日記帳だ! with Tux on Libserver

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函館で山登り

今朝の函館は雨、だけど天気は快方へ向かうようだ。
というわけで、午前は五稜郭公園へ行くことにした。
湯の川温泉からは市電で行くわけだけど、実は函館市電・函館バスはnimocaを導入している。
nimocaは西鉄のICカード、福岡周辺で広く使われているが、なぜか函館にnimocaエリアがある。
これは函館市が全国のICカードが共通利用できることという条件でICカード導入の公募をしたら西鉄が手をあげたからだそう。
nimoca自体は福岡のICカードだけど、Suicaを含む他のICカードも使えますからね。
函館で発行されているnimocaはICAS nimocaと呼ばれている。
磁気カードの名前が「イカすカード」だったそうで、そこから取ったらしい。イカって海のイカか。
ただ乗車するだけならどのICカードでもよいが、バスとの乗り継ぎ割引はnimoca限定らしい。
福岡からnimocaを持ってくれば地元の人と同じように特典があるが、札幌からKitacaを持ってきてもダメと。
ただし現金でも乗り継ぎ割引は可だ。割引額はなんと160円、そのかわりに2時間以内に乗り換えることとなっているが。
さて、五稜郭公園駅から少し歩くと五稜郭公園にたどりつく。
五稜郭というと星形の独特な形の城郭で知られているが、これはヨーロッパの城郭を参考にしたよう。
ただ、その一方で作り方は日本の城そのもので、歩いている分にはそこまで違和感はない。
確かに堀の形は複雑ですけどね。
五稜郭の中には函館奉行所がおかれていた。この箱館奉行所は2010年に復元された。
この展示の中で知ったんだけど、実は箱館奉行所ってできてから7年後に壊されてしまったんだよね。
というのもできたのが江戸時代末期で、蝦夷地の拠点にするつもりが、明治政府は札幌に拠点を持って行ってしまったからだ。
箱館戦争で建物が破損してしまったこともあって、用済みと解体されてしまったのだという。
もしも札幌に拠点を動かさなければ、五稜郭に北海道庁に相当する役所があったのかもしれない。
ということは、2010年に復元された箱館奉行所は築8年で、すでに元の箱館奉行所より長い期間存在している。
このあたりは大阪城でもっとも長命な天守が現在の博物館建築の天守というのに通じるものがある。
平和な時代だからこそ存在し続けられているということですね。
函館駅付近にやってきて、列車に乗るまで荷物を置くことに。
この頃にはすでに雨は上がっており、晴れ間も見えてきている。函館山を見ると展望台も見えている。
すなわち展望台から街が見えるということだ。
というわけで、まずは立待岬に行くかと電車に乗り込んだ。
立待岬は函館山の東側にある岬、意外にも坂を登った先にあった。
こちらから海を見ると向こうには湯の川温泉がある。
ということは空港もこっちか、と双眼鏡で観察していると飛行機が。でも尾翼が黄色いな。
その飛行機は離陸してぐんぐんあがって雲の中に消えていった。
どの航空会社だったんだ?と函館空港の時刻表と見比べると、Tigerairの台北行きだったらしい。なるほどね。
海を見てみると、なぜか津軽海峡フェリーがいる。青森ってこっち行かないと思うんだけど。
と思って地図と見比べたところ、大間航路っぽい。ただ、時刻表とはあわない部分もあるので本当にそうかはわからない。
さて、函館山に登るかと思って、引き返そうと思ったら、登山道の地図が目に入った。
それで見てみたら、立待岬付近から登山道があって、せいぜい2時間ぐらいで展望台までいけるらしい。
引き返してロープウェイでは無駄が多いなと思っていたので、おもしろそうだと登山道から行くことに。
ただ、立待岬~千畳敷までの登山道は整備度が低く、上り坂もきつく、行き違いも苦労しそうな狭さ。(誰ともすれ違わなかったが)
おもしろいルートだとは思うんだけど、なかなかおすすめできない登山ルートだ。
登り切って千畳敷に着くと眺めがよい。
ここからはダートだが自動車も走れるような道で、稜線に沿って進むからアップダウンも少ない。
舗装された自動車道と合流すると、そこからは階段を上がると展望台。
実は函館山、冬季以外は自動車で上がれて、夜以外は自家用車でも上がれるようだ。
展望台は函館市街方面を一望でき、独特な地形も含めてよく観察できる。
本当は夜景が有名だが、昨日は夜景なんて無理な天候だったし。
あと案内していたタクシー運転手が客に「夜はすさまじい混雑だ」と言っていたし。まぁ悪くはないのかな。
やや霞んでいるが、それなりに景色は見える。ちょうど五稜郭公園のあたりはずっと雲がかかっていたけど。
下りはロープウェイで、片道運賃も設定されているので。すぐに麓にたどりついた。
麓にはキリスト教の教会がいくつかある。
その1つにハリストス正教会がある。正教会っていうとロシアで信仰している人が多くて、実際、ロシアから函館に伝来してきた。
外から見ていると、どうも中に入れるよう。「献金にご協力を」という書き方がキリスト教っぽいが。
小さいながらによくできた聖堂らしく、確かに聖陣も丁寧に作られていることがわかる。
さて、函館駅へ戻ってきて、八戸へ向かうことにする。
新函館北斗駅との間にはシャトル列車「はこだてライナー」が走っている。
新幹線開通にあわせて電化して、札幌で使っているのと同型の通勤電車を専用車として用意したようだ。
基本は新幹線にあわせて走るシャトル列車だが、一部は新幹線と接続しないのもあり、短距離だが普通の通勤電車としても活躍しているようだ。
これで新函館北斗駅にたどりつくと、なんと平面移動で新幹線に乗り換えられた。
逆は跨線橋通るみたいだけど、青森方面への乗り換えはできるだけ平面移動で済むようにしてあるらしい。
青函トンネルを通って青森へ向かう。25分もずっとトンネルを走り続ける。
途中にかつての海底駅が蛍光灯の明かりを放っている。万が一の時の避難所である。
なんとなくトンネルを走れば本州・青森県なわけで、あまり海を渡った実感はない。
新幹線ということもあって、17時ごろに函館を出ても、まだ1時間後に東京行きがくるというから驚きだ。
なお、乗ったのは八戸を通過するので新青森で十数分後に出る後続の列車に乗り換えが必要だった。
八戸通過便なんてあるのかと驚いたが少しだけあるみたい。基本的には停車なんだけど。
そして八戸に到着したら、宿のある中心街へのバスに乗り換え。バスが頻発しているので。
そしたら「七夕祭りのため迂回します」と放送が、降りようと思っていたバス停は迂回対象じゃなかったが、
それはそうとしてバスを降りたら街は大賑わいで、とてつもなくうるさい。
全く予期していなかったが、こんなこともあるのね。まぁさしたる影響はなかったけど。
