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欲張りな徳島

マチ★アソビの時期は宿の確保に難儀するんだけど、
今回は徳島市内に宿が取れた。けっこう鳴門になることが多いんだけど。
新町川沿いをぶらぶらと歩いていくと、各会場近くにいけるから便利だよね。
朝は人数限定のイベントの整理券を配ったりしている。
どれがなにの行列なのかは一見してわからないけどね。
そんな中で僕は朝一番からステージをみようと思ってたんだけど、ステージは準備中のよう。
そのステージの横の貼り紙をみると、3箇所に散らして整列してるとある。
抽選により3箇所のどこからステージに誘導するか順番を決めるということ。
1番目に誘導される列の最後尾に続いて、2番目に誘導される列の頭の人が入ると言うことで、
列に早く並んだとしてもメリットがあるとは限らないという仕組みになっている。
残念ながら一番最後に誘導される列を引いてしまったのだけどね。
こういう方式はどこぞの展示会でやってると教えてもらったことがある。
このときは6列ぐらいに分けて並ばせて、どの列から入るか、さらに頭からかお尻からかも抽選だって言ってたっけ。
所定時刻ギリギリに来て、列の最後に並んだ人が一番最初になる可能性もあるって話。
これにより過度に早い来場を抑制しようとしていたようだ。
マチ★アソビでそういう方式を取り入れていたのも同じような事情があると思う。
ただ、市街地の中で単純にまとまって並ぶスペースがとれないので、
川沿いのスペースに適宜分散させて収めているという事情もあったのではないかと思う。
ステージの準備ができて開放されればそれだけ収まるって話だけど、それまで待たせる場所はまとまってとれないよって話だね。
広い眉山山頂のときは確かやり方が違うんだったような。忘れたけど。
そんなこんなであれこれと楽しんだ後に、フェリーで徳島を去るために南海フェリー行きのバス乗り場へ。
バス混むかなぁと思ったら、南海フェリー行きのバスが2台連なってやってきた。
混雑することを見越して、時刻表上は1便のところに2台のバスを用意したよう。
徳島港に到着したら、好きっぷを買うわけでだけど、窓口で「難波1枚」とか言うとすぐ出てきた。
自動券売機は使えないけど、あらかじめきっぷを出してすぐに出せるように準備してたらしい。
徒歩客のほとんどが買うきっぷですからね。
徳島→和歌山の向きで船に乗るのは初めてだったんだけど、
この向きだと徳島港を尻から出て、和歌山港にお尻から入ることになるんだね。
和歌山港を頭から出て、徳島港に頭から入るんだから、その逆はお尻から出てお尻から入るになると。
商店街のスーパーで買ってきた晩ご飯を食べて、寝てたら和歌山港に到着、真っ暗だけど。
バスの方が時刻表上は早いけど、常に渋滞は心配だからね。その心配がないのは気楽。
これでも徳島市内に17時半ごろまでは滞在できるから十分だね。
見ていたステージ、通りかかったときにちらっとみたステージ、いろいろあるけど、
同じ人がいろんなステージに代わる代わる出ているのを見ると、なんかすごいなぁって。
せっかく徳島に来たんだから、こっちの作品のステージも出てとか、こっちの企画にも出てよとかしてるんだろうな。
観客として参加する人も欲張りだが、出演者として参加する人もけっこう欲張ってるって話だね。
出演者なんてほぼ全員が徳島以外からつれてきてるわけで、それだけに滞在時間の問題がある。
そんな限られた時間で、あれこれと話したりサインしたり歌ったり詰め込んでるってことだ。
それにしても欲張りすぎなのでは?と思う人もちらほらいたけどね。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/06(Sat) 22:23
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「オタクは徳島へ行く」と言われた

朝早く起きて、徳島へ行くためにまずは大阪へ。
そして南海難波駅で「とくしま好きっぷ」を買うのだけど、今は券売機で買えるんだね。
というわけでSuicaつっこんで買ったんだけど、出てきたのは小さいきっぷ1枚だけ。
今まで窓口で買ってたときは電車と船で大きなきっぷ2枚、あと特に使わない総括券とあわせて3枚出ていた。
それが同じで小さなきっぷ1枚ってのはかなり驚いた。
けど、昔から券売機で定価で徳島港までのきっぷは買えたらしいから、それが割引きっぷになったってだけの話だ。
今回の徳島行きは例によって南海フェリー、実は帰りも南海フェリー、
船は時間もあまり自由に選べないし、時刻表上の所要時間も不利なのだが、
値段が安くて、渋滞とは無縁ということで、フェリーを選んでいる。
フェリーはすさまじい混雑だったが、椅子席を確保できたのでよかった。
難民船のようになるかと思ったが、晴れてたから外のベンチ席も使えたから、なんとかなってるようだった。
しかし、徒歩客の多いこと。このうちどの程度がマチ★アソビ目当ての人なんだろう。
徒歩客が多いと心配なのが徳島駅行きのバスだが、増発便の車両を待機させてくれていた。
以前は積み残しを出していたから(すぐに続行便をよこすとは言ってたが)、今日は万全のようだ。
増発便は時刻表よりも早く出てくれたのかな。思っていたよりちょっと早く徳島市街地に到着した。
意外と開会式の前に到着するという。
ところで、昨日のバーベキューで出会ったかつてのクラスメイトの1人が徳島に行くと言っていた。
彼はお知り合いといっしょに車で昨日の夜から徳島入りしてると言ってた。
「そんな前乗りするほど入れ込んでるイベントがあるのか?」と聞くと「俺は特にない」とのこと。
お仲間の方の都合もあったのかもしれないし、よくわからないうちに計画を立てたのかもしれない。
しかし、こうやって集った数人のクラスメイトで2人も徳島に行くのだから、
ほかの人に「オタクはすぐ徳島に行きたがる」と言われたのだった。
誰もが行きたがるわけではなく、ある種のマニアが・・・・・・という話ではあるんだけど。
まぁ彼とは偶然に趣味が合ってしまったようで。
2人こういう人がいると徳島というのは特別な土地なんだろうということはおのずと理解されるものだ。
ただ、なんで徳島なのか?というのは理解されないんだけど。
なにぶん特異な話で、理解できること、できないことがあるけど、
「オタクが金を使って回る経済というのはあるから」と言っている人がいた。
徳島においては本当にそうだなと思うんだけど、阿波踊りとマチ★アソビのときだけは観光客が多いって話だから。
それゆえに地域の人々もおおむね協力的なようである。
そんなことを思っていたら開会式で移動図書館車の贈呈式というのが行われていた。
この移動図書館は南三陸町に寄贈するために購入したものだという。
そしてその原資はというと、マチ★アソビで行われている「チャリティーオークション」での収益とのこと。
このチャリティーオークションというのは、あまり健全なものとは言えないような代物である。
なにをやってるってアニメなどにちなんだ記念品をオークションで売りさばいていくわけだけど、
この金額というのが信じられないような金額につり上がることが多くて、まさにオタクの欲望の満ちあふれたものである。
あまり健全とは言えないオークションでも、その売り上げが実際に社会貢献になる姿をみると、ちょっと見方が変わってくる。
寄贈される移動図書館車は商店街内で展示されていた。
徳島と書いた回送用のナンバープレートが取り付けられ、まだ無地の車両。
この車両にはマチ★アソビゆかりのキャラクタの絵などがかかれ、それから南三陸町まで回送されるとのこと。
今は無地なのは、会期中に関係者から許諾を得てからラッピングするからだそう。
新しい町作りにいそしむ南三陸町にとって、この移動図書館はきっと役立つに違いない。
移動図書館車はトラックを改造した特殊な車両なので、それなりに値が張るもののはずだ。
一部はスポンサー(ufotable?)が立て替えたようだが、それでもチャリティーオークションの売り上げがこういう形になったのだから驚く。
今日もマチ★アソビは盛況だった。
ひどい混雑だったのだが、それでも今日で一番楽しみにしてたステージは前の方で座って見られたからうれしかった。
あれは運がよかったな。ズリズリと動いていったらそこまで行ったんだけど。
今日だけでも徳島に来たかいはあったかなとは思ってるけど、明日もいろいろあるので。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/05(Fri) 23:20
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仏像は教えてくれた

