など切実な内容が目立った。


青島から見える海はそのまま太平洋につながっている。

地図でみると、この先には伊豆諸島があり、さらに先にはアメリカ大陸があるのだろう。

この旅で海を見ることは多かったけど、瀬戸内海など全方位が陸であることが多く、そのまま外洋につながってるのはここぐらい。

遠くまで来たなぁとは思ったが、帰り道は飛行機だからそんなに時間はかからない。

とはいえ、まずは空港に行かないと、ということで空港経由で宮崎市内に行くバスに乗った。

普通の路線バスでなんとなく宮崎空港の敷地内に入り、なんとなくバス停で降りたら、賑やかなターミナルだった。


宮崎からの飛行機は宮崎の航空会社であるところのソラシドエアである。

ソラシドエアはかつての社名をスカイネットアジア航空といい、新規参入組の航空会社の1つだった。

ただし、まもなく経営は低迷し、ANA傘下に入り、今では新規参入組という地位をうまいように使われているだけの傀儡に見える。

本拠地であるべき宮崎空港ですら、ソラシドエアのカウンターがほとんどないというのが驚きである。

なぜかってANAのカウンターを使うことになっているから。なんてこったい。

ちょっと早めの昼ご飯を食べて、そして保安検査場を通り、東京行きの飛行機に乗り込んだ。

そこからは1時間半ほどで羽田空港に着くんだから、飛行機は速いよなぁ。

宮崎を出たときはすっかり青空だったけど、東京に降り立つと雨だった。


そこから、家に帰ってきて、買い物に行ったのだが、

雨の中、自転車で買い物にいったもんだから、びしょびしょになってしまった。

宮崎の天気がよかったのはうれしかったが、帰ってきてこれはちょっときつかった。


Author : hidemaro
Date : 2017/03/21(Tue) 23:01
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