日記帳だ! with Tux on Libserver

二度目の大改造!! 日記帳…か?を継承し、より柔軟でパワフルなBlogに変身しました。

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天王寺公園でつながる

今日は大阪を散歩していた。
さほど暑くもなくちょうどいい感じ。
近鉄を降りて、千日前の商店街は人だらけ。
千日前で昼ご飯を食べて、日本橋であれこれ物色して、さらに堺筋を下って新世界へ。
新世界もやはり人が多い。それにしても新世界もだいぶきれいになったなと。
昔来たときは新世界とは名ばかりで、逆に古い時代にタイムスリップしたかのような街だった覚えがある。
今でも映画館とか見るとタイムスリップしたかのような見た目だけど、全体的にはいまどきの繁華街って感じ。
そんな新世界を抜けると天王寺公園・天王寺動物園にたどりつく。
天王寺動物園は大盛況のようだが、別に動物園に用事があったわけではない。
今回、こうやって散歩してきたのは天王寺公園がリニューアルされたのを見に来たのだ。
天王寺公園というと天王寺動物園の印象が強いが、それ以外の部分も有料公園ということで入場料が必要だった。
公園自体が有料ってどういうことだよって思うけど、公園に入ること自体が有料というのが珍しい気がする。
慶沢園という庭園があること、植物園の要素があることが入場料を取っている要因ではあるのだが、
それ以外に有料化された背景として言われているのが、ホームレス対策のためということ。
そもそも大阪の公園はかつてはホームレスの小屋が目立ったものである。
その対策として有料化されたという話がある。それだけが理由ではないんだろうけど、要因の1つと言われている。
もっとも有料公園といっても通路は開放されているので、そこにホームレスの小屋があった時期もあったようだが。
あべのハルカスの開業、阿倍野再開発の完了で天王寺・あべのの賑わいも増してきた。
そんな中で天王寺公園に現れた変化が、天王寺動物園に公園との連絡口が新設されたことだ。
もともと、天王寺動物園は新世界側からしか入れなかった。
天王寺動物園の最寄り駅が天王寺駅ではなく、動物園前駅なのはそういう経緯がある。
地図で見るとなぜこっちが動物園の最寄り駅?と思うけど、実はそうだったんですね。
そんな中で天王寺駅・あべの橋駅からストレートに入れるルートとして、
天王寺公園の有料エリア経由で天王寺動物園に入れるルートができた。当初は季節限定、後に常設化されたはず。
これにより天王寺動物園と天王寺・あべのエリアとの回遊性がよくなった。
さらに、天王寺公園エントランスエリアの管理運営を近鉄不動産が請け負うことになった。
近鉄不動産というのはあべのハルカスとの連携も考えてのことだ。
このエントランスエリアは後に「てんしば」と名付けられ、芝生広場を中心として商業施設が並ぶことになった。
この「てんしば」ができた時に天王寺公園は無料化された。
もっとも無料化されたといっても慶沢園については入場料を取るので、その部分は有料公園ともいえる。
従来の公園・動物園の連絡口は天王寺動物園の「てんしばゲート」として整備された。
というわけで新世界から動物園の上空を越える通路を歩いていく。園内も大盛況のようだ。
そして進むと大阪市立美術館があるが、その手前にあったチケット売場が閉鎖されている。
美術館はもともと公園の有料エリア内にあったが、美術館の入場券があれば公園には無料で入れた。
なのでもともとは公園の入り口で美術館のチケットを買って、これを見せて有料エリアに入るとなっていた。
でも、公園が無料化されたので、美術館のチケットは美術館で買うという運用に改められたよう。
そして有料のまま残った慶沢園も慶沢園の入り口で料金を払うようになっている。けっこう慶沢園の利用者も多いみたい。
そして、てんしば にたどりついたが、とにかく人が多い。
天王寺動物園目当ての人も、公園目当ての人も使うからものすごい賑わい。
芝生広場はきれいなのだが、利用者が多いので芝生がはげている部分もあり、維持の難しさを感じる。
芝生広場を囲むように商業施設が並んでおり、相乗効果も大きそうだ。
てんしばからだと通天閣がきれいに見える。その反対を向くとあべのハルカスがある。
大阪の新旧のシンボルタワーの間にあるのが天王寺公園というのがよくわかる。
天王寺公園の無料化で天王寺・あべの と 新世界の回遊性もよくなったのだろうか。(もともと通路はあったけど)
その足で阿倍野歩道橋をわたってあべのハルカスへ向かってみた。
日本一の売り場面積となった近鉄百貨店阿倍野本店、全体としてにぎわっているが、
何度も貼り替えされたフロアガイドを見ると、広いフロアを生かした店づくりの難しさを感じることができる。
あべのハルカスの百貨店部分オープンからそろそろ5年。
その間にあまり変わらない部分もあれば、ずいぶん変わった部分がある。特にsolahaは変化が大きい。
あと、展望台はやっぱり大盛況のようだ。チケットカウンターで60分待ちになってた。
前に行ったことあるけど、本当に眺めがいい展望台なので、おすすめだ。
大阪というのは街のつながりが特徴的だと思っている。
ミナミの繁華街が日本一の広がりを持つ繁華街とされている。端から端まで歩く気が起きないぐらい広いからね。
これはそれぞれ特徴的な街が連なり合っているからこそだ。それはキタの繁華街にもいえること。
そんな中では天王寺・あべの というのは狭い街だ。ちょっと行ったら住宅地だもんね。
だからこれ以上の広がりはないだろうと思ってたんだけど、天王寺公園に広がり、新世界へつながるという独自の道を行ったんだよね。
そんなことある?って思うところだけど、実際に歩いてみると確かに天王寺公園でつながったことが実感できた。
Author : hidemaro
Date : 2018/05/04(Fri) 23:11
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飛鳥を掘って見えたこと