というわけで明日は旅行最終日、八戸を散策したら、夕方には大宮着という具合。
寄り道しながらの旅もとうとう最終目的地だ。
Author : hidemaro
Date : 2018/07/13(Fri) 23:41
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ウソをつかない山と北海道の玄関口

朝から洞爺湖畔を散歩していたが、本当に不思議な地形だ、
大きな湖の中に島があるという地形は火山活動によって形作られたものだ。
その火山というのが洞爺湖温泉の背後にある有珠山である。
最近では2000年に噴火しており、日本でも活動が活発な火山の1つだ。
いくら景色がよくて温泉が出るといっても、よくこんなところで観光業をやっているなという気もするが、
そこは噴火を繰り返してきた山だからこその自信もある。
2000年の噴火で熱泥流にやられた地域を災害遺構散策路という形で残してある。
川の規模の割にあまりに大きな砂防ダムを乗り越えた先にあるのだが、
建物に火山灰が流れ込み、特に桜ヶ丘団地は1階が完全に埋まっている部分もあり、2階もボロボロ。
このあたりは災害遺構であるとともに、次以降の噴火時に火山灰の泥が流れ込んだときにに引き受ける、遊泥地でもある。
川の規模の割に大きすぎる砂防ダムは、万が一のときに泥をせき止め、災害遺構を含む一帯に流れ込ませるためのものだそう。
そこから15分程度歩けば、そのときの火口も観察できる。火口はくぼんでおり、水がたまっていた。
洞爺湖もこのように火口にできた湖なのだが、相応の大噴火が遠い遠い昔に起きたということだ。
ところでこの遊歩道、ぬかるんでいる部分があるが、すごく滑る。火山灰の泥だからだろう。
それで下り道ですってんと転んでしまった。おかげでズボンがどろどろになってしまった。
この有珠山については火山科学館でくわしく紹介されている。
実は2000年の噴火、とんでもない被害を出したが、実は人的被害は全くなかった。
え?と思ったのだが、実は有珠山は世界で初めて噴火を予測して避難に成功した火山なのだ。
というのも有珠山の噴火時には火山性地震という前兆がある。
火山性地震が起きれば、いつかわからないけど噴火が起きることだけは確実なのだ。
初めて避難に成功したのは1910年の噴火のときの話で、ただならぬ状況に警察署長が避難指示を出したのだった。
現在は気象庁・大学などが継続的に観察を行っており、噴火が多いだけにデータも多く蓄積されている。
2000年の噴火では、未明に火山性地震を観測すれば、その日のうちに洞爺湖温泉付近を含む一帯で全員避難、
噴火する時期も、被害範囲もわからない、それでも避難を行ったのだ。
結果的に4日後に噴火して、火山活動の収束まで5ヶ月の避難をしいられたのだった。
ひとたび噴火となれば被害は甚大だが、早期に避難できれば助かる。このことを科学館では「ウソをつかない山」「やさしい山」と書いてあった。
バスに乗り洞爺駅へ。有珠山一帯を挟んで少しのところがもう海なんだよね。
室蘭本線も有珠山噴火で被害を受けており、北海道の輸送に大きな影響を与えてきた。
北海道新幹線は倶知安・小樽経由の函館本線ルートで建設される予定だが、
その要因の1つが有珠山噴火時の代替ルート確保のためというのもあるらしい。
今はこの函館本線が土砂災害でやられてるんだけどね。
新幹線はトンネルが多いし、在来線に比べれば災害に強いだろうけど。
そして、スーパー北斗号で函館まで乗ったのだが、途中、全く車内改札がないってどういうこっちゃ。
自由席だからチェックしないとなにもわからないはずなんだけど。
函館駅は連絡船時代の名残かえらく広い。
市電に乗ろうかとおもったが、えらく混んでるので、海沿いを散歩することにした。
すると、すぐに保存されている連絡船が見えてきた。博物館になっているようだ。
青函連絡船は本州・北海道を結ぶメインルートだった時代が長く続いた。
末期は飛行機の普及で利用者は減っていたが、貨車の輸送では引き続き重要な役割を担った。
この青函連絡船、なんと港の停泊時間が55分しかなく、この時間で客や貨車の入れ替えをしてたのだという。
なぜそんなに急ぐ?と思ったけど、3時間50分+55分って1隻の船で1日5便運航できるってことなのよね。
青函連絡船は接岸を早く行うため、特殊な工夫がされており、さらにタグボートも併用していたとのこと。
津軽丸形の連絡船は「海の新幹線」とも呼ばれたようだが、両岸を短時間で結ぶ工夫が随所に見られる。
船内は椅子席もあったがカーペット席の方が多く、なんとカーペット敷きのグリーン座席なんてのもあったようだ。
というわけで、カーフェリーとは異なる点も多く、鉄道連絡船らしさが実感できた。
函館山を見てみると雲がかかっている。小雨がパラパラ、散策する分にはそこまで問題はないが、またしても夜景どころではない。
その函館山の麓の高台には、歴史的な建物もいろいろあるが、旧函館区公会堂もその1つ。
高台の上にあり、バルコニーからの眺めはなかなかのものとのことで、
視界はよくないが、函館湾沿いを中心にあれこれと観察していた。
かつて皇族が来られたときに宿泊場所として使われたこともあり、そのことも紹介されていた。
函館は開港地ということで、それに応じていろいろ施設があったわけだけど、
外国人墓地というのも開港地ならではのものである。
その向こうに旧函館消毒所の建物がある。とんでもない名前の役所だが、今の検疫所のこと。
感染症予防という役割は同じで、感染症患者の隔離・治療を行ってきた。なので墓地のある町外れにあったわけ。
函館検疫所は小樽検疫所に集約されている。その小樽検疫所も今の最前線は新千歳空港でしょうけど。
そこから宿へ行くために市電に、乗り込んだのは函館どつく駅。
なんとなくわかるけど違和感があるが、これで はこだてドック と読む。造船所ですね。
市電に端まで乗ってたどりついたのが湯の川温泉だ。
ところでこのあたりは函館空港の近くなので、飛行機が通ると大きな音がする。
驚いたけど地図を見れば当然のこと。
湯の川温泉を歩いていて思ったけど、函館って北海道では特異な生い立ちの街なのよね。
江戸時代から松前藩の城下町でしたから。
それだけに街の雰囲気も他の北海道とは違って、むしろ本州の方に近いのかなと。
後の時代になっても、本州との行き来がひときわ多かったというし、北海道らしくないって話なのかもしれない。
そんな函館だが、明日もゆっくり回れるので、じっくり見ていこうと思う。
Author : hidemaro
Date : 2018/07/12(Thu) 22:21
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札幌で山登り

今日の札幌は曇りから晴れ、それなりにいい天気。
というわけで、午前中は野幌森林公園にある北海道博物館に行くことに。