今日はなんとなく奈良にでかけていた。
まぁ近鉄で手軽に行けちゃうしね。
近鉄奈良駅で降りて奈良公園へ。
やはり人は多いけど、正倉院展のときよりはましな気がする。
それで目当ては奈良国立博物館でやってる特別展「快慶」ですね。
鎌倉時代に仏像を作っていた有名な人なのだが、実は謎が多いらしく、
その謎に迫るべく、快慶作の仏像はもちろん、関連する資料をあれこれと集めて展示したんだと言う。
謎は多いといいつつも、仏像を調べるといろんなことが見えてきたらしい。
1つは仏像にかかれた文字から探るという方法。
足の裏とか、中の空洞とかにかかれた文字なんかからわかることもあるらしい。
もう1つは仏像の胎内に入っていた文書などから探るという方法。
これがけっこう情報が多くて、願主とか、仏像作りに関わった人の情報とか、
そこから芋づる的にたどってなんていうのもあったらしい。
仏像の外に残っている情報は限定的で謎が多かったのだが、
実は弟子が作った仏像の中を調べてみると、亡くなった年もだいたい予想がついたなんてことも紹介されていた。
いろんな仏像を作られていたようだが、圧倒的に阿弥陀様が多かったようで。
鎌倉時代ということで浄土宗なんかが起こったころで、そういうニーズが多かったというのと、
あとは快慶本人も阿弥陀様を信仰していたようで、
その造形には相当なこだわりがあったということで、紹介されていた。
なんで似たようなものをたくさん展示してるんだ?ってなるけど、
そこには時系列に沿って快慶のこだわりを示すという意図もあったようだ。
奈良公園から去るときに、JR奈良駅に寄り道してきた。
JR奈良駅のバスターミナルの整備が完成したという話だったので見に行ったのだ。
以前は道路をわたったところから乗るバスもあったけど、東口から出るすべてのバスが道路をわたらずに乗れるようになった。
奈良公園方面のバス乗り場では奈良交通の職員が案内に立っていた。
近鉄で行くと奈良公園なんて歩けばすぐだけど、JRからだとバスに乗るメリットは大きい。
東口バスターミナルだけみるとすごくわかりやすくなったけど、
この工事の前に一部路線を西口に移転させて、それが戻ってないので、どっちから乗るの?って問題はある。
観光によく使われる路線だと平城宮跡や法華寺方面のバスが西口からだったかな。
奈良公園、西の京は東口でOKで、特に西の京方面のバスは道路をわたらなくてよくなったのでメリットが大きい。
西口は今でもがらんとした感じだけど、バスが移る前は本当にだれも通らないなと思ってたぐらい。
JR奈良駅付近に用事があると新大宮駅と歩いて行き来することも多かったから、わりとなじみはあったんだけど。
僕は近鉄でJR奈良駅付近に一番近いのは新大宮駅だと確信していたのでいつもこうしていた。
地図でみると近鉄奈良駅の一番近い出入口からの距離の方が近そうだが、駅構内で歩く距離を差し引くと、
きっと新大宮からの方が近いはずっていうことで。あんまりそう思う人は多くないみたいだけど。
ところで近鉄電車に乗って驚いたんだけどトンネルの中でも電波が通じる区間が増えてたな。
大阪市内の地下区間は以前からいけてたと思うのだが、
大阪線のトンネル区間は以前はさっぱりだったはず。奈良線はあまり覚えてないけど。
こういう山岳トンネルでも携帯電話を通じるように順次やってるようで。
タブレットで車内放送を流す範囲も増えてたし、ちょっとずつ変わって行ってるよね。
電車自体の使い勝手は良くも悪くもあまり変わらずだが、それを取り巻く環境はちょっとずつ変わってるって話だね。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/03(Wed) 21:54
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歩いて、登って天橋立