今日は飛鳥に出かけていた。
久しぶりではあるが初めてというわけでもない。
ただ、飛鳥資料館に行ったのは初めてだが。
飛鳥は歩き回ったこととか自転車で走ったこともあるけど、今回はバスを使えるところは使う。
橿原神宮前駅からバスに乗ったのだが、このルートがとてもバスが走るとは思えない道路ばかり。
確かに道路状況があまりよくないのはわかるのだが、それにしてももうちょっとやりようはありそうだが。
ちなみに明日香村のバスとしては橿原神宮前駅~石舞台~飛鳥駅のバスと桜井駅~石舞台のバスがあるが、
桜井駅からのバスはかなり本数が少ない。春と秋の土日は増発されるが、今日は平日なのでそれもない。
橿原神宮前駅からのバスは春と秋は平日含め増発され30分間隔、それ以外は1時間間隔だ。
そんなに悪くはないけど、時刻表見ないで済むほどは多くない。
フリーきっぷもあるけど、村内の移動でガッツリとバスを使うにはちょっと不便そう。
というわけでやってきた飛鳥資料館、
奈良文化財研究所の施設で、飛鳥での埋蔵文化財調査の成果が展示されている。
奈良文化財研究所というと平城宮跡に庁舎があることもあって、平城宮跡での調査の印象が強いが、
橿原市にも拠点があって、飛鳥や藤原京の発掘調査を行っているらしい。
一方で、奈良県は橿原考古学研究所という奈良県内の埋蔵文化財の調査・保存・研究を行う施設を持っている。
わりとお互いの役割に重なる部分もあると思うのだが、適宜協力してやってるんでしょうね。
奈良文化財研究所は国の研究所で、ターゲットは奈良県内に限らないし、埋蔵文化財にも限らない。
ただ、どうしても奈良県内の埋蔵文化財の調査の割合は多くなるのかなと。
そんな飛鳥資料館だが、門をくぐるといろんなものがある。
飛鳥時代の石で作られた噴水をレプリカで作っておいてあるようだ。当時、こんなのを作ってたのには驚いたが。
建物の中にはいると、飛鳥京の模型がある。発掘調査の結果を踏まえて想像を加えて作ったものらしいが。
本当にこんなのあったの?と思うけど、確かに明日香村で点在している遺跡などをつなぎあわせるとこうなるんだよね。
今にしてみればいろんな遺構が点在しているという理解にしかならないけど。
重点的に展示されていたのが高松塚古墳とキトラ古墳、そして山田寺である。
高松塚古墳とキトラ古墳はそれぞれ壁画が特徴的な古墳として知られている。
高松塚古墳は壁画保存のため石室を解体して、現在は当初の姿に復元されている。
この石室は戻す計画なのだが、現状では戻して保存できる目処が経たないので、外で保存する方向で考えられているらしい。
キトラ古墳は壁画を剥がして、こちらはもともと壁画は外で保存するということで、去年に公開施設ができた。
飛鳥資料館には壁画はレプリカや写真で展示されているが、それとともに地面の断面サンプルが展示されている。
どうやって古墳がつくられたかということがここからわかるということらしい。
山田寺はかつての回廊の部材がよい保存状態で発見されたので、それを組み直して展示するということをやってある。
礎石からかつての建物を想像することはよくあるが、実際に部材が発見されるのはなかなか。
もっとも掘り出された部材を保存するのはとても大変だったようで、
大量の部材を保存処理するには15年もの期間がかかったそう。
組織中の水を慎重に高分子に置き換えるということで、そもそも時間がかかるのに処理すべき量まで多いから。
そのあと、すぐにバスが来ないからと歩いていたら万葉文化館にたどりついた。
奈良県の展示施設で、絵画の展示以外は無料なので入ってみたのだが、
実はこの建物がある場所は飛鳥池工房遺跡で、すなわち銭やガラス玉などを作る工場だったと。
外からはあまりアピールされていないのだが、なかなかすごい遺跡だった。
再びバスに乗り高松塚で降りる。
国営飛鳥歴史公園のメインとなる地区で、今まで何度か来たこともあるのだが。
そういえば高松塚古墳って今どうなってるんだろうと思って見てみると、
きれいに整備された墳丘には草が生えていた。
かつて、壁画の保存のために古墳の周辺は工事現場のようだった覚えがある。
石室が解体されてしまえばそういうこともしなくてよいのだから平穏そのものである。
石室の解体というのは古墳にとってはよくないという話もあったが、
壁画の保存・修理という点で無理があったのは確かで、解体したことで無理がなくなったということなのかなと。

Author : hidemaro
Date : 2018/05/02(Wed) 23:31
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月曜休日の翌日の京都

もはやおなじみになりつつある5月1日の旅行出発、
駅に行くとメモしてきた電車の時間とちょっと違う。
どうも間違えて休日ダイヤで見てたらしい。平日ダイヤをみるべきだったのだが。
とはいえ致命的な差ではないので問題はない。
さて、今回はこだま号グリーン車で京都まで行く。
これがなかなかよかった。というのもN700系のグリーン車が非常にレベルが高かったからだ。
以前、700系のグリーン車を同様にこだま号で割引で乗ったけど、あれよりはるかによい。
それでいてガラガラですからね。朝早いってのはあるけど、割引があっても乗らないと。
うとうとしながら、新幹線各駅停車しながら、大半は追い越されつつ進んでいった。
東京を出て3時間半、京都にたどりついた。
所要時間よりも通し運転のこだま号が限られることが問題だが、なかなかよかった。
京都駅はそれなりに人が多い。
でも京都駅には用事はないので早々に地下鉄に乗って東山三条までやってきた。
今回の目的地はほとんどこのあたりなのだが、まず向かったのが知恩院、
というのも、どうも長らくやっていた工事がかなり完成に近づいているという話を聞いていた。
そしたら工事前につくった屋根を壊していた。
修理後の建物の外観はとてもきれいになっていた。確かにここまでくれば完成はもうすぐだな。
予定では2019年完成とのこと。
ちなみに知恩院では御影堂の工事中、その機能を他の建物で代替している。
もともとあった集会堂という建物らしいが、仮設の建物で床面積を増やす対応をとっている。
が、一見するとつなぎ目がわからない。でも天井を見てみると、本来の屋根が見えていて、元々ここまでだったということがわかる。
これも工事が完了すれば元に戻されるのだが、工事期間中もできるだけ通常どおりできるように工夫されている。
今回、ちょっとしくじったなと思ったのが、昨日が休日の月曜日だったということ。
通常、月曜日が休みとなっている施設も、月曜が休日の場合は休みにしないことが多い。
でもその代わり翌日が休みという場合がある。だから行こうと思ってたところがやっていないことがある。
最大のお目当てだった京都国立近代美術館はやってたからよかったけど。
ちょうど「明治150年展」をやってるんだが。本来月曜休みだが昨日は営業、そして今日も営業だった。
というわけで、これはよかったのだが、他はいくつかあてが外れた。
月曜はずせば大丈夫だと思っていたが、こういうこともあるんだな。
そんなわけで、あてが外れたもんで、岡崎公園からぶらぶらしてたら、
琵琶湖疎水のインクライン跡を歩いていて、そこから足を伸ばすと南禅寺にたどりついた。
そういえばこのあたりだとは知ってたけど、来たのは初めてだな。
実は東西線の蹴上駅から徒歩5分程度と近くて、地下鉄が一番便利らしい。
京都にしては意外な気もするが、標高が高いので、山越えの地下鉄の駅からだと高低差が小さいのが理由のようだ。
そんな南禅寺だが琵琶湖疎水の水路橋が有名だ。別に寺の施設ではなく、境内を横切っているだけだが。
その水路橋の先には南禅院の庭園がある。そんなに広くないけど雰囲気がよい。
あまり来たことなかったけど、なかなかよかった。
この時期の京都にしては空いてるってのは確かな話だね。
地下鉄の駅に連休中のバス停移設の案内がペタペタ貼られていて、
まさに臨戦態勢という感じだけど、それもあさってからの話なので。
そんなわけで想定外に休みの施設が多かったのは惜しいけど、全体的には満足だ。
Author : hidemaro
Date : 2018/05/01(Tue) 22:54
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正倉院展の新ネタはここにある