往路は岩見沢行きの電車に乗って森林公園駅で降りて歩いていった。
このあたりは郊外の住宅地なんだけど、並んでいる家を見ると四角い。屋根が三角じゃない家が多い。
というのも、雪対策として、雪下ろしをせずに雪をためておける屋根にしてあるんですね。
本州でもあるのかな?雪下ろししなくていいし、雪も落ちてこないし安全性は高くてよさそうですけどね。
北海道は本当に寒いので、北陸などとはまた違う冬の備えがあるようで違うんだよね。
そんなわけで歩いていくと公園に到着した。すると巨大な塔が見えてくる。
なんだろと近づくも大した説明もない。後でわかったが北海道100年記念塔とのこと。
その塔から少し進むと北海道博物館があるのだが、道中に「歩くスキーコース」という看板が。
スキーというと滑るスキーの印象が強いが、歩くスキーもある。オリンピック競技でもあるよね。
北海道博物館だが、北海道の自然史から始まり、人の営みの歴史を現代まで追って、最後は北海道の自然で終わるという具合だった。
けっこううまくつながってるなと思った。
今の北海道に住む人の大半は明治以降に移り住んできた人たちが大半を占めている。
じゃあもともとこの地域に住んでいた人って?というのが丁寧に説明されていた。
そもそもアイヌ文化ってなんだよって話から始まる。実はこれって交易を通じて発展した文化だったんだよね。
海産品や動物の皮を輸出して、鉄製品や米を輸入する。そうして発展してきた。
しかし、輸入に依存ずる文化だったので、交換レートの悪化で窮し、植民地化されてしまうのだった。
さらにロシアに対抗するためには実効支配していることを示すために千島・樺太を含めて開拓する必要もあった。
そうして和人の入植もすすみ、もともとからのアイヌ人は少数派になってしまったのだった。
少数派になったアイヌたちは独自の文化を捨てざるを得ない状況になったのだった。
こうやって見てみるとアイヌ文化は滅びるべくして滅びたという感じだよね。
ところで、さっきアイヌは米は輸入に依存していたと書いたが、
開拓が進むに連れて北海道では米の生産が盛んに行われるようになった。
開拓が進む前は漁業がメインだったのだろうが、開拓が進み農業、鉱業が発展してきた。
鉱業は今は昔という感じだけどね。特に石炭ですね。
広大な土地を開拓して発展してきた北海道だが、今は札幌を中心に都市的な生活を送る人が増えている。
今も日本有数の農業地帯であることに違いはないが、明らかに重きをおくところが変わっている。
ところで、野幌森林公園には「開拓の村」という開拓時代の建物を多く移設した博物館がある。
時間がないので入らなかったが、かなり見応えのある博物館のようだ。
バスの時間まで余裕があったので、ちょっと無料エリアからのぞいてみたのだが、ちょうど馬車鉄道が見えた。
馬車鉄道というのは今の路面電車のルーツになった乗り物だ。
かつて道路も車も今ほどよくなかった時代、道路にレールを敷くと輸送効率もよく、乗り心地もよかったらしい。
馬車から電車に置き換えたものが路面電車だった。
でも今はバスでいいんですよね。道路の走り心地もよいし、バスも高性能になったから。
というわけでバスで新札幌駅まで。バスは1時間1本程度なので時刻表は要確認だ。
さて、地下鉄で都心に戻ってきて、市電に乗り込む。
西四丁目駅から電車に乗るが、なんと電車が車道の一番外側を走るので歩道から乗り込める。こりゃ便利。
電車で向かうのは藻岩山ロープウェイ、ロープウェイ入口駅まで乗る。
電車の中にはロープウェイの割引券があるので、これを取っていけばよい。
現在は環状化されている市電だが、もとは西四丁目駅~すすきの駅で切れていた。
少しだったのでつないで環状化したんだけど、このときできた区間は車道の外側を走るようにしたのだった。
この環状化と関係あるのか知らないけど、工事中の駅が多かった。
ロープウェイ入口駅からロープウェイ乗り場までは
そう遠くないはずだが、なぜかシャトルバスもあるらしい。
でも遠くないんだから歩けばいいよねというわけで行ったんだけど、けっこう急な坂を上る。
なるほど、これがつらい人はバスを使えるのかと納得した。坂を歩けるならバス乗るまでもないよ。
ロープウェイ乗り場で山頂は視界が悪いがと説明を受けたが、なんとかなるでしょと。
ロープウェイとミニケーブルカーを乗り継いで山頂までやってきたが、実際はそんなに悪くなかった。
ただ、確かに市街地方面に雲がかかりやすく、ややかすんだり、真っ白になってしまうときもある。
でもタイミングを選べば普通に景色は楽しめるので、不良ってほど悪くないんじゃないでしょうか。
観劇用に買った双眼鏡を自然観察用にと持ってきていたので、これであれこれと見ていたが、
思ったのは、まず都心から近いということ。これが藻岩山からの夜景が評判な理由だ。
そしてやはり計画都市ということで、郊外には住宅地が広がっているのがよくわかる。緑も公園・牧場・田畑とくっきりしている。
双眼鏡持ってくるといろいろ見えるもので、さっきまでいた北海道博物館も見えた。北海道100年記念塔を目印に探すとわかった。
まさに札幌を一望できるところですね。
さて、ここから次の目的地に向かうために地下鉄の終点、真駒内駅へ。
途中から地下から高架に出るけどずっとシェルターの中を進む徹底っぷり。雪対策にぬかりはない。
ここから洞爺湖方面のバスに乗るのだが・・・・・・バス乗り場の案内にない。
というかバス停が多すぎるんだよな。地下鉄の終着駅にしてもここまでとは。
わからんので駅員に聞くと端の端にあるようで、行ってみるとぽつんと「道南バス」のポールがあった。
1日1便のみ停車、予約制のバスということでずいぶんな扱いだった。
定刻から7分遅れぐらいでバスはやってきた。本当に来るんだろうなとびくびくしてたが、ちゃんと来て一安心。
ここから1時間ほど山を登り中山峠に、ここまで札幌市、ここからさらに山の中を進む。
札幌~洞爺湖のバスは1日4往復・予約制、なんで予約制なのかはよくわからないけど。
観光路線の色が濃いが、生活路線でもあり、地元の人っぽい利用者もいた。
そうして走ること2時間ほどで洞爺湖が見えてきた。そこからまだ走って洞爺湖温泉に到着した。
旅館にチェックインすると「8時から花火をやるので、旅館の外のここがベストスポットだ」とのこと。
花火?と思ったのだが、どうも洞爺湖ではロングラン花火大会ということで、
一定期間の毎日、花火を打ち上げているらしい。なかなか豪勢だが、話題作りにはなるんだろう。
部屋から見える場合もあるが、他の建物との位置関係もあるので、確かにベストスポットとされた場所から見るのがよかった。
花火なんて見るの久しぶりだな。まさかこうして不意に見ることになるとは。
まぁ洞爺湖に来ること自体、函館本線運休という不意なことがあったからこそなんだけど。
Author : hidemaro