朝に福井を出て、特急で敦賀まで。
敦賀で小浜線乗り場に行くと、「東舞鶴」と表示した電車がいた。
これで舞鶴まで行けちゃうんだなぁ。
高校生らしきが降りた後は、今度は遠足の小学生が乗り込んできた。
こういう団体利用が根付いてるというのはちょっと驚き。
小浜線はおおむね日本海沿いに進むとは言え、海がよく見えるのは小浜を出てから。
このあたりから原子力関係の施設も車窓からよく見える。発電所そのものは見えないけど。
いい景色だなぁと思いながら、進んでいった。
東舞鶴って路線図でみると途中駅にしか見えないけど、小浜線と舞鶴線の分かれ目なので列車も乗り換えになる。
西舞鶴まで1区間だけのために乗換、っていうけどこの1区間ってかなり長いんだけどね。
西舞鶴で「京都丹後鉄道のりかえ口」とある方向に行って、きっぷを見せると、かなり悩んで確かにOKと理解したようだ。
ただ、「次の列車は必ず乗車整理券がいるんですよ」ということだった。
次の列車は観光列車「丹後あかまつ号」だったのだ。これって必ずお金かかるのね。
うーん、とおもったけど30分後に普通列車が来るので、これでもいいやって。
30分後に戻ってきて、普通列車に乗って、天橋立を目指す。
こっちもひたすら日本海沿いを進むから景色がよい区間も多い。
そんなこんなで福井を出て4時間ほど、天橋立に到着した。
天橋立駅で降りると「海の京都」という文字が目立つ。
これ、京都府のキャンペーンですね。確かに京都府なんだけどねぇ。
天橋立駅から歩いてすぐに恩智寺ということで文殊菩薩で有名な寺がある。
その恩智寺を越えると、すぐに天橋立が見えてきた。
船着場があったが、とりあえず往路は歩くことにしよう。
天橋立というのは砂州なのだが、駅からみると右側が宮津湾ということでそのまま日本海につながり、
左は阿蘇海ということで、狭い水路で外海とつながってるだけの非常に閉鎖的な海になっている。
その2つの海が左右にある砂州ということで、右も左も海というのは不思議な感じ。
けど、阿蘇海って海なんですかね?河川かもしれないと思ったから。
結論から言えば、阿蘇海については海だそうだ。ただし、川から淡水が入る一方、外海との行き来が限られるので、塩分濃度は多少低いとのこと。
似たような地形でも中海・宍道湖は河川扱いになるなど、どちらともとれるものである。
天橋立には多くの松がある。これがなかなかよい景色を作り出している。
歩くと50分ぐらいでけっこうかかるんだけど、片道は歩くと楽しいんじゃないかなぁ。
歩ききると、また船着場、砂州の両側を船で結んでるってわけ。
そして、ここから少し行くと、ケーブルカー・リフト乗り場がある。
これで天橋立を眺めるのに適した笠松公園まですぐにいける。
ケーブルカー往復+船片道というきっぷを買って、
ケーブルカーがでて間もなかったので、往路はリフトで行くことに。
リフトは待ちが短いし、開放的だけど、時間が合うならケーブルカーの方がいいかなって感想。
スキー場以外で乗ったのは初めてで、それはそれでいい体験だったけど。
登ってすぐに天橋立を俯瞰した景色に驚いた。確かにこれは本当に不思議な景色だ。
海を貫く姿、青々と生い茂る松と海の青、なかなかのものである。
ところで、天橋立はイグノーベル賞ゆかりの土地である。
このイグノーベル賞を受賞した研究というのが 股のぞき で奥行き感がなくなるということなどを示したもので、
そのきっかけというのは天橋立の股のぞきの風習なんだという。
確かに股のぞきで天橋立をみると、海だったものがなんとなく空のようにも見え、
空にかかる橋という理解ができるというのは、その話を聞いた上でやればなるほど納得のできることである。
なお、単に鏡で反転させるだけでは、そういう効果は得られないから「股のぞき鏡」というのがおかれていたけど、ああいうのは無意味だと。
どうも頭の上下が逆になるというのが本質的なことらしく、それを実験的に示したのがイグノーベル賞のポイントだったらしい。
帰りはケーブルカーで降りて、船に乗って戻る。
船からみた天橋立はそんなにおもしろいものでもない。歩いた方がずっと楽しい。
天橋立を巡る方法として、歩きと船は書いたとおりだが、ほかにもある。
陸路では自転車というのがあって、それなりに距離があることもあって人気がある。
海路ではモーターボートがあり、料金制度的には乗り合いタクシーのような感じ。
定期観光船に比べるとスピードが速くて、途中で抜かされた。
モーターボード業者がレンタサイクルをやってて、それをセット売りしているのをみた。
楽しみ方もいろいろあるって話だね。
そこからは福知山まで普通列車で行き、そこから特急で京都へ。
京都駅で降りたら、人だらけでちょっと驚いた。
この旅行では今のところ一番ゴミゴミしてたかも。
京都に来る人、京都を去る人、そして僕のようにただ通り抜ける人、いろんな人が入り交じっていた。
そこからは近鉄電車に揺られて2ヶ月ぶりぐらいのふるさとにやってきた。
実は比較的最近にも来ていたんだ。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/02(Tue) 23:55
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マグマが固まって越前海岸