今日は平日だから、ほかの家族は仕事か学校、
だから家を出るのは最後になるだろうとは思ってたんだけど、
それどころか僕が起きたのが、最後に家を出る人の出発時刻だったという。
通勤・通学時間が長いのと、近くても始業が早かったり。
そんなわけで、朝ご飯を食べて、ほどほどの時間に家を出て、奈良へ向かうことに。
時刻表を見ずに家を出たが、ほとんど待たされずに電車に乗れたし、乗り継ぎもそんなに悪くなかった。
20分間隔ぐらいで走ってるからギリギリ時刻表なしでもなんとかなるし、
帰りに時刻表を見ることなんてまずないんだけど、当たり外れはあるからねぇ。
そんなわけで奈良に到着すると、やはり平日だが人は多い。
お目当ては正倉院展なのは言うまでもない。
待ち時間はずいぶん短かった。(それでも人数を制御しているってことは、中は満員ってことなんだけど)
ただ、混んでるって言ってもじっくりみるのに不都合はないぐらいだったけど。
今回の目玉は緑のガラスの杯、これもわりと近づいて見られた。
休日だとこうはいかないのかな?でも整列するスペースもないから、休日もたぶんそうなんだと思うけど。
正倉院展って今回で69回目なんだけど、そんなにやってても毎年初出陳がある。
同じ種類のものがたくさんあれば、同じ種類で違うものを出して初出陳と言うこともできるけど、それではおもしろくない。
それでどういうのが新ネタになるんだろう、ということで初出陳のものの説明に注目していた。
初出陳の伎楽面の説明に「最近の伎楽面修理の成果」と書かれているものがあった。
修理して見せられる姿になったので、ぜひとも見てもらおうと。
確かに往事の姿が想像できる状態ではあった。修理して良さがわかるものはありそうだな。
ほかに布の切れ端が、実はこの布につながるとか、そういう理由で切れ端部分を初出陳となっているのが2件ほどあった。
布の切れ端自体はさほど価値はなさそうだけど、この布の切れた部分はこれで、全体像はこうだったと説明できれば価値があると。
説明次第だなぁと思ったのが写経の作業報告書を連ねた巻物。
写経の作業時に発生する紙の切れ端を再利用して作業報告書を提出して、それでお給料をもらってたと。
だから、こういう跡が残ってるとか、こういう内容が書かれてるとか、そういう説明ができると。
というわけで正倉院宝物の修理・調査の成果というのはまだまだあるという話ですね。
奈良公園を散歩して、春日大社にお参りしたり、二月堂に行ったりとしていたわけだけど、
やはり遠足だか社会見学だか修学旅行の学生ってのは多いね。
あと写真撮影のために奈良公園に来てるんだろうなって人もぽつぽついた。
あまり普段着ないような衣装で写真撮影してたりとか。確かにいろんな背景で撮影できていいでしょうけど。
明日からの3連休はもっと混むんだろうけど、いいところなのは確かですからね。
Author : hidemaro
Date : 2017/11/02(Thu) 19:48
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織機から始まった博物館