Date : 2018/07/11(Wed) 23:28
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船でゆく北海道

昨日、大洗港を出航して数十分も経てばもう携帯電話のインターネットは使えなくなった。
瀬戸内航路だと、結局は陸地の近くを通るから、電波はなんとか通じるけど、太平洋ではそうもいかない。
それなりに陸地を離れて航行するのだから。
でも後で調べたらこの船って航行区域は沿海区域なんだね。
すなわち陸地からおおむね20海里のうちで航行すると。(多少緩和されているので、もう少し離れる区間もある)
今回の客室はコンフォート、2段ベッドの部屋だ。
といっても2段ベッドというのはカプセルホテルのような感じになっている。
下段だったからどのみち関係ないけど、ハシゴを上らなくてもよくて、各寝台にテレビまである。
いまどき雑魚寝なんていうのははやらないので、ツーリストはかなり絞られている。
でも、ちらっとみたところカーテン付きなのね。意外とよさそう。
メインはスーペリアという個室で、大半を占めている。
ただ、定員的に一番多いのはコンフォートみたいね。やっぱり個室は贅沢だ。
しかし、ちょっと困ったのが、パブリックスペースの机の少なさ。
なにが困るかというと晩ご飯だよ。そう、晩ご飯は乗船前にスーパーで買い込んできたので。
大阪~別府航路だと机たくさんあったんだけどな。ツーリストの人への配慮ってのもあったんだろうけど。
個室メインとはいうけど、定員としては個室じゃない人の方が多いですから。
全く揺れない瀬戸内の大型フェリーに比べるとゆらゆらしてるが、
それでも船が大きいんだからあまり気にならない。波も比較的穏やかではあるんでしょうが。
とはいえ、船酔いする人はいるんだろうか。トイレに便器ではなく流しがある個室があって、
オストメイト(人工肛門の人)用設備?と思ったが、よく見てみると「シーシック用流し」、すなわち船酔いで気分が悪くなった人用らしい。
ちなみに、オストメイト用設備を含むバリアフリートイレは別にある。
そういえば車いすの人、けっこう船内でみたな。飛行機と違って自分の車いすで船内動けるのはメリットなのかも。
大洗港は車いすのまま乗り込める。苫小牧港は無理そうだったが、車両甲板から出入りするんですかね。
夕食は持ち込んだが、朝食は船内の食堂へ。
フェリーの食堂もいろいろだが、ここは食べ放題方式、料金の精算が簡単だからだろう。
実は夕食で食堂にしなかった理由の1つがそれで、ちょっと割高感があったから。
朝食は持ち込むのも大変だし、値段的にも納得だったので、食堂に行くかと。やはりよかったですね。
ちなみに、大洗~苫小牧航路は深夜発の便もあるが、こちらは食堂がなく自動販売機だけ。
食堂というのは特に人手がかかるのでシビアなもんで、でもあったらありがたいものではある。値段の問題はあるにせよ。
ちなみに昼食はおにぎりやサンドイッチなどの軽食の提供をしているよう。これは使わなかったが。
朝ご飯を食べて、甲板に出てみると陸地が近くに見える。
なんだ?と思って電話を持って、位置情報を拾ってみると青森県の下北半島だった。航行中でも特に陸地に近づく区間のようだ。
甲板だと電波を拾うが、船内では右弦の窓際では厳しい。左弦(陸地側)の窓際ならいけるんだろうか。
ところで甲板にはドッグランがある。狭いけど。
ペットを連れ込めるのも船ならではのこと。飛行機に対しての話ですが。
船のニーズもいろいろではあるけど、車を連れて、ペットを連れてというのは、確かに他にはなかなかない。
食後に風呂に入ったり、ベッドにあぐらかいて読書したりして、12時半ごろに外に出てみると、もう苫小牧港だった。
港内を慎重に進み、接岸してタラップをつけて、結局、到着は定刻13時半なんだけど。
ただ、早く着いてもバスは時刻表に合わせてしか来ないわけで。
苫小牧~札幌の高速バスの一部がフェリーターミナルまで延長運転する方法なのでね。
まぁ高速バスだけど、苫小牧駅までの人もこれに乗る。そして苫小牧駅下車と。
苫小牧駅から電車で札幌に行くわけだが、
一見、普通の通勤電車に見えるが、なんとデッキがある。中扉もデッキ付き。不思議だな。
厳しい寒さの北海道では通勤電車にもデッキをもうけてきたようだ。なので寒冷地にありがちなドアのボタンはない。
一方で最近ではエアカーテンを設けてデッキを設けない通勤電車もでているようだ。
そんな電車に揺られて札幌に到着した。
千歳まではのどかなところを走ってるなぁと思っていたが、千歳からは沿線も都市的になってきて、札幌駅ともなれば大都市のターミナルの風格がある。
やはり札幌って大都市なんだなぁと改めて思う。
さて、札幌駅の精算所で、この先の函館本線の運休について相談を。
というわけで、きっぷを出すと「そもそも札幌通ってないのでは」と言われてしまった。
いや、札幌・小樽経由なんだけどと、端末で運賃を検算した結果、僕の主張が正しいことがわかったのだが、
なんとこのきっぷ「室蘭線・千歳線・函館線」と書くべきところ、「室蘭線・函館線」と書いてあり、室蘭本線と函館本線は直接接しているので、駅員が疑うのもごもっとも。
というかなんでそこ省略した。以前も経由の末尾が切れたことあったけど、まさか中間の重要なところが消えてるとは。
誤解も解けたところで、札幌~長万部が不乗という証明書をつけてもらい、着駅で払い戻しできるようにしてもらった。
それにあわせてその他のきっぷの変更をみどりの窓口で行って完了と。
小雨だと思っていたが、街を歩いているうちにどんどん雨足が強くなり、
こりゃつらいと思ったら、人の流れに沿っていくと地下道にたどりついた。
札幌は雪対策として中心部では地下道が充実しており利用者も多い。というか雨で通勤時間帯ってのもあるけど、多すぎるでしょ。
いや、ここまで地下道の利用者の多い街は珍しいんじゃないかな。
というわけで冬でも安心だそうで。目的地次第ではありますけど。
本当は夜景目当てに山登りしようかと思ってたけど、この雨では。
ちょっと想定外だったけど、明日は晴れるらしいので、じゃあそこで挽回しよう。
というわけで、午後に北海道に着いてもさっぱりだったけど、それなりには今日も楽しめたので。
ちなみに札幌は高専の卒業旅行以来、でもあのときは都心しか回れなかったので。
今回はちょっと郊外にフォーカスを当てているのは、このときのことがあったからこそではある。
Author : hidemaro
Date : 2018/07/10(Tue) 23:43
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大洗でサメに会う

旅行初日、大洗からフェリーに乗るのだからと大洗観光からスタートだ。
というわけで大洗に行くわけだけど、これが意外と遠い。
特急を使おうにも山の手からだと上野駅に行くのがめんどくさい。(朝は品川発着もない)