平日に旅行すると朝のラッシュが気になるところだが、そこはわりと回避できた気がする。
もはや北の玄関口としておなじみとなった大宮駅から かがやき号 に乗り込んだ。
関東地方はこれから天気が悪くなるという中、長野県に入ったあたりで雲が暗くなってきたが、
天気の動く向きと逆に進んでいくので、富山県に入ったあたりで小康状態になったように見え、
金沢駅を降りたら地面は濡れてるが雨は降っていないから、うまく雨雲から逃げられた、
今まで金沢には何度か来たことはあるけど、東から来たのは初めて。
今日の目的地は福井だけど、どのみち新幹線と在来線特急の乗り継ぎのために降りるので、
武蔵ヶ辻あたりまでちょっと散歩してみることにした。
北陸新幹線が金沢まで到達して以来、観光客が増えたらしい金沢、
そこでにわかに観光客輸送に力を入れるのがJRバス、PiTaPaを導入したのもそのためか。
もちろん北鉄バスの方が本数多いんだけど、こっちはICaだから、外から来た観光客は現金にならざるを得ない。
なんてことをいいつつ、金沢駅から武蔵ヶ辻までだと大した距離じゃないから歩くんだけど。
散歩の最大の目的は昼ご飯、といってもちょっと早いから列車の中で食べられる弁当でも調達できればよかった。
そしたら、おいしそうな寿司が売ってたので、これだって言って買って、それで駅に戻ったのだった。
「兄ちゃん、なかなか目の付け所がいいね。下手な寿司屋よりうまいぜ」と店の人は自画自賛してたが。
新幹線が通じて、金沢駅の中はいろいろ変わった。外はあんまり変わらないけど。
もちろん新幹線の改札ができたっていうのもそうなんだけど、在来線の改札も自動改札になっている。
これは最近、ICOCA導入にあわせてこうなったんだけど、「特急券も見せて」と言われなくなるのだと思うとちょっと寂しい気もする。
北陸って特急の車内改札も徹底してるけど、駅の改札も厳しくて、時間などから特急っぽいと思われると特急券見せろと言われるのよね。
そんなこんなで特急で30分ほど乗って芦原温泉駅に到着した。
ここで降りてどうするのかというと、東尋坊に行くんだ。
東方面からJRで来る場合は芦原温泉駅が最寄り駅になる。ここからバスに乗るのだ。
駅前のバス停に「京福バス」と書いてあって、こんなところで「京福」というのを見るのは不思議な気がした。
京福電鉄というのは京都で嵐電を走らせている会社だが、今はもっぱら「嵐電」を使っているから社名ぐらいしかみない。
ただ、この会社はもともと福井でも鉄道事業をしていて、今はそれがえちぜん鉄道になっている。
京福バスは福井での鉄道事業の名残ということである。
それでやってきたバスをみると見覚えのあるデザイン。京都バスそっくりなんだよね。
それもそのはず。京都バスも京福傘下のバス会社だから。知ってる人にはなるほどとなる話。
芦原温泉駅というが温泉街が近くにあるわけではない。
実際に温泉があるのはえちぜん鉄道のあわら湯のまち駅付近、温泉街のアクセスにもこのバスが使える。
田んぼが広がる中にぽつんぽつんと温泉旅館が立ち並んでいる姿はちょっと不思議な気がした。
バスはまだまだ突き進み、そのうち海が見えてきた。
そこから海沿いに走るわけだけど、東尋坊より手前に雄島というのがあるらしいので、その近くで降りてみた。
雄島というのは海に浮かぶ岩の島である。
もとは砂州でつながってたらしいが、今は橋でわたることになる。
切り立った崖は柱状節理がよく観察でき、なにかとダイナミックな島である。
東尋坊とともに一見の価値ありだと思った。
東尋坊は海の向こう、そんなに遠くないところに見える。
そこまで海岸沿いの遊歩道「荒磯遊歩道」が延びているのでそこを歩いていく。
なかなかアップダウンが激しく、荒々しい遊歩道だが、なかなかみどころは多い。
というのも雄島と東尋坊の間は福良の浜という非常に浸食が激しいところで、
それゆえに複雑な地層が露わになっていたり、なかなかの絶景である。
ただし、浸食が激しいということは、雄島と東尋坊の直線距離に比べるとかなり遠回りということでもある。
まぁ遊歩道を歩こうが車で行こうが、海上を行かない限りは遠回りであることに違いはないのだが。
東尋坊にたどりつくとにわかに人が急増した。
海岸線沿いに越前海岸を楽しもうという人はあまり多くないらしい。
柱状節理の切り立った海岸が絶景ということで、雄島でみた景色をさらに大きく広げたような感じ。
この岩場の上を歩くこともでき、あんまり端まで行くと「落ちたら死ぬ」という話だが、節度を持って楽しめばより近くで絶景が楽しめる。
それにしても、なんでこんな景色が生まれたのだろうか?
説明によれば、東尋坊と雄島、あとさらに東にある松島はすべてマグマが急激に冷やされてできた安山岩・流紋岩でできている。
地中でマグマが吹き出て、その周りの岩に冷やされて固まったらしい。
その後、周りの岩に比べて硬い安山岩・流紋岩の部分が残ったのが東尋坊であり、雄島だったということだそう。
そういう硬い岩のなかった福良の浜あたりはガッツリ削られたわけである。
そこまではすぐに納得できたのだが、次に気になるのはなんで柱状に岩が剥がれるのだろうかということ。
説明には「六角形に」と書いてあるけど、言うほど規則正しいようには見えない。
実はこれ、マグマが急激に冷やされ、収縮する時にできた空隙に由来するものだったらしい。
だから冷え具合とかによって柱状節理の大きさはかなり違うんだと。
六角形というのは典型的な形のことであって、所々で違ったとしてもそれはそんなもんだということか。
景勝地として名高い東尋坊だが、自殺の名所という話がある。
本当にそんなにあるのかなぁとは思うんだけど、地域の人は警戒しているようだ。
というのも不自然に公衆電話があって、警察署の電話番号が大書きされた掲示物などがある。
公衆電話と電話番号だけでは電話かけられないかもと気を遣ってか、小銭が多少おかれている。
景色を楽しむ観光客にとってはかなり違和感のある代物で、多くの人は不思議だなぁと思ってみているようだった。
遊歩道を歩ききって、ちょっとだけバスに乗ってえちぜん鉄道の三国港駅へ。
福井方面から東尋坊へ行く場合は三国港駅からバスが便利だ。歩ける距離なので歩いてもよいが。
バスを降りると電車が止まってる。時刻表をみるともうすぐ出るみたい。
きっぷ売り場がないので、そのまま乗り込むと、アテンダンドが切符を売りに来た。
一応、ワンマンカーなのだがきっぷ売りの人が乗ってるということだ。
まさか今時、手書きのきっぷを買うことになるとは。
だんだんと乗客も増えて、福井駅に到着した。
なんかえらく立派な高架線だが、実は高架化工事中の仮線として新幹線用の高架橋を借りているのだ。
横にはえちぜん鉄道が本来使う高架橋が作られていて、こっちは分相応という感じ。
もっとも新幹線の福井駅はホーム1つだけという主要駅にしてはかなりコンパクトな形になるようだが。
福井駅前には恐竜がいるという話は聞いていたのだが、
それがまさか動いたり音を出したりするものだとは。
「恐竜王国福井」と書いてあったが、そう言われる理由は状態のよい化石が多数掘り出されたからということに尽きるそう。
福井県で発掘された化石から新種の恐竜が発見され、福井県にちなんで フクイなんとか と名付けられた恐竜も多い。
そんな福井県ゆかりの恐竜の姿を想像して、動いたり鳴いたりさせているということらしい。
あと、福井駅前には福井鉄道の路面電車も乗り入れている。
あんまり運行頻度は多くないんだけどさ。福井駅に入るのは一部便だけだからなおさら。
まだ日も高いから、ちょっと散歩してみることにした。
そしたらなんか小高い山が見えてくるので、そっちに向かって歩いていく。
足羽山というそうで、いくつか神社があったり、博物館があったり、遊園地があったり、電波塔があったり。
市街地の山にテレビ・ラジオの電波塔っていうのもあんまりなじみがなかったけど、
日本全国みると、徳島(眉山)、松山(城山)とかわりとあるもんだな。
ところで、ここで気づいた人がいるかどうか知らないけど、芦原温泉~福井はJRに乗っていない。
東尋坊は東からだと芦原温泉駅が最寄りだが、西からだと福井駅からえちぜん鉄道の方が好都合だからこうなる。
にもかかわらずきっぷはこの区間を含めて買っているんだよね。
これ、切った方が安くなるかと思って計算したら、むしろ高くつくから通しにしたんだ。
途中下車して同じ区間を2度通るのはNGだけど、逆に乗らないのは問題ないし、まぁいいかなと。
途中下車の旅というけど、こういうことも起きるんですね。
Author : hidemaro
Date : 2017/05/01(Mon) 23:40
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南国に浮かぶ不思議な島

今日は旅行最終日ということで、天気は宿を出た時点で霧雨程度。

これなら最後の目的地も全く問題ないよね、と宮崎駅に向かって歩いて行った。

そして汽車に乗って青島に向かった。


青島というのは宮崎市を代表する観光地のようだ。

例によって列車よりもバスの本数が多いって話なんだけど、往路は列車の時間にあわせて駅に行けばよいだけのことである。

そうして青島駅に到着して、青島に向かって、海側に歩いて行く。

すると海に浮かぶ小さな島が見えてきた。これこそ青島である。


この島のどこがすごいのか? 橋を渡って近づくと、波打ち際の岩が妙な形をしている。

これは「鬼の洗濯板」と言われているのだが、確かに洗濯板のように波打っている。

この青島の生い立ちはこのようなことらしい。

  1. 砂岩と泥岩が交互に積み重なった地層ができる
  2. この地層が海底から傾いて隆起する
  3. 隆起した部分に貝殻が集まり、島になる
  4. この地層が波で浸食され、泥岩の層から削られ、波打った岩(鬼の洗濯板)になる

そういう生い立ちを知った上で海岸の砂を見てみると、多種多様な貝殻がきれいだった。(国定公園・天然記念物なので当然持ち出し禁止だが)