朝から新東名スーパーライナーに乗って名古屋へ。
休日の前後でもなくただの平日だから、乗車率は50%も行ってなかった。
それで5時間もかからずに名古屋に着いた。
この時間で走ると新幹線と比べてもそこまで悪くないよね。
両親は仕事だからそんなに早く進んでも仕方ない。
それで名古屋で何か時間はつぶせないかなぁとバスの中で調べていた。
そしたら「トヨタ産業技術記念館」がおもしろそうなので行こうと思った。
名古屋駅からそんなに遠くないところにあるので好都合だ。
本来の入場料は500円だが、チケットぴあで購入すれば400円になるとある。
名古屋駅あたりのセブンイレブンでチケットを買って、博物館に向かった。
ずいぶん立派な建物が見えてきた。
ここは豊田自動織機の創業の地で、今のトヨタグループの始まりの地だとある。
今のトヨタ自動車の本社は豊田市だけど、自動車の生産拡大に際して挙母(ころも)工場を新設したのがきっかけだったそう。(後に挙母市は豊田市に改名している)
当初、ここは紡織工場として生まれた。それは自動織機のパイロットプラントとしての意味があったらしい。
当初は布だけ作ってるつもりだったが、糸を紡ぐ紡績にも手を出し、こちらの自動化も進めた。
こうして生まれた機械を製造したのが豊田自動織機なのだが、実は布を作る部門も残っている。
それが今のトヨタ紡織で、自動車向けの繊維製品の製造を行っている。これがトヨタグループの本当の原点だそうで。
そんな経緯をふまえて、この博物館は繊維と自動車の博物館になっている。
この繊維についての展示はかなり充実していて、自動化以前の機器、自動化されていく過程、そして現代の機器とあるだけでなく、
それを実際に動かして見せてくれるんだよね。
展示を見ていると「動かしてみましょうか」と実際に機械を動かして布を織ったり、糸を紡いだりしてくれる。
機械を動く状態に維持し続けること、その機械を実演するスタッフを常に配置していることを考えると、
この博物館はすさまじいお金がかかっていることが想像できる。
糸を紡ぐことは、綿をほぐしてのばしてよって糸にするという各工程は連続的なのだが、
その一方で巻き取られた糸を回収するとかは不連続で、ある種のバッチプロセスなんだよね。
布を織るのも、糸が正常に供給されて織ること自体は連続的だが、糸の供給は不連続にならざるを得ない。
そういうところにいろいろ工夫があったようで。
今も自動織機の事業は続いているものの、豊田自動織機の事業の大半は自動車関係となっている。
ここまででも相当なボリュームだが、引き続き自動車館につながる。
豊田自動織機が自動車の製造に乗り出したのは、同じ機械産業として興味があったという話だろう。
ところが、まず困ったのが材料で、エンジンなどに適した材質が日本にはないというところにぶち当たったのだという。
そこで自分で製鋼所を作るところから始まったらしい。板材とかは外から買えたようだけど。
ちなみにこの製鋼所は分社化されて愛知製鋼として現在も存在している。
かくして豊田自動織機の自動車事業は始まったのだった。
後にトヨタ自動車に分社化されるわけだが、ここで読み方が変わっているのに注意が必要だ。
もともと創業者の名字が「とよだ」だったので、「とよだじどうしょっき」(TOYODA)だった。
ところが自動車部門では「トヨタ」(TOYOTA)としたのだ。
後に豊田自動織機も「とよた」(TOYOTA)に読み方を変えているのだけどね。
これに続いて、エンジン・トランスミッションなどの自動車の構成要素とか、生産設備の展示がある。
この生産設備の展示も動く状態になっているのが多くて、
さすがに糸や布と違って、実際に機械加工している状態を見せるのは難しいんだけど、模擬的に動くようにはしてある。
当初はプレス機を手動でガンガン動かして加工してたというのを、試しに動かして見せてくれたんだけど、
シューシュー音がするから動力は何だと聞くと、「エアと電気だ」というけど、詳しく聞くと当初は蒸気だったとのこと。
ある時期にコンプレッサーから駆動させるように変更したのを展示でも引き継いでいるようで。
このプロセスも後に自動化されるのだが、本質的にやってることはそう変わってない。
今は自動車もエレキ要素が大きくなっているけど、やはりルーツは機械なんだなと。
機械の勉強も多少はしたけど、実際それを応用してとやかくやるということはさほどなく。
そんな中で織機とか自動車というのは機械を高度に応用してできたものだから、そうしてできてるんだなと驚きは多かった。
最近はメカ技術者と一緒に仕事をすることも増えてて、といっても自動車や織機のようなダイナミックなメカではないんだけど、
それはそれでいろいろ工夫があって、なるほどなぁと思うことは多かった。
そういう経験と併せて考えると、メカってこんなこと考えてやってるんだなぁと学びは多かった。
織機から自動車にというのは簡単には理解できないけど、とっかかりとしてはよかったんでしょうね。
とんでもなく展示が多いので、3時間ぐらいかかった。
それってどういうことかというと14時ごろに来て閉館時間までってこと。
しかも休日だと機械加工関係の実演も増えるようだからなおさらでは。
というわけでみどころは多いけど、くれぐれも時間は長く取っておくことをおすすめする。
わりと繊維関係の展示だけでおなかいっぱいになるぐらいなので。
ともあれ、ちょうどいい時間まで時間がつぶれたので、近鉄電車に乗って親元まで。
ここから来週月曜まで長期滞在で関西をいろいろ巡る予定。引っ越して以来、秋はずっとそうだけど。
Author : hidemaro
Date : 2017/11/01(Wed) 23:18
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のんびり帰ってくる

天童駅にはICカード用の改札機があるように見えるのだが、

実はこれはモバイルSuica特急券用のもので、山形や仙台に普通列車で行く場合には使えない。

山形県内では山形・山寺の2駅がSuica対応で、仙台方面への利用に特化している。(一応、福島方面に普通列車で行く場合も使えるようだが)

つばさ号停車駅にはICカード用の改札機があるんだし、山形県内の移動でもSuica使えるとそれなりに便利なのでは? と思うんだけどね。

ただ、モバイルSuica特急券用と普通列車用で別々の装置が必要そうだし、そんなに簡単なもんでもないんだろう。


山形行きの電車に乗り、羽前千歳駅で降りる。ここで仙台行きの電車に乗り換えるのだ。

羽前千歳駅はホームの片側が山形線、片側が仙山線、方向によらず路線ごとに使い分けるらしい。

理論上は両方に同時に山形行きの電車が停まることも考えられるが、さすがにそんなことは……ないよね。

とりあえず同じホームで待ってれば向かい側に仙台行きの電車が来るってこと。しばらく待つとやってきた。

仙山線はけわしい山の中を進む。面白山高原駅なんて滝まで見えるぐらい。けど、都市圏路線の雰囲気はある。

山形まで来るのは1時間に1~2本ぐらいなんだけど、山越え区間なんてどこもそんなもんか。


なんか仙台駅にはたびたび来てる気がする。

今回は東京行きのバスに乗り換えるだけなんだけど。

仙台から東京までのバスは6時間ほど、意外とかかるな。

バスはガラガラだったが、のんびりと乗ってれば着くので、こういうときにはちょうどいい。


家に帰ってきたら、クソ暑い。気温を見たら35℃とかとんでもないことになっていた。夕方なんだけどね。

換気して、冷房付けてとやったけど、部屋全体が暖まりすぎて、冷えるのにすごく時間がかかった。

別に涼しいところに出かけてたわけではないけど、やっぱりこのあたりはひどいよなぁ。

なんてことを帰ってきて思ったのだった。夏にでかけるといつもそう思ってるけど。

旅行中にためこんだ洗濯物もすぐ乾くというのはいいことかもしれないが。


Author : hidemaro
Date : 2017/07/14(Fri) 22:52
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内陸の山形県