そんなこんなでいろいろ調べて、ルートを決めたのだった。
まずは東京方面へ行き、新宿駅から山手線で日暮里へ、
日暮里駅で常磐線に乗り換える。上野行きの電車から降りてくる人であふれかえっていたが、水戸方面の電車はガラガラだった。
これで柏駅で降りてしばらく待ちぼうけ。すると、あらかじめ特急券を買っておいた ひたち号 がやってきた。
ひたち号は全席指定だが、座席未指定券という制度もあるので、座席にインジケータがある。
みるとすべて緑、すなわち指定席が売れていることを表している。満席なんだね。
これで勝田駅で降りる。そして、ひたちなか海浜鉄道に乗り換えた。
一般的には大洗に行く場合は水戸駅から大洗鹿島線にんりかえるのだが、今回はひたちなか海浜鉄道で那珂湊駅を目指した。
というのも大洗最初の目的地、アクアワールド大洗へはこちらの方が近いからだ。
これは意外だったのだが、那珂川をわたったらすぐなんだよね。
そんなわけで到着した那珂湊駅だが、どうも周辺にもみどころがありそうなので散策しながら行くことに。
バスもあるんだけど、そんなに遠いわけじゃないから、みどころあるなら歩いていくかと。
地図を見ながら歩いていくと煙突が、これはかつてここにあった反射炉を復原したものだ。
水戸藩が大砲を作るために作った最新鋭の製鉄場だったらしい。意外なものだが、そんなのがあったんだなぁ。
そこから那珂川沿いを歩いていくと橋が見えてきた。海門橋、これをわたると大洗町である。
大洗町に入ればもうすぐアクアワールド大洗である。
大洗町に入った途端「ガールズ&パンツァー」の立て看板に迎えられたが町内いたるところにあった。
さて、アクアワールド大洗だが、なかなか大きな水族館である。
入場券はあらかじめ那珂湊駅で買っておいたが、すると団体料金相当になる。多少はやすい。
この水族館の特徴はなんといってもサメ、ロゴマークにもサメが描かれてる通りだが。
茨城県沖にはいろいろな魚がいるが、その1つがサメで、こうして水族館にやってくるサメも多いようだ。
あとマンボウの展示も日本一充実しているとのことで、サメとマンボウの水族館ということ。
もちろんそれ以外の展示も充実しているが、とにかくサメがすごい。
サメの肌にさわれる展示もあって、解説を聞きながらさわってたけど、サメもいろいろなんだなぁと。
そういえば関東圏で水族館っていままで行ったことなかったな。でも大洗で水族館ってのはよかったですね。
遠足の小中学生も夏休みの小中学生もいないので、わりとゆっくり見られたし。
平日に旅行に行くと遠足の人と遭遇しがちだけど、夏休み直前だとそれもないらしい。
大洗の海岸をあるいて行くが、かなり荒れている。
詳細は不明だが、どうみても危険なのでロープを張って立入禁止にしていた。
さらに進むと海水浴ができるように見えるが、今はまだ泳いでる人はいなかった。
海岸を歩いていくと、神磯の鳥居という海上の岩の上にある鳥居がある。
明らかに海の上でもないが、近づけるような岩場ではないということで意外だったが。
さらに進むと、商船三井のファンネルマークが見えてきた。
これが大洗港フェリーターミナルに停泊しているフェリーですね。2隻ある一方が乗るほう。
そのフェリーターミナルの横にめんたいパークというのがある。
これは かねふく の辛子明太子工場・直売所で工場見学もできる。
なんでこんなところに工場があるんだろ?と思ったが海が近いからだろうか。
ただ、説明を見るとタラコは冷凍で運び込んでいるようだし、
かねふく はそもそも福岡の会社で、生産のメインも福岡らしい。東日本向けの生産はここでやってるらしいが。
なかなか人手がかかる仕事みたいだね。
その後、フェリーに乗る前に買い出しをしてフェリーターミナルにやってきた。
圧倒的にトラック、徒歩客といっても本当に徒歩でフェリーターミナルに来る人なんてそうそういない。
乗船名簿は書かずにQRコードを読みとらせると、カードキー型の乗船証が出てきた。
これでいいのか。
別府~大阪は乗船名簿を印刷して持参するという方法だったんだけどね。スマートすぎてびっくりしたけど。
そんなわけでここから北海道まで17時間ほどの船旅だ。
Author : hidemaro
Date : 2018/07/09(Mon) 18:19
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天王寺公園でつながる

今日は大阪を散歩していた。
さほど暑くもなくちょうどいい感じ。
近鉄を降りて、千日前の商店街は人だらけ。
千日前で昼ご飯を食べて、日本橋であれこれ物色して、さらに堺筋を下って新世界へ。
新世界もやはり人が多い。それにしても新世界もだいぶきれいになったなと。
昔来たときは新世界とは名ばかりで、逆に古い時代にタイムスリップしたかのような街だった覚えがある。
今でも映画館とか見るとタイムスリップしたかのような見た目だけど、全体的にはいまどきの繁華街って感じ。
そんな新世界を抜けると天王寺公園・天王寺動物園にたどりつく。
天王寺動物園は大盛況のようだが、別に動物園に用事があったわけではない。
今回、こうやって散歩してきたのは天王寺公園がリニューアルされたのを見に来たのだ。
天王寺公園というと天王寺動物園の印象が強いが、それ以外の部分も有料公園ということで入場料が必要だった。
公園自体が有料ってどういうことだよって思うけど、公園に入ること自体が有料というのが珍しい気がする。
慶沢園という庭園があること、植物園の要素があることが入場料を取っている要因ではあるのだが、
それ以外に有料化された背景として言われているのが、ホームレス対策のためということ。
そもそも大阪の公園はかつてはホームレスの小屋が目立ったものである。
その対策として有料化されたという話がある。それだけが理由ではないんだろうけど、要因の1つと言われている。
もっとも有料公園といっても通路は開放されているので、そこにホームレスの小屋があった時期もあったようだが。
あべのハルカスの開業、阿倍野再開発の完了で天王寺・あべのの賑わいも増してきた。
そんな中で天王寺公園に現れた変化が、天王寺動物園に公園との連絡口が新設されたことだ。
もともと、天王寺動物園は新世界側からしか入れなかった。
天王寺動物園の最寄り駅が天王寺駅ではなく、動物園前駅なのはそういう経緯がある。
地図で見るとなぜこっちが動物園の最寄り駅?と思うけど、実はそうだったんですね。
そんな中で天王寺駅・あべの橋駅からストレートに入れるルートとして、
天王寺公園の有料エリア経由で天王寺動物園に入れるルートができた。当初は季節限定、後に常設化されたはず。
これにより天王寺動物園と天王寺・あべのエリアとの回遊性がよくなった。
さらに、天王寺公園エントランスエリアの管理運営を近鉄不動産が請け負うことになった。