植生も特徴的だ。本来、熱帯・亜熱帯の植物が自生しているからだ。


青島には青島神社があるのだが、ヤシ類が茂っている中に神社とは不思議な景色だ。

これって日本の神社なのかなぁと思ってしまうけど、青島神社の神域はこうなのだ。

神社だから絵馬をかけてあるわけだけど、絵馬が納められた額があって、そこに「巨人軍」と書いてある。

宮崎県はプロ野球のキャンプ地として有名だが、その代表例が読売ジャイアンツである。

その選手・監督・コーチその他関係者が青島神社にお参りしたときに納めた絵馬だったらしい。

選手の書いた絵馬には「1軍で試合したい」など切実な内容が目立った。


青島から見える海はそのまま太平洋につながっている。

地図でみると、この先には伊豆諸島があり、さらに先にはアメリカ大陸があるのだろう。

この旅で海を見ることは多かったけど、瀬戸内海など全方位が陸であることが多く、そのまま外洋につながってるのはここぐらい。

遠くまで来たなぁとは思ったが、帰り道は飛行機だからそんなに時間はかからない。

とはいえ、まずは空港に行かないと、ということで空港経由で宮崎市内に行くバスに乗った。

普通の路線バスでなんとなく宮崎空港の敷地内に入り、なんとなくバス停で降りたら、賑やかなターミナルだった。


宮崎からの飛行機は宮崎の航空会社であるところのソラシドエアである。

ソラシドエアはかつての社名をスカイネットアジア航空といい、新規参入組の航空会社の1つだった。

ただし、まもなく経営は低迷し、ANA傘下に入り、今では新規参入組という地位をうまいように使われているだけの傀儡に見える。

本拠地であるべき宮崎空港ですら、ソラシドエアのカウンターがほとんどないというのが驚きである。

なぜかってANAのカウンターを使うことになっているから。なんてこったい。

ちょっと早めの昼ご飯を食べて、そして保安検査場を通り、東京行きの飛行機に乗り込んだ。

そこからは1時間半ほどで羽田空港に着くんだから、飛行機は速いよなぁ。

宮崎を出たときはすっかり青空だったけど、東京に降り立つと雨だった。


そこから、家に帰ってきて、買い物に行ったのだが、

雨の中、自転車で買い物にいったもんだから、びしょびしょになってしまった。

宮崎の天気がよかったのはうれしかったが、帰ってきてこれはちょっときつかった。


Author : hidemaro
Date : 2017/03/21(Tue) 23:01
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城下町と県庁の町

当初、臼杵というのはただ通り過ぎるだけのつもりだったのだが、
調べてみるとおもしろそうなものがあるので、午前中はそんな寄り道をしていた。
それが臼杵石仏である。というわけでバスに乗って石仏へ向かった。
臼杵石仏はその名の通り、岩に仏さまを彫ってあるわけだ。
国宝に指定されているのだが、近畿より西では唯一の国宝の仏像なんだって。
この石仏はほどほどに開けた田畑の広がる集落にあるのだが、のどかなものである。
その上、石仏そのものは寺に属しているわけではなく、なんとなく岩場にあるものを臼杵市が管理しているという状況。
そんな雰囲気も含めて、のどかな印象を受ける。
今は石仏には覆屋がかけられているのだが、元は野ざらしだったらしい。
中には土に埋まっていたものもあったんだとか。(掃除をしてた人が教えてくれた)
それをきれいに掃除して、崩れないようにロックボルトで補強したり、樹脂で固めたり、
それで今後の劣化を防ぐために地下水を排除するドレーンを作り、覆屋を作ったってわけ。
こうして保存措置がとられたところで国宝に指定されたという経緯があるようだ。(それ以前から重要文化財ではあった)
この保存工事に着手する前の写真があったのだが、ひどいものだった。
苔が表面を覆い、仏さまの頭が落ちたものも多かったようだ。
凝灰岩ということで加工性はよかったようだが、これは裏返せば劣化しやすいということでもある。
それが常に湿ったような状態になり、岩はもろくなり、苔も生え放題。こりゃいかんよなぁ。
それでも信仰の場ではあったようで、さい銭箱がおかれていた。
なお、現在は市の管理だが、地域でさい銭箱をおいたり、線香を用意したり、法要をしたりしているようだ。
さながら公営の寺だが、線引きはあるんでしょうね。
石仏へのバスだが、平均すれば1時間に1本ぐらいあるが、間隔が2時間ぐらい開いたりちょっと使いにくい。
今回はのんびりと1時間半ほど散策していると臼杵駅に戻るバスが来るのでよかったが。
大分バスはnimocaが使えるのだが、同じ塗装のグループ会社ではnimoca不可のようで。中途半端だなぁ。
石仏から臼杵駅へのバスはよかったのだが、そこから列車への乗り継ぎはイマイチだった。
というわけで、それまでの時間で臼杵の市街地を散策していた。
すっかり寂れた商店街の広がる城下町である。
3月ということでひな飾りがあったのだが、臼杵のひな飾りは紙製なんだそうで。
どうも臼杵藩では「ひな飾りは禁止、ただし紙製は認める」という指示があったそうだ。
列車の時間が近づいた頃に臼杵駅に行き、宮崎行きの特急に乗り込んだ。
大分県最後の停車駅、佐伯駅から宮崎県最初の停車駅、延岡まで延々と1時間ほど、山深いところを進んでいく。
これほど山深いと普通列車はほとんどないらしく、九州内での宮崎県の孤立感をよく表している。
宮崎県に入り、海沿いを突き進む中、都農あたりで水路橋のようなものが延々と続いているのが見えた。
何かなと思ったら、リニアモーターカーの実験線跡だったらしい。宮崎実験線と言ってたのはこれらしい。
ここでの実験成果から、より実践的な山梨実験線が生まれ、本格的な中央新幹線の建設が始まろうとしている。
臼杵を出て、2時間半ほど、宮崎駅に到着した。
宮崎駅を出ると南国感をかもしだすヤシ類が植えられている。
これで太陽がサンサンとしていればよかったのだが、実際は雨である。
とりあえず市街地の中心を目指して、高千穂通りを歩いていく。
すると10分ほどで、山形屋(やまかたや)とボンベルタ橘という2つの百貨店がある交差点にたどり着く。
ここで交差する橘通りは宮崎市の中心となる通りで、一番のバス通りである。
目的地によるのだが、宮崎駅からのバスというのは本数が限られる場合がある。
一方で橘通りを突き進み、市役所・県庁をたどり、宮交シティというショッピングセンターを発着するバスが多い。
いずれにしても、2つの百貨店のあるあたり、「デパート前」と総称される停留所のいずれかは通ることになるので、
バスに乗るなら、宮崎駅にいるよりもここまで来た方がよかったってわけ。
そうやってデパート前にたどりついたら、ちょうど「宮崎神宮」と書いたバスがやってきた。
宮崎神宮へは列車でもいけるが、本数が少ないからバスの方がよい。そしてデパート前からが最適だ。
ほどなく到着した宮崎神宮は神武天皇を祀っている。
なんで神武天皇?って思ったんだけど、どうも日向の出身で、最初にいたのは宮崎だったらしい。
ただし、その後に大和に向かい、橿原で今の日本を建国したということになっている。
そういう伝説が残る土地なので、それにちなんで作られたのが宮崎神宮とのこと。それなりに歴史は長い。
宮崎神宮にやってきたのは、その隣接地に宮崎県総合博物館があるからでもある。
ここは自然史・歴史・民俗資料といろんなものがあるが、なんと常設展は無料である。
特に自然史の展示はなかなかのものだった。豊かな宮崎県の自然をよく表す展示で勉強になった。
宮崎県の北西部の山奥は鉱物資源に恵まれたところで、もう掘り尽くしてしまったが、相当なものだったようだ。
歴史という点では明治時代のバスガイドの観光案内を録音したレコードで「宮崎はもっとも古く、もっとも新しい町だ」と言っていたのが印象的だった。
実は宮崎市は県庁の町として生まれたという経緯がある。
2つの県が合併したとき、その中間である宮崎に県庁をおいたからだ。
だから新しいんだけど、その一方で神武天皇ゆかりの地ということで、今の日本ではもっとも古いとも言っている。
そんな宮崎県だが、一時は鹿児島県の一部となり、後に日向国一円を宮崎県として独立させたそうだ。
この宮崎県の独立運動というのは相当なものだったそうで、その記録も展示されている。
そんなこんなで、またバスにのり、デパート前に戻ってきた。
橘通りはひっきりなしにバスがやってくる。
宿もこの辺なのだが、このあたりの繁華街を散策してみた。
そしたら、以前、FMシアターで取り上げられていたストリートピアノがあった。
青色のアップライトピアノ、演奏して遊んでる人がいた。
まぁこの姿だけ見てるとあのドラマのようなことは起きる気はしないけどね。
明日は旅行の最終日、飛行機に乗って帰るだけなのかというと、あとちょっとある。
けど、宮崎にいるのは午前中までだ。
明日も天気はあんまりだが、今日ほど悪くないみたいで一安心。
Author : hidemaro
Date : 2017/03/20(Mon) 23:44
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城までの山登りと港までの歩き