わりとよく知られた話だが、福島県の郡山駅はきっぷでは「(北)郡山」と表記される。
山形までの特急券にはこの表記で書かれていた。
これは奈良県の郡山駅との区別のためで、こちらは「(関)郡山」と表記される。
もっとも奈良県で単に郡山駅といえば、近鉄郡山駅のことを指すような気はするんだけどね。
どっちも特急もとまらないような駅なんですけどね。(JRの大和路線は特急が走ってないだけだが)
それにたいしてこちらの郡山駅は新幹線も停車する立派な駅だ。
長い新幹線ホームを端まで歩き つばさ号自由席 の乗り口まで行き、列車が来たら乗り込んだ。
つばさ号というと銀と緑のイメージだったが、いつのまにやら塗装が変わってたようで。
次の福島駅で新幹線からはずれ、在来線区間に入り、深い山の中を走っていく。
トンネルもあるけど、もともと在来線だから山の中を進んでいる実感が強い。
福島県・山形県の県境区間は普通列車の本数がすごく少ないらしい。
つばさ号は1時間に1本以上走ってるから便利なんですけどね。
そして山形駅に到着、山形駅はつばさ号専用ホームがあるんだね。
山形駅付近の地図を見ると、近くに城跡が見える。
近そうだと思って歩いていくんだが、外堀の都合でそんなに近くはない。
霞城公園に入ると発掘調査してたり草刈りしてたり、わりと荒っぽいことをしている。
その中に山形市郷土館というのがある。
郷土館とはいうのだが、実はこの建物、済生館という元病院の建物を移設したもので、
展示内容も山形市の郷土というよりは病院にまつわる展示が多かった。
済生館の名前は山形市立病院に引き継がれているとのこと。
中庭から日差しが差し込む構造で、こういう暖かい雰囲気の病院というのはいいなと思った。
それにしても霞城公園の周りはあまり市街地が発達していないように思えた。
そこから東に歩いていくと、商業施設や役所が建ち並ぶようになってきた。
このあたりが山形市の中心市街地なのだが、なんで城のあたりと断絶があるのだろうか。
この理由は旧山形県庁、山形県郷土館「文翔館」の展示を見始めて、少ししたらわかった。
実は山形城とその周辺の武家地というのは、江戸時代中期ごろにかなり衰退してしまったらしく、
その結果、町人地だけが残されたような形となり、これが現在の山形市の中心市街地になっている。
官庁街としても使われなかったようで、結果として市街地の周りに城跡があるような形になったそう。
文翔館は旧山形県庁の建物を徹底的に修復したようで、当時の気合いの入りようがよくわかる。
古い設計ではあるが、機能的な作りではあるような気がした。業務量の増加には耐えられなかっただろうけど。
山形県各地の展示を見て初めて知ったんだけど、山形県って最上川流域というつながりで成立した県だったんだね。
山形県内陸部を流れる最上川は最終的に酒田で日本海に注いでいると。
知ってれば当たり前なんだろうけど、あまり意識することはないから、ちょっと驚いた。
ただ、日本海側の庄内地方とそれ以外の内陸部ではやはり往来は少ないのが実状らしい。
もともと庄内地方は日本海沿いの交易で栄えた地域で、今も秋田県沿岸部との交流が深い。
一方で内陸部では、山形と仙台の行き来が激しいことを代表例に、太平洋側との交流が深い。
今となっては東京との直接の行き来も多いが、陸路なら庄内は新潟経由、それ以外は福島経由(山形新幹線ルート)と全く違う。
最上川でつながってるって言ったところで、本当につながりを感じているかというとそうでもないって話。
昼ご飯を食べたあたりで、電車に乗り込み、天童を目指す。
山形駅のホームで線路を見ると、線路の幅が違う路線があることに気づく。
つばさ号の走る区間は新幹線と同じ標準軌、仙山線・左沢線はJRでは標準的な狭軌になっている。
左沢線・仙山線とはしばらく併走するのだが、実はそれぞれ個別に線路を引いている。
新庄・天童~東京の直通運転も、山形~仙台の直通運転もというとこういう形になるんだよね。
山形~天童はそんなに遠くはない。隣の市だしね。
さて、天童というと将棋駒で有名なところで、駅を降りると早速、将棋にまつわるものがいろいろある。
しかし、クソ暑い。山形にいたときは曇り空で時々雨も降ってたのにいきなりだ。
その上、なんとなく舞鶴山に上ってしまったばかりに、汗ダクダクだった。
駅でもらってきた地図をみると、舞鶴山の上に「人間将棋盤」という怪しげなことが書かれている。
何だと思って見に行くと、9x9の将棋盤の大きいのがあった。
近くにある看板を見てみると、春の桜まつりで人間将棋を行うためにある将棋盤だったらしい。
かなり長い歴史を持つ行事のようで、プロ棋士なんかも呼んでやってるらしい。
春とはいえ、将棋の駒のみなさんはけっこうな重装備で大変そうだなと思ったが、実際どうなんだろうね。
ところでなんで天童で将棋の駒を作ってるんだろう?
天童駅舎にある将棋資料館には将棋にまつわるいろいろな展示がある。
やたらと駒の多い将棋を実際に並べて見せてあったが、実は実際に勝負した記録がなくて、
ゲームとして成立していた将棋というのは中将棋ぐらいとも書いてあったが。
それに続き将棋駒の展示に入るわけだが、実は天童の将棋駒ってもともと書き駒という字を筆で書いた駒なんだよね。
伝統的にはそうなのだが、その一方で現在は彫り駒なども作っている。
このあたりの真相は展示の中に書かれていたのだが、もともと天童の将棋駒って安い価格帯に特化してたのよね。
なにしろ小学生がこづかい稼ぎに将棋駒を書くこともあったっていうんだから。
将棋駒の需要が伸びたとき、天童では機械化により大量生産に対応した。
兵隊さんに持たせる将棋駒を作るときとか、特に生産量が伸びたようだ。
ところが需要がしぼんでくると大阪などほかの生産地での生産が取りやめられた。
その結果、天童に将棋駒の生産が集中するようになり、高級品から普及品まで天童で作るようになったんだという。
そんな経緯もあり天童ではいろんな種類の将棋駒を作っている。
メインは彫り駒だけど、伝統的な書き駒も残ってるし、最高級品の盛り上げ駒も作っている。
気づいてみれば将棋駒の生産をほとんど独占し、将棋ゆかりの地になってしまった天童、
市内のホテル・旅館がタイトル戦の舞台になることもしばしば。
電柱には詰め将棋が書かれていたり、橋に将棋の駒の名前が付いていたり、不思議な雰囲気がある。
ただ、それを除けば普通に生活感のある都市なのかなというのが、天童を歩き回っての感想かな。
明日はほとんど家に戻るだけ。
当初、このまま秋田県まで進もうかと思ったのだが(日数的にはそれぐらいが収まりがよかった)、
前も困ったんだけど、秋田県は公共交通、特にバスが貧弱で、自動車なしではろくに観光もできない。
田沢湖はなんとかなったんだけど、なかなか思うように動ける地域は限られてる。
ほかの地域では妥協と工夫でなんとかなってるんだが、秋田県だけは厳しい。それでやめたんだ。
まぁここまででもけっこう楽しめたので、それはそれでいいんだけどさ。
Author : hidemaro
Date : 2017/07/13(Thu) 23:12
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山越えて会津へ