近鉄不動産というのはあべのハルカスとの連携も考えてのことだ。
このエントランスエリアは後に「てんしば」と名付けられ、芝生広場を中心として商業施設が並ぶことになった。
この「てんしば」ができた時に天王寺公園は無料化された。
もっとも無料化されたといっても慶沢園については入場料を取るので、その部分は有料公園ともいえる。
従来の公園・動物園の連絡口は天王寺動物園の「てんしばゲート」として整備された。
というわけで新世界から動物園の上空を越える通路を歩いていく。園内も大盛況のようだ。
そして進むと大阪市立美術館があるが、その手前にあったチケット売場が閉鎖されている。
美術館はもともと公園の有料エリア内にあったが、美術館の入場券があれば公園には無料で入れた。
なのでもともとは公園の入り口で美術館のチケットを買って、これを見せて有料エリアに入るとなっていた。
でも、公園が無料化されたので、美術館のチケットは美術館で買うという運用に改められたよう。
そして有料のまま残った慶沢園も慶沢園の入り口で料金を払うようになっている。けっこう慶沢園の利用者も多いみたい。
そして、てんしば にたどりついたが、とにかく人が多い。
天王寺動物園目当ての人も、公園目当ての人も使うからものすごい賑わい。
芝生広場はきれいなのだが、利用者が多いので芝生がはげている部分もあり、維持の難しさを感じる。
芝生広場を囲むように商業施設が並んでおり、相乗効果も大きそうだ。
てんしばからだと通天閣がきれいに見える。その反対を向くとあべのハルカスがある。
大阪の新旧のシンボルタワーの間にあるのが天王寺公園というのがよくわかる。
天王寺公園の無料化で天王寺・あべの と 新世界の回遊性もよくなったのだろうか。(もともと通路はあったけど)
その足で阿倍野歩道橋をわたってあべのハルカスへ向かってみた。
日本一の売り場面積となった近鉄百貨店阿倍野本店、全体としてにぎわっているが、
何度も貼り替えされたフロアガイドを見ると、広いフロアを生かした店づくりの難しさを感じることができる。
あべのハルカスの百貨店部分オープンからそろそろ5年。
その間にあまり変わらない部分もあれば、ずいぶん変わった部分がある。特にsolahaは変化が大きい。
あと、展望台はやっぱり大盛況のようだ。チケットカウンターで60分待ちになってた。
前に行ったことあるけど、本当に眺めがいい展望台なので、おすすめだ。
大阪というのは街のつながりが特徴的だと思っている。
ミナミの繁華街が日本一の広がりを持つ繁華街とされている。端から端まで歩く気が起きないぐらい広いからね。
これはそれぞれ特徴的な街が連なり合っているからこそだ。それはキタの繁華街にもいえること。
そんな中では天王寺・あべの というのは狭い街だ。ちょっと行ったら住宅地だもんね。
だからこれ以上の広がりはないだろうと思ってたんだけど、天王寺公園に広がり、新世界へつながるという独自の道を行ったんだよね。
そんなことある?って思うところだけど、実際に歩いてみると確かに天王寺公園でつながったことが実感できた。
Author : hidemaro
Date : 2018/05/04(Fri) 23:11
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飛鳥を掘って見えたこと

今日は飛鳥に出かけていた。
久しぶりではあるが初めてというわけでもない。
ただ、飛鳥資料館に行ったのは初めてだが。
飛鳥は歩き回ったこととか自転車で走ったこともあるけど、今回はバスを使えるところは使う。
橿原神宮前駅からバスに乗ったのだが、このルートがとてもバスが走るとは思えない道路ばかり。
確かに道路状況があまりよくないのはわかるのだが、それにしてももうちょっとやりようはありそうだが。
ちなみに明日香村のバスとしては橿原神宮前駅~石舞台~飛鳥駅のバスと桜井駅~石舞台のバスがあるが、
桜井駅からのバスはかなり本数が少ない。春と秋の土日は増発されるが、今日は平日なのでそれもない。
橿原神宮前駅からのバスは春と秋は平日含め増発され30分間隔、それ以外は1時間間隔だ。
そんなに悪くはないけど、時刻表見ないで済むほどは多くない。
フリーきっぷもあるけど、村内の移動でガッツリとバスを使うにはちょっと不便そう。
というわけでやってきた飛鳥資料館、
奈良文化財研究所の施設で、飛鳥での埋蔵文化財調査の成果が展示されている。
奈良文化財研究所というと平城宮跡に庁舎があることもあって、平城宮跡での調査の印象が強いが、
橿原市にも拠点があって、飛鳥や藤原京の発掘調査を行っているらしい。
一方で、奈良県は橿原考古学研究所という奈良県内の埋蔵文化財の調査・保存・研究を行う施設を持っている。
わりとお互いの役割に重なる部分もあると思うのだが、適宜協力してやってるんでしょうね。
奈良文化財研究所は国の研究所で、ターゲットは奈良県内に限らないし、埋蔵文化財にも限らない。
ただ、どうしても奈良県内の埋蔵文化財の調査の割合は多くなるのかなと。
そんな飛鳥資料館だが、門をくぐるといろんなものがある。
飛鳥時代の石で作られた噴水をレプリカで作っておいてあるようだ。当時、こんなのを作ってたのには驚いたが。
建物の中にはいると、飛鳥京の模型がある。発掘調査の結果を踏まえて想像を加えて作ったものらしいが。
本当にこんなのあったの?と思うけど、確かに明日香村で点在している遺跡などをつなぎあわせるとこうなるんだよね。
今にしてみればいろんな遺構が点在しているという理解にしかならないけど。
重点的に展示されていたのが高松塚古墳とキトラ古墳、そして山田寺である。
高松塚古墳とキトラ古墳はそれぞれ壁画が特徴的な古墳として知られている。
高松塚古墳は壁画保存のため石室を解体して、現在は当初の姿に復元されている。
この石室は戻す計画なのだが、現状では戻して保存できる目処が経たないので、外で保存する方向で考えられているらしい。
キトラ古墳は壁画を剥がして、こちらはもともと壁画は外で保存するということで、去年に公開施設ができた。
飛鳥資料館には壁画はレプリカや写真で展示されているが、それとともに地面の断面サンプルが展示されている。
どうやって古墳がつくられたかということがここからわかるということらしい。
山田寺はかつての回廊の部材がよい保存状態で発見されたので、それを組み直して展示するということをやってある。
礎石からかつての建物を想像することはよくあるが、実際に部材が発見されるのはなかなか。
もっとも掘り出された部材を保存するのはとても大変だったようで、
大量の部材を保存処理するには15年もの期間がかかったそう。
組織中の水を慎重に高分子に置き換えるということで、そもそも時間がかかるのに処理すべき量まで多いから。
そのあと、すぐにバスが来ないからと歩いていたら万葉文化館にたどりついた。
奈良県の展示施設で、絵画の展示以外は無料なので入ってみたのだが、