松山の宿は市内電車の駅の目の前だから、起きたら路面電車の音がよく聞こえる。
実は広島でもそうだったのだが、広島の電車より けたたましい音を立てて走るから。
古い車両は床が板張りだったりするんで。そうかと思ったら比較的新しい低床車も走ってるんだけど。
松山城でも行くかなぁと歩いていくと「松山城(登山口)」と書いた案内標識が。
登山口?と思ったら、山が見えてきた。
そう、松山城は松山市街地にある山、勝山(通称:城山)に建っているのだ。
ロープウェイもやっているが、歩いてあがることにした。歩いた方がその高さがよくわかるだろうし。
そしたらロープウェイといいつつ、スキー場にあるような1人乗りリフトで上り下りする人が見える。
けど、もう1つ、ロープが見えるから、何かと思ったらロープウェイとリフトどっちもあったらしい。
登っていくと鉄塔が見えるが、ここが松山の放送局の電波塔である。市街地にある山は電波塔に好適だよね。
呉から松山までのフェリーでNHK-FMを聞いてたけど、呉近くをのぞいては松山側の電波を受信していた。
この電波はここから飛んでいたのだ。なるほどなぁ。
松山城は江戸時代からの天守が残っている。
各所の塀や壁には鉄砲を出す穴があけられている。かなり徹底されている印象を受けた。
天守の中に入ることができるんだけど、山の上にさらに高い建物なので大変眺めがよい。
そして、こうして見てみると瀬戸内海に面している側をのぞいてはどこも山であることに気づく。
松山は愛媛県の県庁所在地ではあるが、県内各都市とは山を隔てて離れている。
特に新居浜をはじめとする東予地域は別子銅山のこともあって、関西との結びつきが強い。
それに対して松山を中心とする中予地域にとっては対岸の広島県とのつながりが深いのだという。
そうは言っても松山は大都市である。長らく四国の中心的都市だったのだ。
松山城という立派な城があれば、その城下町というのは相当なものだったらしい。
今は高松が中心的都市になりつつある気がするけど、実は高松市と松山市だと松山市の人口の方が多いらしい。
ただ、高松都市圏は讃岐平野一円に広がり、都市圏人口としてははるかに多い。
もっとも松山と高松を比べたところで仕方ないんだけど。都市の立ち位置が違うから。
連絡船の街だった高松は交通の要所として重用され、歴史ある城下町である松山は今も多くの官庁が立ち並ぶ。
そういう生い立ちの差がそのまま現れていると考えればよろしいかと。
そんなわけで、ぶらぶらと散歩をして、ほどよい時間に市内電車でJR松山駅へ。
ここから特急列車で八幡浜まで行くのだが、「左の奥の方へ進んでください」と改札の駅員は言う。
そしたら、ホームにやってきた列車はそれより右側に止まった。
「あれ?」と思ったら、反対から列車がやってきた。
これ、どういうことかって話だけど、高松・岡山からの電車の特急と、八幡浜・宇和島方面のディーゼル特急「宇和海」を同一ホームで乗り換えられるようにしてるらしい。
八幡浜までは特急で45分ほど、山越えのショートカットルートを突き進んでいく。
そうやって八幡浜までは早かったのだが、次に船との乗り換えはイマイチである。
というのも、八幡浜駅から八幡浜市街や港までは少し離れていて、だいたい2kmぐらいある。
バスがあればよかったのだが、これがあんまり多くないし、船や汽車の時間とも合わない。
せめて八幡浜市街まではバスに乗ろうかとも思ったが、時刻表を見ると時間が合わないので全部歩くことに。
どちらにしても駅に着いてから船が出るまで1時間半あったから、歩いても余裕だったのだ。これも不本意なのだが。
港に到着して、きっぷを買おうと「臼杵まで大人1枚」と言うと、乗船名簿書いてこいと言われた。
この距離の航路で乗船名簿書かないといけないのか。別府~大阪以来2度目の乗船名簿である。
なお、沿海区域までの航路では乗船名簿は必須ではないらしい。
その理屈で言うと別府~大阪も乗船名簿はいらないことになるのだけど。
ともあれ、乗船名簿を書いて、窓口で運賃を支払い(車だとクレジットカード使えるけど、徒歩は現金だけらしい)、きっぷを受け取った。
それで30分ほど待つと乗船開始だから、車の人は車に戻り、歩きの人は乗り込めと放送が入った。
それで船に向かうとタラップが架かってるが、特に係員はいない。
なんとなく乗り込むときっぷをチェックされることもなく乗り込めた。いい加減だな。
ただ、実際のところ徒歩客はかなり少なくて、降りるときに数えたらたった5人だったな。
船の中はカーペット席しかない。ロビーは椅子あるけどさ。
この距離のフェリーだと、椅子席とカーペット席の2本立てだと思ったのだが、カーペットだけなのか。
そんなわけで、カーペットであぐらでもかきながら、のんびりと2時間ちょっと。
ただ、このうち1時間ほどは佐田岬半島に平行して進み、そこから40分ほどしたら今度は佐賀関半島に平行しながら進む。
佐田岬半島の先の方と佐賀関半島の先の方を結ぶフェリーとして国道九四フェリーがあり、
これだと四国~九州は70分とのことで、まさに最短ルートである。
ただし、公共交通との相性はイマイチなので、その点では八幡浜~臼杵・別府のフェリーに分があると。
八幡浜港もあんまり公共交通とのかみ合いがよいとは思えないのだが、まだなんとかなるレベルだという話か。
臼杵港に到着して、歩いて10分、臼杵駅付近に到着した。
こっちはかなり近いね。とはいえ、そこを歩く人なんて全くいないのだが。
そして今晩の宿に到着。
さすがに九州まで来ると遠くまで来たなと感じるんだけど、言葉がかなり変わるんだよね。
広島でも松山でも、関西の言葉とそんな極端に差があるわけでもない。けど九州まで来ると明らかに違う。
ちょっとずつ近づいてきたからこそ、この急な変化に気づいたんだけど、不思議なもんだね。
Author : hidemaro
Date : 2017/03/19(Sun) 22:03
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原爆と船と温泉

