区域をガチャガチャいじったかいじらなかったか

東京都の特別区は23ある。

今でこそ特別区は市と同じく基礎的自治体だと考えられるようになったが、

もとをたどれば東京市の区で、これは本質的には他の指定都市の行政区とそれほど差はない。

もっとも東京市がなくなったのは戦前の話だし、当時は地方自治という概念が今ほど発達してなかったので、今とはかなり違いそうだが。


その特別区の中に世田谷区という区がある。

特別区の中でも多摩地方と隣接しているかなり郊外の区である。

1992年までは特別区の中では最大の面積を有していた。現在は埋立の進展で大田区に抜かれたよう。

当たり前だけど古くから江戸だった地域ではなく、1932年に荏原郡を東京市に編入したときに世田谷村の区域をもって設置された区である。

後に1936年に北多摩郡の2村を編入している。そして現在の世田谷区の区域は決まった。

その後、東京市と東京府の合併、終戦、35区を22区にする区の再編、地方自治法の施行、といろいろあったけどその時の区域を保っている。


そうなんですね、1936年から60年以上区域が変わらなかったんですよね。

世田谷区は当初の人口は13万人ほどだったらしい。大きいなと思うけど、これでも東京市の区としては最も人口が少ないぐらいだった。

それが戦後、人口が急増し、そして現在は人口88万人という特別区で最も人口が大きい区となった。

平成の大合併のとき指定都市になるには人口70万人あれば足りるということになっていた。実はそれより多い。

なので適当な市町村と合併して特別区やめれば指定都市になれたのよね。しなかったけど。

区域が比較的広いこともあり区内を5つの区域にわけ、それぞれに総合支所を置いている。

けど実はこれって堺市が指定都市になる前にやってたことと似ていて、世田谷区が指定都市を狙っていることが見えてくる。


世田谷区ももとをただせば東京市の出先機関にすぎなかった。今の指定都市の行政区に近い考えだろう。

そもそも行政区というのは広すぎる市の事務を分担してやっていこうという考えによるものだ。

その考えによれば世田谷区ほどのサイズの区が存在するというのはおかしな話で、人口が増えたのならそれに応じて分割しないとうまくいきそうにない。

世田谷区自身、総合支所なんてものを設けて実質的な分区を行ってるわけですからね。

ただ、特別区は選挙で選ばれる区長・区議会があるもんだから、そう分割しようとしても簡単にできない。

特別区の分区は地方自治法施行から3ヶ月後の1947年8月に板橋区から練馬区が分離されたのが唯一の例である。

そんなもんだから世田谷区はこの大きさのまま放置されてきたというのが正しい見方かなと思う。

今となってみればこの大きさのおかげで基礎的自治体としての機能を強化できているのだろうけど。


一方で時代の変化にあわせて区域をがちゃがちゃいじってきたのが大阪市である。

大阪市の変遷 (イッシーのホームページ)

もともと大阪市は東区・西区・南区・北区の4区からスタートした。

それを1897年に周辺の町村を合併して第一次市域拡張を行った。

このとき、現在の都島区・北区の一部・福島区となる地域を北区に、港区・此花区・大正区となる地域を西区に、天王寺区となる地域を東区と南区に、浪速区となる地域を南区に合併している。

この時点では拡張しても4区だった。

その後、1925年の第二次市域拡張のとき、西成郡・住吉郡・東成郡を大阪市に編入した。

このときにまず最初に合併した地域から此花区・港区・天王寺区・浪速区を分割した。港区は現在の大正区を含んだ状態で分離された。

そして合併した地域は、西成郡は淀川のあたりを西淀川区・東淀川区、取り残された現在の西成区に相当する部分を西成区とした。(参考記事 : 西成区ができるまで)

そして住吉郡・東成郡はそのまま住吉区・東成区とした。それこそ世田谷区のような大きな区が生まれた。

が、今となってはその姿はもはや原型を留めていない。


1932年、港区から現在の大正区が分離され、東成区から旭区が分離された。

この旭区には現在の旭区の他に城東区・鶴見区を含んでいた。大正区と港区はこれでほぼ現在の姿になった。

1943年、旭区と北区から分離して都島区、北区と此花区から分離して福島区、東淀川区・西淀川区の淀川以南の区域を分離して大淀区、

東成区から分離して生野区、旭区と東成区から分離して城東区、住吉区から分離して阿倍野区・東住吉区ができた。

さらにこれを1974年に東淀川区から淀川区、城東区から鶴見区、住吉区から住之江区、東住吉区から平野区を分離して26区になった。

1989年にドーナツ現象で人口が減っていた北区と大淀区を合併して北区、東区と南区を合併して中央区となって現在の24区となる。

これをたどるとわかるが、最初の住吉区は住吉区・東住吉区・阿倍野区・住之江区・平野区の5区に、東成区は東成区・旭区・城東区・鶴見区の4区に分割された。

こうして大阪市の行政区は此花区の約66000人から平野区の約199000人まで、平均11万人程度に保たれている。


大阪市の行政区は身近な行政サービスの提供に主眼を置いているようで、他の指定都市に比べると区の大きさは小さめかと思う。

これは行政区というものの市の考え方の違いですけどね。

そういう方針で行政区を運営していこうとした結果が、分割・併合の繰り返しだったのかなと思う。

現在もその考えを概ね保ててると思う。

あとここには書かなかったけど、住居表示にあわせて区界変更も行っている。

大阪市はかなりマメに変更してて、現在の道路に沿った区界はこれに由来する。


まぁ大阪市は極端にせよ、他の指定都市もなんしか区域の見直しはしているわけで、

それでも区域が変わらない東京都の特別区は異様だよなと。

そりゃ指定都市の行政区と都の特別区だから制度が違うんで同じように考えてはいけないんだけど、

特別区だって発祥は東京市の区なわけで、できたときの考え方はそう変わらなかったはずなのにね。

どうしてこんなにずれてしまったのだろうか? と、2つの大都市を見比べて思う。

まぁおそらく特別区に公選の区長と議会があって、特別区は市と同様の基礎的自治体と考えていたからでしょうけどね。