実はこの建物がある場所は飛鳥池工房遺跡で、すなわち銭やガラス玉などを作る工場だったと。
外からはあまりアピールされていないのだが、なかなかすごい遺跡だった。
再びバスに乗り高松塚で降りる。
国営飛鳥歴史公園のメインとなる地区で、今まで何度か来たこともあるのだが。
そういえば高松塚古墳って今どうなってるんだろうと思って見てみると、
きれいに整備された墳丘には草が生えていた。
かつて、壁画の保存のために古墳の周辺は工事現場のようだった覚えがある。
石室が解体されてしまえばそういうこともしなくてよいのだから平穏そのものである。
石室の解体というのは古墳にとってはよくないという話もあったが、
壁画の保存・修理という点で無理があったのは確かで、解体したことで無理がなくなったということなのかなと。

Author : hidemaro
Date : 2018/05/02(Wed) 23:31
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月曜休日の翌日の京都

もはやおなじみになりつつある5月1日の旅行出発、
駅に行くとメモしてきた電車の時間とちょっと違う。
どうも間違えて休日ダイヤで見てたらしい。平日ダイヤをみるべきだったのだが。
とはいえ致命的な差ではないので問題はない。
さて、今回はこだま号グリーン車で京都まで行く。
これがなかなかよかった。というのもN700系のグリーン車が非常にレベルが高かったからだ。
以前、700系のグリーン車を同様にこだま号で割引で乗ったけど、あれよりはるかによい。
それでいてガラガラですからね。朝早いってのはあるけど、割引があっても乗らないと。
うとうとしながら、新幹線各駅停車しながら、大半は追い越されつつ進んでいった。
東京を出て3時間半、京都にたどりついた。
所要時間よりも通し運転のこだま号が限られることが問題だが、なかなかよかった。
京都駅はそれなりに人が多い。
でも京都駅には用事はないので早々に地下鉄に乗って東山三条までやってきた。
今回の目的地はほとんどこのあたりなのだが、まず向かったのが知恩院、
というのも、どうも長らくやっていた工事がかなり完成に近づいているという話を聞いていた。
そしたら工事前につくった屋根を壊していた。
修理後の建物の外観はとてもきれいになっていた。確かにここまでくれば完成はもうすぐだな。
予定では2019年完成とのこと。
ちなみに知恩院では御影堂の工事中、その機能を他の建物で代替している。
もともとあった集会堂という建物らしいが、仮設の建物で床面積を増やす対応をとっている。
が、一見するとつなぎ目がわからない。でも天井を見てみると、本来の屋根が見えていて、元々ここまでだったということがわかる。
これも工事が完了すれば元に戻されるのだが、工事期間中もできるだけ通常どおりできるように工夫されている。
今回、ちょっとしくじったなと思ったのが、昨日が休日の月曜日だったということ。
通常、月曜日が休みとなっている施設も、月曜が休日の場合は休みにしないことが多い。
でもその代わり翌日が休みという場合がある。だから行こうと思ってたところがやっていないことがある。
最大のお目当てだった京都国立近代美術館はやってたからよかったけど。
ちょうど「明治150年展」をやってるんだが。本来月曜休みだが昨日は営業、そして今日も営業だった。
というわけで、これはよかったのだが、他はいくつかあてが外れた。
月曜はずせば大丈夫だと思っていたが、こういうこともあるんだな。
そんなわけで、あてが外れたもんで、岡崎公園からぶらぶらしてたら、
琵琶湖疎水のインクライン跡を歩いていて、そこから足を伸ばすと南禅寺にたどりついた。
そういえばこのあたりだとは知ってたけど、来たのは初めてだな。
実は東西線の蹴上駅から徒歩5分程度と近くて、地下鉄が一番便利らしい。
京都にしては意外な気もするが、標高が高いので、山越えの地下鉄の駅からだと高低差が小さいのが理由のようだ。
そんな南禅寺だが琵琶湖疎水の水路橋が有名だ。別に寺の施設ではなく、境内を横切っているだけだが。
その水路橋の先には南禅院の庭園がある。そんなに広くないけど雰囲気がよい。
あまり来たことなかったけど、なかなかよかった。
この時期の京都にしては空いてるってのは確かな話だね。
地下鉄の駅に連休中のバス停移設の案内がペタペタ貼られていて、
まさに臨戦態勢という感じだけど、それもあさってからの話なので。
そんなわけで想定外に休みの施設が多かったのは惜しいけど、全体的には満足だ。
Author : hidemaro
Date : 2018/05/01(Tue) 22:54
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正倉院展の新ネタはここにある

今日は平日だから、ほかの家族は仕事か学校、
だから家を出るのは最後になるだろうとは思ってたんだけど、
それどころか僕が起きたのが、最後に家を出る人の出発時刻だったという。
通勤・通学時間が長いのと、近くても始業が早かったり。
そんなわけで、朝ご飯を食べて、ほどほどの時間に家を出て、奈良へ向かうことに。
時刻表を見ずに家を出たが、ほとんど待たされずに電車に乗れたし、乗り継ぎもそんなに悪くなかった。
20分間隔ぐらいで走ってるからギリギリ時刻表なしでもなんとかなるし、
帰りに時刻表を見ることなんてまずないんだけど、当たり外れはあるからねぇ。
そんなわけで奈良に到着すると、やはり平日だが人は多い。
お目当ては正倉院展なのは言うまでもない。
待ち時間はずいぶん短かった。(それでも人数を制御しているってことは、中は満員ってことなんだけど)
ただ、混んでるって言ってもじっくりみるのに不都合はないぐらいだったけど。
今回の目玉は緑のガラスの杯、これもわりと近づいて見られた。
休日だとこうはいかないのかな?でも整列するスペースもないから、休日もたぶんそうなんだと思うけど。
正倉院展って今回で69回目なんだけど、そんなにやってても毎年初出陳がある。
同じ種類のものがたくさんあれば、同じ種類で違うものを出して初出陳と言うこともできるけど、それではおもしろくない。
それでどういうのが新ネタになるんだろう、ということで初出陳のものの説明に注目していた。
初出陳の伎楽面の説明に「最近の伎楽面修理の成果」と書かれているものがあった。
修理して見せられる姿になったので、ぜひとも見てもらおうと。
確かに往事の姿が想像できる状態ではあった。修理して良さがわかるものはありそうだな。
ほかに布の切れ端が、実はこの布につながるとか、そういう理由で切れ端部分を初出陳となっているのが2件ほどあった。
布の切れ端自体はさほど価値はなさそうだけど、この布の切れた部分はこれで、全体像はこうだったと説明できれば価値があると。