今市で晩ご飯を食べてから鬼怒川温泉に行ったから、着いたときは景色なんて見えなかったんだけど、
明るくなってみると鬼怒川というのはずいぶん下を流れてるんだなと気づく。景色はいいな。
駅まで歩いていく途中、東武と古河電工の保養所があるのをみた。
今時、直営の保養所なんて割に合うのかね。まぁどちらもこのあたりに事業所を有する会社ではあるけど。
鬼怒川温泉が寂れて見えるのは、空き家が目立つからだろうか。
もしかしたらこれもある会社の保養所だった時代があるのかも。そんな見た目の建物がけっこうある。
昨日、日光駅で西若松までのきっぷを買って、途中下車しているが、
実は東武の自動改札機は途中下車に対応していなくて、問答無用で回収されてしまう。
駅員に見せて途中下車だと言えばなにもないんだけど。そう下今市駅で失敗したんだ。駅員に言ったら取り返せたが。
それで鬼怒川温泉駅から会津若松行きと示したディーゼルカーがやってきた。
えっ、東武の駅にディーゼルカーやってくるの?って驚くけど、会津から4往復やってくる。
運賃だけで乗れる快速列車だが、リクライニングシートを装備してたり、特急並みの扱いだ。
乗り込んでしばらくしたら東京からの特急がやってきて、乗り換えを待って会津に向けて出発した。
ところで、今市経由で会津というのはあまりイメージが沸かない人もいるかもしれない。
東武は鬼怒川温泉の2つ先の新藤原駅までだが、そこから先、福島県に入るまでの区間は野岩鉄道の路線になっている。
この野岩鉄道の運行形態は東武と一体化されていて、基本的に普通電車は下今市発着で走っている。
だから会社またぎという気はあまりしない。そもそもここで乗ってる車両は会津鉄道所有の車両だし。
野岩鉄道はトンネル続き、けわしい山なんで温泉ぐらいしか目印がないのか、温泉にちなんだ駅名がやたら多い。
福島県に入って会津高原尾瀬口駅からは会津鉄道になるが、会津鉄道は国鉄時代から走っていた路線らしい。
野岩鉄道は東武と会津鉄道の間を結ぶ新路線を作り、東京~今市~会津のルートを完成させたと。そういうわけ。
会津鉄道は会津高原尾瀬口~会津田島が電化されていて、東京からの直通特急も入る。
会津田島~西若松(~会津若松)は非電化だからディーゼルカーしか走らない。
会津鉄道はもともと非電化だったのだが、野岩鉄道(当初から電化)に東京からの直通列車が来るようになって、
さらに会津鉄道内にも、と考えて電化の難易度の低い区間だけ電化して、直通列車の入れる区間をのばしたというのが真相らしい。
だから会津内の移動としては重要性が高そうな若松側の区間はディーゼルカーしか走れないんだと。
なので東京(浅草・北千住)~会津若松では1回は乗り換えが必要となる。その乗換駅は場合によりけりだが。
西若松駅で列車を降りた。地図で見るとここが鶴ヶ城の最寄り駅に見えたから。
確かにそうなんだけど、たぶん、隣の七日町駅あたりが中心市街地なので、ここを起点にするべきだったんだよね。
会津若松駅まで乗ってしまうと市街地の北端あたりになってしまうのでかえって都合が悪そう。
だまされたと思いながら、幹線道路を歩いていくと、鶴ヶ城入口とあったので、ちゃんと到達できた。
鶴ヶ城のあたりは官庁街になっていていろんな役所がある。
地図で見ると「大熊町役場会津若松出張所」という不思議な役所がある。
会津若松市役所の一部を間借りしているようだが、なんと浜通りの大熊町の行政機能が会津に避難しているのだという。
比較的多くの住民が避難してきたということでこういうことになったようだが、大変なことだ。
そもそも生活圏も大きく異なるわけで、ここに避難するというのは重い選択だろうし、まだ近くのいわきとか郡山とかに避難している住民も多いでしょうし。
ほかの地域に住む避難住民のためのサービスも一定やらんとならんし、なかなか大変な役所だと思うよ。
ちょうど法務局の近くに測量点があって、2011年の地震の前後でどれぐらい動いたか書いてあったのだが、
水平方向で1m以上、垂直方向では8cmほど沈下したということで、比較的震央から遠いイメージのある会津でもけっこう影響があったようで。
わりあい被害の少ない地域だったからこそ避難者を受け入れられたんだけど、それでも数字を見ると驚く。
若松の市街地を散歩していると野口英世博士の名前をぽつぽつみる。
どうも野口さんが医者を志し、まず勉強したのがこの会津若松だったらしい。
それにちなんで野口英世青春通りなんてのがあったり、野口英世青春館なんてのもある。
なんで青春をアピールするのか?生まれたのは猪苗代で、ここに野口英世記念館などがあることへの配慮だろう。
過ごした期間は短いが、彼にとって重要な土地だったということがポイントというわけ。
知っての通り、野口英世博士は千円札の肖像になっていて、採用されたときには若松の人もずいぶん喜んだようだ。
ゆかりの地というのはいろいろあって、生まれの猪苗代もそうだし、黄熱の研究をしていた南アメリカ・アフリカもそうなんだけどね。
鶴ヶ城に戻ってきて、天守閣の中に入る。
入ると涼しいと思ったのだが、地下階部分は籠城用の食料を保存する倉庫として実際に活躍したそうだ。
というわりには中は博物館建築になっているし、展示の中で鶴ヶ城は取り壊されたとある。
そう、これは現代になって再建されたものだ。だいたい知ってたんだけどね。
実は会津藩は幕末に新政府軍にこてんぱんにやられてしまい、その後、無主の城となったときに壊されちゃったのよね。
籠城と書いたのはこの新政府軍との戦いのことを言っていて、1ヶ月は耐えたそうだ。でもダメだったと。
再び西若松駅、この駅は一見JRの駅なのだが、実態は会津鉄道の駅だ。
というのも窓口の人って会津鉄道の人だそうで、平然と浅草までのきっぷも売っている。
列車もJRよりも会津鉄道の方が本数が多い。西若松~会津若松はJRだが、会津鉄道からの乗り入れの方が多い。
東武・野岩鉄道・会津鉄道は連帯して各社相互ほとんど自由にきっぷを買えるが、JRを含むきっぷというのは買いにくい。
僕は西若松からのJRのきっぷは別途手配しておいたけど、そうでなければ東武方面からはJR分は会津若松駅で精算かね。
会津若松駅まで会津鉄道の汽車で来て、そこから郡山行きの電車に乗り換え。
今日の宿は郡山だったのだ。
郡山駅というと以前、新幹線と在来線の乗り換えで通っているので、見覚えはあった。
ただ、外に出るのは初めてで、やはり福島と県庁所在地を争うだけの大都市に見えた。
もっとも宿まで少し歩いていくとすぐに住宅地になっちゃうんだけどね。
明日は山形県に行く。
郡山に泊まったのも、山形まで新幹線1本だからって話。
山形県は日本海側の庄内地方は行ったんだが、内陸の方に行くのは初めて。
福島県もそうだよね。浜通りにはたびたび行ってるが、会津に行くのは全く初めて。
東北の各県、どれもこれも広いから、地域ごとの差が大きいんだよね。そんなことも意識している。
Author : hidemaro
Date : 2017/07/12(Wed) 22:26
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寂れたかつての銅山