もうかれこれ12年前の話だけど、中学校の修学旅行で長崎に行った。
市内の中学校では修学旅行の目的地は広島か長崎にしろという話があったと聞いている。
うちの中学校では長崎に行く方がなにかとためになるだろうと、長崎を選んだんだという話を聞いたような。
ともあれ、広島というのはもしかしたら13歳(中学2年生の秋に行っていた)で来ていた都市だったかもしれないという話。
市内電車で広島の中心市街地にやってきて、その大都市っぷりには驚いたもの。
中国地方では最大の都市ですからね。確かに岡山と比べても明らかに大都市だ。
そんな広島だが、ゆえあってぽっかりと空いた空間がある。平和記念公園である。
ビルの乱立するところから、橋をわたるときれいに整備された都市公園が見える。
これが平和記念公園だ。
もともとこの地域も市街地だったのだ。そのことは公園内の町名表示板でも紹介されている。
ところが原子爆弾によりほとんどの建造物がなくなってしまったのだ。
投下前後の写真を比べると、なんでこんなことになるのか?と不思議に思うほどだ。
そんな地域につくられた公園ですから、このことにちなんだモニュメントがあれこれとある。
そこで驚いたんだけど、慰霊碑のまわりを掃除して、新しい花を供えている人がいた。
慰霊碑があっても、そこに常にきれいに保ち、花を供えるというのは、そうそう行われないものだ。
それだけこの慰霊碑に込められたことは大きいことがわかる。
公園を歩いていくと、旧広島県産業奨励館、「原爆ドーム」がある。
壊れた建物に見えるが、実情としては残ってしまった建物というのが正しいように思える。
というのも、このあたり一帯の建物はほとんどが跡形もなくなくなってしまったのだが、
産業奨励館は鉄筋コンクリート造だったこともあって、それなりに残ってしまった。
まぁ残ってしまったといっても、その機能を果たせるものではないのは言うまでもないが。
壊れた状態を残し続けるのは大変難しいことだ。けど、爆心地近くでは数少ない生き証人だったのだ。
平和記念資料館には、あれこれと原子爆弾の被害を表すものが展示されている。
こうやって見てみるとわかるんだけど、ボロボロになりながらも意外といろんなものが残ってるんですね。
人への影響という点では熱による影響が大きかったのだが、
服も全部燃えるわけではなく、黒い部分だけ燃えるとか、そういう部分的な影響に留まる例も多かったようだ。
かといって、そこで適切な治療が受けられるはずもなく(医療材料の不足はかなり長く続いた)、
苦しみながら死んでいった人はかなり多いわけである。
あと未知の事象として放射線による障害があって、これは大変苦心したようだ。
というか今でも広島・長崎の事例ぐらいしかデータがないんじゃないかなぁ。
そんなこんなで約70年前の惨事に思いを巡らせ、
広島から呉に行くために、まずは地下鉄に。
地下鉄といったけどアストラムラインっていう新交通ですね。都心部分は地下鉄になってる。’
これで最近できたらしいJRとの乗換駅、新白島駅でJRにのり、呉に向かった。
呉に来たのは松山行きのフェリーに乗るためだが、船が出るまで海上自衛隊の史料館を見学してきた。
「てつのくじら館」という愛称がつけられているが、これは潜水艦のことだ。
展示は大きく2つ、機雷掃海と潜水艦のことである。
機雷掃海はこの展示を見るまであまり知らなかったんだけど、実は海上自衛隊の原点となる業務だった。
終戦後、海軍省は第二復員省となり、兵隊を戻していく役割に切り替わった。
一方で、海には大量の機雷があり、安全な航行がままならない状況だったので、これを除去する必要があった。
この機雷を取り除く作業が機雷掃海である。
アメリカ軍が本来の責任者ではあったそうなのだが、旧日本海軍を継承した第二復員省も関わることなった。
後に、この業務は海上保安庁に引き継がれたのだが、後に保安庁、海上自衛隊に移管されている。
その後、海上自衛隊の尽力により、機雷はほとんど取り除かれたが、今も年1個、2個ぐらいは取り除かれてるんだとか。
一方で、国際貢献ということで、外国で終戦後の機雷掃海の役割を担うこともある。
機雷掃海なんてやらなくていいに越したことはないけど、一方で平和な海を取り戻すというポジティブな役割でもある。
もう1つのテーマが潜水艦だが、実際のところ展示を見ても謎は多い。
そもそも潜水艦ってなにをしてるんだよって話はある。当然のことながら秘密だとかかれているのだが。
ただ、確かなことは平時でも何らかの意図をもって潜っているということである。
その潜水艦の中の暮らし、航行、安全対策が展示されている。
そして引退した潜水艦の現物に入ることができるのだ。これには驚いた。
本物の潜望鏡をのぞかせてもらったけど、潜望鏡を使ってもこの程度の情報しか得られないんだよね。
完全に海の中ではどうやって操縦するのか?かなり難しいのは確かなのだが。
フェリーの時間になって乗り場に行く。
このフェリーは広島~呉~松山ということで、呉は経由地である。
14時40分発のフェリーが着岸したのが14時40分、ってちょっと遅れてるような。
そこから人の乗り降り、自動車の乗り降りもあったのかな?わずか4分後には出発した。
フェリーってこんなに短時間で発着できるんだね。
そこから2時間の船旅で松山に到着した。
ずっと陸が見え続けているからちょっと不思議な気がした。
松山に到着したわけだが、あまり実感はない。
ともかく市内に行くために高浜駅まで少し歩く。
駅直結ではないがかなり近い。シャトルバス(有料)もあるが、ほとんど同着だった。
ここからの電車は15分間隔だからけっこう便利な気がする。
けどなんか見覚えがある内装だな、と思ったら京王のお下がりだったようだ。
松山市駅に着いてもあまり愛媛に来た実感はなかったのだが、
そこから路面電車にのり中心市街地に来たら、やっと松山という気がしてきた。
松山といえば、道後温泉である。
道後温泉本館という重要文化財の公衆浴場がある。これが道後温泉のルーツである。
温泉リゾートといえば、旅館で宿泊し風呂に入りとなるところだが、
日本最古の温泉である、道後温泉は風呂部分は当初、公衆浴場となっていた。
立派な建物、立派な浴場なんだけど、今にしてみるとこれが温泉街のコア施設というのはちょっと不思議。
ただ、ここで温泉に入り、そして風呂上がりに茶と菓子を出してもらってくつろぐと、
そんなことを楽しんでいた人の1人が夏目漱石で、「坊っちゃん」の小説で出てくる温泉がまさにそのこと。
風呂だけにしたのだが、「坊っちゃんの間」を見物できるからと、休憩所を抜けて行ったら、
個室で浴衣を着て、お茶とお菓子を出してもらってくつろいでる人がいて、そういうことかと理解できたのだった。
まぁ風情はあるのだが、今時の温泉リゾートとは結構違うというところも含めて見所だ。
ところで、坊っちゃんの小説で「マッチ箱のような汽車」なんて話があったような気もするが、
実はあれって伊予鉄道のことで、三津~松山(現:松山市駅)間の軽便鉄道のことを指している。
今回、高浜~松山市で電車に乗ったけど、高浜駅は三津駅から先に延長してできた駅で、すなわちあの小説のように松山入りしたわけである。
あんまり考えてなかったんだけど、実はそういう物語にも描かれたルートだったって話らしい。
Author : hidemaro
Date : 2017/03/18(Sat) 23:19
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海に浮かぶ宮島