説明次第だなぁと思ったのが写経の作業報告書を連ねた巻物。
写経の作業時に発生する紙の切れ端を再利用して作業報告書を提出して、それでお給料をもらってたと。
だから、こういう跡が残ってるとか、こういう内容が書かれてるとか、そういう説明ができると。
というわけで正倉院宝物の修理・調査の成果というのはまだまだあるという話ですね。
奈良公園を散歩して、春日大社にお参りしたり、二月堂に行ったりとしていたわけだけど、
やはり遠足だか社会見学だか修学旅行の学生ってのは多いね。
あと写真撮影のために奈良公園に来てるんだろうなって人もぽつぽついた。
あまり普段着ないような衣装で写真撮影してたりとか。確かにいろんな背景で撮影できていいでしょうけど。
明日からの3連休はもっと混むんだろうけど、いいところなのは確かですからね。
Author : hidemaro
Date : 2017/11/02(Thu) 19:48
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織機から始まった博物館

朝から新東名スーパーライナーに乗って名古屋へ。
休日の前後でもなくただの平日だから、乗車率は50%も行ってなかった。
それで5時間もかからずに名古屋に着いた。
この時間で走ると新幹線と比べてもそこまで悪くないよね。
両親は仕事だからそんなに早く進んでも仕方ない。
それで名古屋で何か時間はつぶせないかなぁとバスの中で調べていた。
そしたら「トヨタ産業技術記念館」がおもしろそうなので行こうと思った。
名古屋駅からそんなに遠くないところにあるので好都合だ。
本来の入場料は500円だが、チケットぴあで購入すれば400円になるとある。
名古屋駅あたりのセブンイレブンでチケットを買って、博物館に向かった。
ずいぶん立派な建物が見えてきた。
ここは豊田自動織機の創業の地で、今のトヨタグループの始まりの地だとある。
今のトヨタ自動車の本社は豊田市だけど、自動車の生産拡大に際して挙母(ころも)工場を新設したのがきっかけだったそう。(後に挙母市は豊田市に改名している)
当初、ここは紡織工場として生まれた。それは自動織機のパイロットプラントとしての意味があったらしい。
当初は布だけ作ってるつもりだったが、糸を紡ぐ紡績にも手を出し、こちらの自動化も進めた。
こうして生まれた機械を製造したのが豊田自動織機なのだが、実は布を作る部門も残っている。
それが今のトヨタ紡織で、自動車向けの繊維製品の製造を行っている。これがトヨタグループの本当の原点だそうで。
そんな経緯をふまえて、この博物館は繊維と自動車の博物館になっている。
この繊維についての展示はかなり充実していて、自動化以前の機器、自動化されていく過程、そして現代の機器とあるだけでなく、
それを実際に動かして見せてくれるんだよね。
展示を見ていると「動かしてみましょうか」と実際に機械を動かして布を織ったり、糸を紡いだりしてくれる。
機械を動く状態に維持し続けること、その機械を実演するスタッフを常に配置していることを考えると、
この博物館はすさまじいお金がかかっていることが想像できる。
糸を紡ぐことは、綿をほぐしてのばしてよって糸にするという各工程は連続的なのだが、
その一方で巻き取られた糸を回収するとかは不連続で、ある種のバッチプロセスなんだよね。
布を織るのも、糸が正常に供給されて織ること自体は連続的だが、糸の供給は不連続にならざるを得ない。
そういうところにいろいろ工夫があったようで。
今も自動織機の事業は続いているものの、豊田自動織機の事業の大半は自動車関係となっている。
ここまででも相当なボリュームだが、引き続き自動車館につながる。
豊田自動織機が自動車の製造に乗り出したのは、同じ機械産業として興味があったという話だろう。
ところが、まず困ったのが材料で、エンジンなどに適した材質が日本にはないというところにぶち当たったのだという。
そこで自分で製鋼所を作るところから始まったらしい。板材とかは外から買えたようだけど。
ちなみにこの製鋼所は分社化されて愛知製鋼として現在も存在している。
かくして豊田自動織機の自動車事業は始まったのだった。
後にトヨタ自動車に分社化されるわけだが、ここで読み方が変わっているのに注意が必要だ。
もともと創業者の名字が「とよだ」だったので、「とよだじどうしょっき」(TOYODA)だった。
ところが自動車部門では「トヨタ」(TOYOTA)としたのだ。
後に豊田自動織機も「とよた」(TOYOTA)に読み方を変えているのだけどね。
これに続いて、エンジン・トランスミッションなどの自動車の構成要素とか、生産設備の展示がある。
この生産設備の展示も動く状態になっているのが多くて、
さすがに糸や布と違って、実際に機械加工している状態を見せるのは難しいんだけど、模擬的に動くようにはしてある。
当初はプレス機を手動でガンガン動かして加工してたというのを、試しに動かして見せてくれたんだけど、
シューシュー音がするから動力は何だと聞くと、「エアと電気だ」というけど、詳しく聞くと当初は蒸気だったとのこと。
ある時期にコンプレッサーから駆動させるように変更したのを展示でも引き継いでいるようで。
このプロセスも後に自動化されるのだが、本質的にやってることはそう変わってない。
今は自動車もエレキ要素が大きくなっているけど、やはりルーツは機械なんだなと。
機械の勉強も多少はしたけど、実際それを応用してとやかくやるということはさほどなく。
そんな中で織機とか自動車というのは機械を高度に応用してできたものだから、そうしてできてるんだなと驚きは多かった。
最近はメカ技術者と一緒に仕事をすることも増えてて、といっても自動車や織機のようなダイナミックなメカではないんだけど、
それはそれでいろいろ工夫があって、なるほどなぁと思うことは多かった。
そういう経験と併せて考えると、メカってこんなこと考えてやってるんだなぁと学びは多かった。
織機から自動車にというのは簡単には理解できないけど、とっかかりとしてはよかったんでしょうね。
とんでもなく展示が多いので、3時間ぐらいかかった。
それってどういうことかというと14時ごろに来て閉館時間までってこと。
しかも休日だと機械加工関係の実演も増えるようだからなおさらでは。
というわけでみどころは多いけど、くれぐれも時間は長く取っておくことをおすすめする。
わりと繊維関係の展示だけでおなかいっぱいになるぐらいなので。
ともあれ、ちょうどいい時間まで時間がつぶれたので、近鉄電車に乗って親元まで。
ここから来週月曜まで長期滞在で関西をいろいろ巡る予定。引っ越して以来、秋はずっとそうだけど。
Author : hidemaro
Date : 2017/11/01(Wed) 23:18
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