東武に乗るので、まずは北千住駅を目指して進む。
路線検索でもどうしても北千住駅に誘導されるのでなんでだろ?
って思ったら北千住始発の電車だったらしい。浅草でも押上でもだめなんだと。
目的地は栃木県のはずだけど、まずは群馬県の館林を目指す。
東武伊勢崎線系統は運行形態が複雑で、路線も複雑だし、乗換駅も場合によりけり。
今回は館林・太田で乗り換えて桐生方面へ向かう。
館林から先は短いワンマンカーで、なおかつ行き違い待ちをしつつ進んでいく。
実は特急だと乗り換えなしなのだが、特急を使ってもあんまりメリットが出なかったんだよね。
なぜか。この次に乗り換えるわたらせ渓谷鉄道の列車の本数が少なくて、特急との接続より一般列車との接続重視に見えるから。
わたらせ渓谷鉄道、略して「わ鉄」・・・・・・なんだその略称。
桐生から足尾まで渡良瀬川沿いに進む路線で、トロッコ列車が有名。
けどトロッコ列車は臨時列車で夏休み期間は平日の運行もあるが、まだそういう時期ではない。
東武との乗り換えは相老駅でおこなう。一旦改札を出てきっぷを買い直した。
ホーム上のICカードリーダーにタッチして、車内にいるきっぷ売りの人から買ってもOKだったらしいけど。
渡良瀬川沿いを進んでいくが、上流に行くほど岩がごろごろしたような景色になっていく。
そうこう言っているうちに足尾銅山の玄関口、通洞駅に到着した。
ここは栃木県日光市、さっきまで群馬県にいたのになぁ。
駅近くに止まっている車を見るとナンバープレートに「宇都宮」と書いてあるのがすさまじい違和感。
今は緑に囲まれた平和な村だが、かつては銅山の町としていろいろあったところだった。
そんな銅山のテーマパークが「足尾銅山観光」である。
ちょうど昼ごろに着いたので、昼ご飯を食べようと思いレストハウスへ。
これは廃墟なのでは、という見た目だったが、中では細々と営業している店がある。
客も店員も見えんが、呼び出すと店員が出てきた。
平日で客が少ない観光地でも、ここまで寂れたところは初めて見たような気がする。
銅山に入るトロッコも1人だけで乗り込んで入るのだった。
足尾銅山は古河が開発した銅山の印象があったが、実は江戸時代には幕府直営で銅を掘っていた。
ただ、江戸時代のうちに一度衰退してしまったのだという。
これを再興させたのが古河で、機械の導入などの近代化を図り、大量の銅を掘り出したのだった。
足尾銅山観光の展示は、実際の坑道を使って、時代ごとの鉱山で働く人々の姿を表す内容になっている。
江戸時代には手掘りで、明治以降、掘削機が導入され、レールが敷かれ、ダイナマイト発破が導入され、そんな姿がよくわかる。
あと、地下水からも銅を取り出すことが行われていて、地下水中の硫化銅を沈殿させてトラップするということをやっていたらしい。
ところでトロッコにも書かれていたのだが「安全専一」という言葉がいろんなところにある。
これ、今で言うところの「安全第一」のことなのだが、当初こういう表現をしていたようで。
これに引き続き選鉱、精錬についての展示があった。
選鉱というのは掘り出した石から銅の多い部分を選別する作業で、昔は目視だったんだろう。
その後、浮遊選鉱という方式が導入され、効率よく選鉱できるようになったそうで。
鉱山で選鉱までやって、これを精錬所に運ぶ。
精錬所では鉱石を焼いて、銅を還元して溶かして、比重の違いで銅だけを抽出する。
精錬所で最終的にできるものは銅アノードという電極状のもの。
足尾では銅カソードを作るところまでやり、これを日光に運んで水力発電の電気をつかい電気精錬を行っていた。
硫酸銅の中に銅カソードを入れてマイナス極、ステンレス板などをプラス極にして電気を流すと、
ステンレス板に純度の高い銅(電気銅)がつく。これを電線などに加工していた。
これが古河が足尾銅山を使ってやっていた一連のビジネスだったと。そういうことが紹介されている。
とはいえ、足尾銅山はいろんなトラブルを起こしている。
その中でも環境問題というのは相当のものだった。
近くにある足尾歴史館ではこのあたりの経緯がいろいろと紹介されていたが、
今は緑豊かな足尾もかつてははげ山だった。
というのも鉱山では支えに木材を使い、昔は精錬のための燃料に木を使い、とにかく木の伐採がひどかった。
そこで土砂崩れはおきるわ、さらには精錬時に有害なガスが出て、とにかくひどい有様だった。
一応、古河も当時の水準では高いレベルの対策を行っていたらしい。
有害な排水は中和し、排ガスからは可能な範囲で有害物質を取り除き、とやっていた。
とはいえ、対策以上に鉱山の規模拡大の方が大きく、なかなか根本解決にはならなかったそうだ。
あとはげ山については緑化も進められ、銅山がなくなってかなり経った今となっては緑が広がっているが、そうではない時期が長かったと。
ちなみにかつて日本各地には多数の鉱山が存在していた。
その中でも銅山というのは非常に多かったそうだ。ところが現在はすべて閉鎖されている。
閉鎖されたあとの鉱山は、そのままなくなってしまったところもあるし、
輸入鉱石での精錬を続けているところもあるし、リサイクルにその技術を活用しているところもある。
足尾の場合は、しばらくは輸入鉱石での精錬を続けたそうだが、もうそれもやめている。
なので精錬所はすでに閉鎖されたということだろうと。あまり明確には書かれていないけど。
あと日光での電気精錬ももうやめていて、銅の加工などの事業だけが継続している。
さて、足尾から日光駅までは日光市のバスがある。1日6往復だけど。
そんなわけでバス停で待っているとバスがやってきた。
そのバスを見てびっくりしたのはナンバープレートが白かったこと。
お客さんからお金をもらって人を乗せたりものを運ぶ、営業用の車両はナンバープレートが緑色だ。
白色のナンバープレートの自家用車でそういうことをやると違法で、よく白タクは違法といっているのはそのこと。
ただ例外もあって、日光市はその例外で有料のバスを自家用車で走らせている。
コミュニティバスではそういう選択肢があるのだが、たいていはバス会社に委託しているのでそれだと緑色になるから、これは珍しいと思う。
日光駅までのバスは1時間ほど、運賃は1180円、って市内の移動の割にはけっこうするな。
ただしとんでもない山道を走るわけではなく、トンネルがよく整備された道なので。かつて銅カソードを運んだ道だろう。
日光駅で西若松までのきっぷを買う。
このきっぷで途中下車できるようなので、通しでかっておいた。
下今市で買い物と夕食のために途中下車して、鬼怒川温泉で宿にいくため途中下車して、
しかし、鬼怒川温泉、温泉街にしては静かというかなんというか。
僕が泊まった宿に至っては、温泉に入りに行っても人が誰もいないという。
なんにもない平日だとこんなもんなんですかね。
安かったし、のんびりと温泉に入れたし、よかったんだけど、いいのかな。
まぁそのために夏休みをずらしたんだし、目論見通りではあるんだが。
Author : hidemaro
Date : 2017/07/11(Tue) 23:36
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欲張りな徳島