朝、電車に乗って東京駅へ。
そこで新幹線に乗り換えるわけだが、ちょうどおとといにEX-ICが届いたから、
SuicaとEX-ICを仕込んだ財布をタッチしたら、それで確認票がひゅいと出てきて通過できた。
なんて楽なんだ。まぁ券売機に行く手間が1回省けるぐらいなんだけどさ。
東京から広島まで新幹線で4時間、
これってどんなもん?って話だが、
東京~名古屋とか大阪~高知をバスで行くと5時間ぐらいなので、それよりは短い。
列車で行くにはちょっと遠い気がしたけど、新幹線は速いからそんなに悪くないよね。
僕は新幹線でB席に座ってたんだけど、左右の人はそれぞれ東京・新横浜から乗り込んで広島でも降りなかった。
ってことは福岡まで行くのかな?そういう利用も多いんだね。
広島駅に降りたったのは11時半ごろ、いつもの昼休みもこれぐらいだし、今日は朝も早かったし。
というわけで、腹ごしらえをと広島駅周辺で探していたのだが、「お好み焼き」を食べた。
広島のお好み焼きというのは独特なものである。ただ、これをどう言ったものかいう悩みはある。
なにしろラジオで「『広島焼』とは広島を焼くとでも言うのか」「広島風と言うとは何事か」なんて話を聞いたのだ。
言葉の問題はさておき、広島のお好み焼きは家庭で作るには向かないものらしく、店に食べに行くもんなんだと。
僕の知っているお好み焼きは、むしろ家庭料理の印象があるから、ずいぶん違うね。
あんなにキャベツとか盛ってたのに、仕上がるとそれらしい姿になるんだね。
広島駅で宮島までのきっぷをかって列車に乗り込む。
ご存じの方もおられるかもしれないが、JRは宮島連絡船を運航している。(分社化されたが)
連絡船まで含めた宮島までのきっぷも売っていて「宮島 570」と書いたボタンを押すと出てきた。
実は広島のJRも宮島連絡船もICカードが使えるのだが、船はPASPY扱いなのでICOCAは使えるが、Suicaは使えない。
でも、JRのきっぷを買うのにはSuicaも使えるから、連絡きっぷならキャッシュレスでOKになる。
ICOCAがあればこんな不便はしなくてよかったんだけどねぇ。(将来的にはICOCA以外のICカードも対応する予定があるようだが)
真新しい電車にのり宮島口駅まで。そして駅を出て少し行くと船乗り場がある。
右にJR、左に松大汽船と2社並んでいる。きっぷは別だから、JRからの連絡きっぷを買った往路はJRだ。
往路の船は厳島神社の大鳥居に接近するサービスがある。それでも10分ほどだから短い船旅だ。
大鳥居に接近するだけで船から降ろされる場所は厳島神社まですこし離れている。
宮島は野生の鹿が街中にいる。船着き場をでるといきなりいた。
観光客であふれる道を歩いていくと、厳島神社が見えてきた。
中に入ってお参りしてきたのだが、わざわざ海だか干潟だかそんなところに建ててあるんだよね。
船で大鳥居をくぐって、そのまま直接乗り付けてお参りできたら・・・なんてこのときは思った。
きっとそんな意図があるんだろうという設計だったから。
宮島は海と陸の境目に厳島神社があるけど、
その背景には弥山(みせん)という山がある。
けっこう立派な山で、なんとロープウェイまでやっているのだという。
そんなわけでロープウェイにのって山の上に行ってみることにした。
このロープウェイは2本のロープウェイを乗り継ぐタイプで、これだけならまぁあるような気はする。
ただ、下側が小型のゴンドラが頻発する方式で、上側は比較的大きめのゴンドラが時刻表にあわせて動く方式になっている。
これだと中間駅でどうしても待ちが発生しそうなんだけどねぇ。
実際には上側のロープウェイは時刻表を無視して頻発していたので、大した待ちはなかったのだけど。
弥山は空海が修行したというところらしく、1200年以上前にともされた炎がいまも燃えてるなんて話も。
本当かなぁ?とは思うんだけど、大切に守られていることは確かである。
瀬戸内海に浮かぶ島の高いところからみる景色は格別のものである。
こういう景色って今まであんまり見たことない気がするなぁ。
澄み渡る青空と青い海、中国山地と海に浮かぶ島の緑、大都市広島の市街地、といろんなものが凝縮されている。
わざわざ登った価値はあったかな。最初は予定になかったんだけどさ。
山を下りて、桟橋に向けて歩いてたら、
厳島神社が見えてきたのだが、なんか大鳥居の近くで歩いてる人たちがいる。
驚いたのだが、干潮近くになると、大鳥居のあたりまで水が引いてしまうんだそうだ。
きたときは満潮近くだったので船で乗り付けたいななんて言ってたけど、干潮だとこうなるんだそうで。
なるほど。それで厳島神社の入口に満潮・干潮の時刻を掲示していたのか。
帰りは松大汽船と広電の組み合わせで広島市内に行く。
宮島口桟橋のすぐ隣に広電の駅があって、市内電車の車両が乗り入れている。
郊外区間は路面走行ではないのだが、市内では路面走行するからこうなっている。
市内線までのきっぷを買えば、それで市内線のどこへもいけて、乗換もできる。
その運賃260円、ってえらくやすいな。
市内に行くのなら安くて直通もあって便利なのだが(広島駅と市街地は離れている)、市内線は路面電車ということに注意が必要だ。
すなわち列車に乗り換えるのが目的なら、JRの方がいいんじゃないの?ってことね。
市内線との境界駅、西広島駅で電車を乗り換える。
「2号線は乗換」なんて放送が流れたけど、この2号線ってのは2系統って意味ですね。
広島だけじゃないけど、路面電車ではこういう言い方をする地域もある。2号線という独立した線路があるとは限らないので注意が必要だ。
その2号線で宿の近くに行くわけだけど、ちょっと行きすぎて日赤病院前で降りてみた。
電車を降りて、降りた電車を見てみると・・・「えっ?京都市章!?」
見間違えかと思ったのだが、実はこの車両、京都市電で使ってた車両を譲り受けたものらしい。
それを京都市章を残したまま、広電の社章も加えて、使っているんだって。デザインもほぼそのまま。
しかし京都市電の全廃って1978年なんだよね。その頃の中古車が現役なのか。すごいな。
日赤病院前で降りると見えるのは「広島赤十字・原爆病院」である。
原爆と入っているのは、原爆被害者の治療をやってきたという経緯による。
今は建て替えられ、すっかり現代的な病院だが、古い歴史を持つ病院である。
そもそも、この病院はもともと広島赤十字病院だった。
1945年に広島に原子爆弾が落とされたとき、この病院には多くの患者が押し寄せたという。
落下地点から近いが、機能喪失を逃れることができた病院だったからだ。
そのことは病院の外側に置かれた説明板にもかかれていたのだが、
レントゲンフィルムが全部ダメになったから、原子爆弾だと割り出すことができたなんてエピソードも紹介されていた。
今も原爆被害者の継続診察を行っているわけだけど、その役割もそう遠くないうちに終わってしまいそうだ。
そうなっても病院の名前は変わらないんだろうな。きっと。
明日は、広島・呉・松山と1日で3都市も回ることになる。
明日もあさっても船に乗るけど、今日も船に乗りましたね。宮島に行くために。
実は船に乗る直前まで気づかなかったんだけど、よく考えたらそうだった。
Author : hidemaro
Date : 2017/03/17(Fri) 23:34
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