マチ★アソビの時期は宿の確保に難儀するんだけど、
今回は徳島市内に宿が取れた。けっこう鳴門になることが多いんだけど。
新町川沿いをぶらぶらと歩いていくと、各会場近くにいけるから便利だよね。
朝は人数限定のイベントの整理券を配ったりしている。
どれがなにの行列なのかは一見してわからないけどね。
そんな中で僕は朝一番からステージをみようと思ってたんだけど、ステージは準備中のよう。
そのステージの横の貼り紙をみると、3箇所に散らして整列してるとある。
抽選により3箇所のどこからステージに誘導するか順番を決めるということ。
1番目に誘導される列の最後尾に続いて、2番目に誘導される列の頭の人が入ると言うことで、
列に早く並んだとしてもメリットがあるとは限らないという仕組みになっている。
残念ながら一番最後に誘導される列を引いてしまったのだけどね。
こういう方式はどこぞの展示会でやってると教えてもらったことがある。
このときは6列ぐらいに分けて並ばせて、どの列から入るか、さらに頭からかお尻からかも抽選だって言ってたっけ。
所定時刻ギリギリに来て、列の最後に並んだ人が一番最初になる可能性もあるって話。
これにより過度に早い来場を抑制しようとしていたようだ。
マチ★アソビでそういう方式を取り入れていたのも同じような事情があると思う。
ただ、市街地の中で単純にまとまって並ぶスペースがとれないので、
川沿いのスペースに適宜分散させて収めているという事情もあったのではないかと思う。
ステージの準備ができて開放されればそれだけ収まるって話だけど、それまで待たせる場所はまとまってとれないよって話だね。
広い眉山山頂のときは確かやり方が違うんだったような。忘れたけど。
そんなこんなであれこれと楽しんだ後に、フェリーで徳島を去るために南海フェリー行きのバス乗り場へ。
バス混むかなぁと思ったら、南海フェリー行きのバスが2台連なってやってきた。
混雑することを見越して、時刻表上は1便のところに2台のバスを用意したよう。
徳島港に到着したら、好きっぷを買うわけでだけど、窓口で「難波1枚」とか言うとすぐ出てきた。
自動券売機は使えないけど、あらかじめきっぷを出してすぐに出せるように準備してたらしい。
徒歩客のほとんどが買うきっぷですからね。
徳島→和歌山の向きで船に乗るのは初めてだったんだけど、
この向きだと徳島港を尻から出て、和歌山港にお尻から入ることになるんだね。
和歌山港を頭から出て、徳島港に頭から入るんだから、その逆はお尻から出てお尻から入るになると。
商店街のスーパーで買ってきた晩ご飯を食べて、寝てたら和歌山港に到着、真っ暗だけど。
バスの方が時刻表上は早いけど、常に渋滞は心配だからね。その心配がないのは気楽。
これでも徳島市内に17時半ごろまでは滞在できるから十分だね。
見ていたステージ、通りかかったときにちらっとみたステージ、いろいろあるけど、
同じ人がいろんなステージに代わる代わる出ているのを見ると、なんかすごいなぁって。
せっかく徳島に来たんだから、こっちの作品のステージも出てとか、こっちの企画にも出てよとかしてるんだろうな。
観客として参加する人も欲張りだが、出演者として参加する人もけっこう欲張ってるって話だね。
出演者なんてほぼ全員が徳島以外からつれてきてるわけで、それだけに滞在時間の問題がある。
そんな限られた時間で、あれこれと話したりサインしたり歌ったり詰め込んでるってことだ。
それにしても欲張りすぎなのでは?と思う人もちらほらいたけどね。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/06(Sat) 22:23
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